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もうすでに誰かの道からは外れている。

日が変わって15日。息子バレンタインデーでたくさんチョコもらってきたみたいで「チョコもらえたん?」って風呂で聞くと「へへへっ」と笑う表情がなんかとてもよかった。嬉しい時、男って嬉しいを100%だせない、わかるわー。

風呂上がりに僕は仕事でデスクに向かう。晩飯前に思いついたアイデアをまとめ、戦友であり家族みたいなやつとビデオチャット。お互いの近況や今抱いてる課題とかを語る。いい仕事してるなぁ。あいつのすごさを一番理解してるのは俺じゃないかと勝手に自負している。

いつものようにタバコをふかしながら、酒場で会う余裕もない僕らはビデオを通じて会話をするけど前と何も変わらんのがおもしろい。18時を過ぎて流れるハードコアとものづくりの話。唯一なくなって寂しいのがこれだなとぷかぷかしながら会話をする。

酒で体力奪われる、年取った、休むのが下手、どこどこが痛い。
でも最後には、もっとええもん作りたいし、次のレベルにあがる必要がある。そんな会話を繰り返す。これを超えれなかったら明日にでも俺死んでしまうかもしれん、そんなレベルでものづくりの会話をする。

何をしたかより、どこへいくかの会話をする。
今自分がいる場所への危機感を語る。もう僕らは誰かの道の上にはいないことを痛感する。草をかき分け山を登り、自分でその風景を掴みにいく必要がある。

俯瞰して現在地を見て、何をすべきかを考える。
ビデオチャットを閉じて、仕事に戻る。
全てが次のまだ見ぬ風景に繋がっている。今関わるものごと全てが次のステージの階段のように感じる。

昨日と同じことでは死んでしまう。
明日の姿を夢想する。それが明日の姿を作る。
今やらなくていつやるか。不安を原動力に変えて、答えもわからない物事にこれが答えだと言い切る力。それは自分自身を信じる力だ。

もうすでに誰かの道からは外れている。
その一歩一歩を正解だと、答えだと、言い切れるのも自分しかいない。
猪木がいってたあれだ、あのーなんだ、らしく進め的なことだ。
それを正解にねじ伏せるのが大事なんだと思う。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。