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これは私の人生です。気付いたら10時間/週のペースで時間を浪費していた。

子供達の著しい成長にかんかされ、とうちゃんも成長する!と気合いを入れ直して経営の勉強なんかをしている。とても短な期間でいろんなことを習得していく子供達。大人の僕は最近何を学んだのかと問われると言葉に詰まる。つまりは平常運転でしかなかった(過去得たもので食いつないだ)のだと反省する。

そういえば…と思い出しスマホを手に取る。「Screen Time」という機能が実装されており、僕が何時間何系統のアプリを触っていたのかが記録されている代物だ。それを見てみよう。おそらく僕は何かで時間を浪費している理由があるはずだと思って開いたら驚いた。

1週間の記録らしいが、Youtubeすげー見てる。次にSNS。
Facebookはメッセンジャー使って仕事もしてるしなと思ったけど、違う。メッセンジャーアプリ他にある。約1週間で娯楽に費やしている時間で約10時間もあることに驚いた。

だいたい1日1時間半は、ぼーっとこれらを見てる時間に使ってしまっている計算。その割に読者や調べ物は1週間で約2時間。ここじゃーん、ここすごい駄目じゃない?と諸悪の根源的なスマホに教えられる。

娯楽と認識せよ

ではYoutubeとかSNSがすごい楽しいかと言われると…別に…どうも思ってない。そういうものを娯楽と認識せず習慣的に見ている自分に気づく。きょうのわんこ見てから出社するみたいな通過儀礼化している。これ、しっかり娯楽=なくてもいい時間と認識しないことには毎週10時間近い無駄を過ごしていることになる。

YoutubeやSNSで何か大きなインスピレーションを得たとか、心底笑ったとか、感動したとか、何か思い出せるかと問われても何も思い出せない。浪費していった毎週10時間はなんの貢献も実はしていないことに気づく。

この時間、ずっと何かを書き続けていれば本の1冊ぐらいはかけたかもしれない。映画100本見てたくさんの学びを得たかもしれない。これは時間泥棒だ!(自分のせいだけど)と深く反省したわけです。

子供にゲームは1時間まで!とかいうてるのに、とうの父親は10時間/週で娯楽に使っているわけ。なんかよくない。

娯楽は囲い込めばいいかもしれない

移動中とか、タバコ吸いながらとか、寝る前についつい見てしまうわけだけど、それを練磨の時間に置き換えるべきと悟りました。ざっと10時間毎週使えるわけです。で、身に付けたいスキルも学びたいことも明確になる。なのに無目的な娯楽の浪費に時間を投じていた。その時間をスキルに投じる方がもっと人生面白くなるはず。

娯楽はゼロか?と言われたら違う。これは明確に自分が欲しい娯楽だ!ないと困る!というものをしっかり理解して大切にすること。これが大事だと思った。無駄な10時間にはこれがなかったわけです。

僕はゲームを心の底から愛していて、どうしても、どんだけ忙しくても1日少しでもして寝たい。これは明確な僕の娯楽です。小説を読むのもそう。映画を見るのもそう。心を潤す楽しい時間。それが娯楽。そういうものはしっかり守って寝る前にどっぷり浸かる。寝る前に囲い込んだ。あと週末ですね。

SNSはPCだけで十分

Youtube/SNSはブラウザからでいいと思った。別に辞める必要はないかなと今は思う。ただスマホにはいらない。手持ち無沙汰で触るのがスマホ。その先の娯楽としてこれらの浪費アプリが手招いている。なのでサクッと削除。そんな緊急的な要件では使われないし、ほとんどメッセージング系アプリでやりとりされるわけだしね。

ここ最近、学んだことは「娯楽と認識しない無目的な時間=浪費」ということ。この「娯楽と認識」するかしないかがすごい大事なんじゃないかと思ったのです。

この時間はなんだろう。そう考えるだけで、無駄か有益かその先の時間の価値を考えることができ、選択ができる。無思考だとその選択すらなく家畜のように娯楽に消費されていく。アァ怖い。そうなるように作られているのがこれらコンテンツなのだろう。そういうものを一歩引いた目線で見ると僕らは餌を与えられてた家畜のようにしか見えない。

これは私の人生です。

そう思えることから遠い遠いところへ運んでいってしまう怖さを感じた。
この時間は僕のものだし、これを読んでる人も選択か無意識かでここまで読み進めてしまっているかもしれない。この時間はなんなのか?そして、次やることはなんのための時間か。ちょっと立ち止まって考えて見るだけでも積み重ねで大きな違いになってきそうな気がしたのでした。

ちなみに日記を書く時間は僕にとって大切な娯楽です。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。