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【夢に関する考察】私の理論的(!)ネタ本、ハイデガー流の「現存在的夢解釈」について

で、このボス&ケニーという二人組が、ハイデガーに依拠しつつ提唱するのが、「現存在的夢分析」とでも言い得る立場でした。

私の立場から言うと、

夢世界に独自の位置を与え、

夢に出てくる登場人物たちを、あたかも現実世界における他人と同じように扱い、彼らと話し、彼らのメッセージを真摯に受け止めたい、

と考える私にとって、この夢解釈はとても、都合がよかった。

特に私にビビっときた論点を三つ抜き出しますと、

・「夢を見ている時の自分」と「現実で目覚めている時の自分」を切り離さず、どちらも「同じ実存であって、ただ、夢の中と現実の中では、存在の仕方(実存スタイル)が異なっているだけ」と考える

・夢を見ている間の実存は、「夢の世界の中に、世界内存在しているわけで、夢を見ている間の実存にとっては夢の世界は立派な「世界」である」と考える

・「夢の中に登場するキャラクターたちは、何かの象徴ではなく、「出会い、話を聞き、応答すべき他者」として現れる」と解釈する

これは、私の夢日記にとても都合がよい、夢理論でした。

特に、フロイトあたりを援用すると、私の夢に出てくるキャラクターは「父親の象徴」とか「母親の象徴」とか、ひどいときには「男性○器の象徴」とかに解釈されてしまうのですが、

そんな深層心理学系に真っ向から反論し、「夢の中のキャラクターはそのように現実の何かと置き換えられる記号ではなく、現実世界で向き合うべき他人たちと同じく、責任をもって向き合うべき他者」と断定したボス&ケニーは小気味よかった(フロイトとハイデガーのどちらがどれだけ正しいか、という大層な話を私がしているわけではありません、一人の夢日記作家の創作上、後者のほうがとても相性がよかったし、この理論を知ってから、より自由に夢日記を表現できるようになったという、あくまで私の経験談です)。

・・・ということは、

私は、今連載中の夢日記を通じて、いつかは、

この「私にとってあまりにも都合がよい夢解釈理論にも、いずれ創造的に反抗し、いずれは乗り越えていく」という必要があることになりますが、

そんな大層なテーマを扱えるのは、もう少し先になりそうです、と、今日の段階では率直に申し上げ、

ただただ、上の目標を忘れないようにしつつ、夢日記を通じての「探究」の日々に、引き続き邁進していく所存です!

▼参考文献▼

ちなみに、私は、ハイデガーの『存在と時間』は以下の翻訳で読み続けていますし、今でも、この細谷先生の翻訳が一番好きです。ただし、最近では他にも複数の日本語訳が出ているので、今の大学では別の翻訳のほうが定番なのかもしれない、すいませんそこは私もただのシロウト読書家でしかないので詳しくない、、、。ただ「超越的地平」とか「本来性」とか「存在論的優位」とか、私がハイデガー用語を使う時は完全に細谷先生の用語に依拠しており、これはもはや生涯変えられそうにない↓

ただしここまで言っておいてナンですが、やはり、ナチスとの関与疑惑などという重い爆弾も抱えているハイデガーは今日では評判が悪く、私としても「ハイデガー先生の言っていることはぜんぶ◎!」なんて態度で人に読んでほしくはない。現代の目から見て批判的に挑戦すべき哲学者かと思います、シロウトが批判するのは難しい、圧倒的カリスマがある理論の持ち主ですがね、、、私も焦らず、何年もかけて、ゆっくりとこの巨大な哲学者の影響を乗り越えていくつもりです、、、そしてその時、現象学とか哲学とかに詳しい発信者の多いnoteは本当に参考になる記事が多く有難い!


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!