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ドラマの深度が変わる視点の置きかた。『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』

視点をどこに置くか。
シナリオを書くうえで大切だと、新井一も『シナリオ作法論集』の中で言っています。

人生いろいろな見方があるものです。
よく言うのですが、忠臣蔵を書こうとするとき、大石蔵助の方からのゆき方もありますし、視点を全く変えて、吉良上野介の方から見た「裏返し」もあります。『シナリオ作法論集』p25より

2018年4月公開のチャン・フン監督、ソン・ガンホ主演『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』をいまさらながらAmazonプライムで観ていて、「視点ひとつで、観客を当事者にできちゃうんだ!」と思ったしだいです。

タクシー運転手あらすじ

この物語は、1980年5月に韓国でおこり、多数の死傷者を出した光州事件、それを取材したドイツ人記者とタクシー運転手の実話がベースだそうです。

1行にするとこんな感じかな。
『10万ウォンも家賃を滞納し、お金に困っている娘思いのソン・ガンホ演じるタクシー運転手は、「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」という契約のために、光州での民衆と軍の衝突、公安からの追跡に巻き込まれながらも、ドイツ人記者を安全に国外へと送り届ける話』

視点をどこに置くか

で、視点の話。

『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』は、実話がベースです。

本作は、ソウルのタクシー運転手の視点で物語が進行します。ドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター氏の視点、もしくは、光州で市民運動に参加している大学生ジェシクの視点からも描くことができるのに。

タクシー運転手『視点』だからこその効果

光州までタクシーを走らせるソウルのタクシー運転手キム・マンソプは、のんきそのもの。むしろ、大金が手に入ると思って、浮かれているくらい。

それもそのはず。光州については何もしりません。知っているのは、光州は学生運動が盛んで、一部暴徒化しているらしいという情報くらい。

これ、実は観客と同じ状態です。(光州事件のことを詳しく知っている方は別ですが)ぼくのようなのんきな人間は、光州事件について何の知識もありません。(これって、やばいのかな……)

光州の街に入ると、異様な光景がマンソプの目に飛び込んできます。商店街のシャッターは降ろされ、アジテートの落書きがされ、チラシやモノが道に散らばっています。

映画が進むにつれ、光州のふつうじゃない感がどんどんわかってきます。それはマンソプの視点を通して、観客に伝えられます。

でも、マンソプは言います。

「自分も徴兵にいったけど、軍が市民を弾圧なんてするわけがない」

同じように、ぼくもまだまだ半信半疑です。

そんな願いもむなしく、光州での軍の行動はエスカレートしていきます。市民に銃を向け、発砲する軍隊。無防備のまま倒れる市民の姿。

マンソプは、目を疑います。「こんなことがあるのか?」と。
ぼくも、目を疑います。「こんなことがあったのか?」と。

マンソプと同じように、ぼくも思います。
「こんな現実があるなんて……」

マンソプの震えは止まりません。ぼくも同じように震えます。

気楽な気持ちで光州に向かったマンソプの『視点』と、気楽な気持ちで映画を観たぼくの『視点』が、事件の一つ一つを『観る』ことを通して、当事者として重なり合うのです。

これが、『視点』の威力です。

事実をもとにした作品を書こうとすると、当事者の視点から考えがちです。それも一つの方法だと思います。
でも、当事者の外側の視点から描くこともできます。

マンソプ『視点』から描くからこそ、いつの間にか社会の不条理に巻き込まれていく可能性が、ぼくらにもあることを気づかせます。主体性をもって光州にいった新聞記者ピーター『視点』では決して描けません。

「権力が、ぼくらに銃口を向けるわけない」

と、はたして言い切れるのか。歴史は、そんなのんきさ、許しちゃいないんだぜ。っと、ソン・ガンホのあの笑顔が訴えてくるのです。

日本はホントに、平和な国といえるのかしら。


観る機会があれば、是非『香港画』もおススメです。

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