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最後の教室を訪れる

 8月も終わりのある、蒸し暑い夏の日の午前、彼は新潟県十日町市に向けて車を走らせていた。
 車を運転しながら、彼はクリスチャン・ボルタンスキーの事を考えていた。
 彼がボルタンスキーの訃報を耳にしたのは、彼の死去から一ヶ月も経ってからの事だった。
 眠れない真夜中に、心臓音のアーカイブのことなどを考えている内に、次第に彼は疲労と絶望感の淵に沈み始めた。
 そのような死に方はまったくもってボルタンスキーらしいのではないか。そして今や彼の心臓の鼓動は完全に止まり、彼の眼差しが向いていた先へと自ら消えていった•••。
 ぼくは、と彼は考え続けた。
 思い返す価値のある記憶を失い続けている。区別のつかない毎日を過ごし、時間はこま切れにされ、経験はコード化され、死は文化によって巧妙に隠蔽されている。そんな生活が人生と言えるだろうか。経験すべきことを経験すべきではないか。死について絶えず考え続け、生が影によって多少なりとも立体的になるように、眼を開き続けるべきではないか。
 彼は動悸と吐き気で先まで進めなかった。

 我にかえるとすでに旧東川小学校に到着していた。
 山々に囲まれた小学校は想像していたよりもはるかに小さく、年季の入った外観で、一目で廃校とわかる様子をしていた。
 ボルタンスキーは2000年前後から、場の概念を取り入れたインスタレーション作品を積極的に手掛けるようになったと記憶しているが、記憶の探究を続けたボルタンスキーが、空間への認識を高めていった事は自然な成り行きのように思われる。
 記憶は、特定の場所と密接につながっているものである。実際、この土地と建物からは、長い年月をかけて染み付いた記憶が、ある種の磁場となって発散されているように感じられた。
 ボルタンスキーはこの土地が保持し続けている不定形な記憶を、普遍的な共通の記憶として留めるよう加工し、廃校全体を一つの作品としてまとめあげたと言うことができる。

 最後の教室を訪れる大人たちにとって、幼少期の記憶は個別的であるとともに、共通のものでもある。私たちはみな、一度は子供だったのだと、校内を歩きながら思い出す。その記憶は、同じ幼少期を過ごした限られた子ども達と共有されているが、それはとても心もとない記憶である。
 実際当時の友達が同じ記憶を同じ瞬間に思い起こすことが果たしてあるだろうか?
 当時のクラスメイトの内、今や消息の知れなくなった子ども達が、現在どのような生活をしているのか、私たちに知る由があるだろうか?
 昔のクラスメイトに数十年ぶりに再会したとして、その空白の時間を埋めることができるだろうか?
 おそらくすべて困難なことである。そして記憶の忘却と死とは似ているように思われた。彼はそんなことを考えながら取っ手に手を掛けた。

 扉を開けると体育館だった。
 乾草が敷き詰められた建物の中は、異様な熱気に包みこまれていた。そこでは適当に置かれた扇風機が勝手な方向に生ぬるい風を送り続け、天井からは裸電球が垂れ下がり、砂嵐のような白黒の映像が壁中に映し出されていた。彼は、廃校となった小学校に立っているわけではなくなりつつあった。そうではなくて、次第に過去の映像に入り込みながら記憶の旅を始めようとしているのだった。

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 体育館を抜けると、長く伸びた記憶の廊下が待ち受けていた。
 歩きながら、この光景は長いトンネルを車で走らせている時と似ている、と彼は感じた。しかし、明るい出口に抜けるトンネルとは違い、この廊下の先には、過去の薄暗い記憶が待ち受けている。単なる見かけ上の空間的な距離以上に、時間的な長さを感じさせる廊下を、彼は無言で辿っていった。

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 すると、かすかに聞こえていた地面を振動させる搏動が、階段の先で脈打っているのが、いよいよ鮮明に聞こえてきた。
 理科室では、その強烈な振動とともに電球が明滅していた。ボルタンスキーの心臓は、ここでまだ鼓動を続けている、と、そんなことを思いながら、彼は何とも言えない悲しい気持ちに襲われた。そしてその鼓動は、単にボルタンスキーだけのものではない。かつてこの廊下を走り、歓声を上げながら階段を駆け下りた小学生たちの鼓動でもあるのだ、と思った。そして今はもう闇の中に消えてしまったかつての子どもたちの影を追いかけるように、暗がりの奥へと歩みを進めていった。

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 音楽室では、壁中に黒い写真のようなものが掛けられていた。この黒い写真にはかつて、子ども達の笑顔が映っていたのか。それは今となってはわからない。覗き込んでみても、闇黒の中でおぼろげな彼自身の顔が映るばかりだった。

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 音楽室の奥では、誰のものともわからない小物や表彰状が、ラックに無秩序に収納されていた。遺品とも思われるこれらの物品は、使用者から完全に忘却されていた。なぜ取りに来ないのか、と彼はもどかしさを感じた。これらの小物の所有者は、未来に期待した以上のものを、過去に置き忘れてしまったように思われた。そして、と彼は考え続けた。ぼく自身も多くのものを置き去りにしきてしまっただろうし、中には、置き忘れてきたことすら忘れてしまっている事もあるだろう。避けがたい忘却の力だ。忘却は時に心を癒すこともあるが、貴重な瞬間を絶えず忘れ続けてもいるのだ、と。

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 この学校の中で、唯一、教室だけが明るくなっていた。天井からは白い布が垂れ下がり、かつて使用された学校の備品にも同じような布が被せられていた。
 おそらく、と彼は想像した。埃が被らないように布で覆っているのだろう。長い期間、使われることのない家具や置物に、布が被せられるのと同じように。そしてこれらの備品は、大切に保管されながらも、この先、人の手によって再び生気を取り戻すことはないのだ。
 また、ある教室では、椅子と机の代わりに、蛍光灯が透明なガラスケースに収められていた。それはすでに形を失った記憶であり、この学校で最も還元が進んでしまった、教室の、昔日の明るい日々の記憶であり、また、発光するそれらの記憶を収めた透明な棺桶なのではないか、と思われた。

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すべてを見終わった彼は、今は受付となった玄関から建物の外に放り出された。途端に鮮やかな夏の色彩が目に飛び込んできた。残暑の厳しい八月の昼下がり、灼けつくような日差しが降り注いでいた。蝉の鳴き声が充満し、近くの棚田では、すでに穂をつけ始めた稲が微風に揺れて輝いていた。


 彼は二度とこの夏に戻ってくることはないだろう。ボルタンスキーがこの世を去り、彼が最後の教室を訪れた夏はやがて過去のものになるだろう。そうして忘却の作用によって、細部から徐々に記憶が損なわれ、やがて闇の中に浮かぶ一点の夏の記憶となって、彼の心に刻まれるだろう。
 認めることだ、と彼は思った。記憶が徐々に失われていくことを。そして美化することなく、失われつつある過去を受け入れる必要があるだろう。それでも影のように残り続ける記憶の囁きに耳を傾けることによって、現在の生活は過去を映し出すものとなるだろう。そうして初めて、奪われた時間の価値を再び取り戻すことができるのかもしれない。





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