或る怪奇譚

 高貴な依頼人②


 女性の声の後に大きな扉が開き、我々はいよいよ逢坂の家に入ることになった。
 琳城は胸に手をやり、彼女に微笑んで軽く会釈する。と、私にもやれという目を寄越してきた。仕方なくその要求に応えたが、如何にもな紳士然とした行為は私の性には合わぬ。むず痒いものである。
 長らくこの屋敷には足を運んでいなかったのだが、屋敷の中は変わらぬ配置、以前に訪れた頃と全く変わっていないように思える。ただ、目の前の女性や奥に続く廊下の所々に立つ召使たちの面々を見るに、どうやら幾分か新しい風が吹き込んだようであった。

 廊下は長く、床には赤く細長い絨毯が敷かれている。琳城はゆったりと歩き始めた。

「……琳城、何故ややこしい嘘をついた」
「少佐、僕が訳も無く嘘をつくと思うかい」
「いや。とにかく後で理由を聞かせてもらうぞ」
「勿論。だが今は僕にただ合わせてほしい、お願いです」

 小声でやり取りをしている間に応接間にたどり着く。
 ドアが開かれると、中には私の親友である逢坂史文(おうさかあやふみ)が待っていた。逢坂は少し驚いた顔で目の前に並ぶ二つの顔を交互に見たが、我々の横をすり抜け駆け寄った女性から耳打ちをされて、理解したのであろう。「どうぞこちらに」と奥の開けた間にあるソファに案内した。逢坂が人払いをしたので、部屋には我々三人のみが残されることになった。

 おほん、と一つ咳払いをした後、琳城は舌先滑らかに話し始めた。

「『お久しぶりでございます』、逢坂様。こちらがご注文頂いた品でございます。以前ご紹介した際お話致しましたように、保存状態が非常に良く、当初の色遣いを残しております故、どうぞご自分の目でご確認ください」

 琳城が目で私の鞄を寄越すように言うので渋々手渡すと、その大きさに不似合いな音を立ててテーブルの上に乗せたが(わざとであろうか)、逢坂は特に意に介する様子もないようだった。
 逢坂は開かれた鞄の中をちらと覗くとすぐに、「ある物」を見つけたようだった。

「ああ……良いね。……とても良い。ありがとう。突然の我儘だったがよく聞いてくれたね。とても感謝している」
「いえ、こちらと致しましても逢坂様にご注文頂けて光栄でございます。さあ、どうぞ契約書にサインをお願い致します」
 
 琳城は懐から紙を取り出し、「ここに」と言いながらそこに並ぶ文字を指で差し示した。

 一瞬、逢坂の目がかっと開かれたのを私は見逃さなかった。

 と同時に、彼が申し訳ないような、だが安堵の色が窺える瞳で私を見つめたとき、私は悟った。
 今までの一連の流れを理解したのでは無い。それについては一度琳城に尋ねはしたものの、応接間に入った時に既に理解したつもりである。
 彼の、逢坂の心情が私を刺し通したのである。かつて私はあのような目をした彼を見たことが無かった。そして憂いに沈む彼を思い、涙を堪えねばならなくなった。

 ここに来るまでの道中、私は何故か苛立っていた。それはきっと、単に親しい友に隠し事をされたという事実のみから来る感情では無い。この苛立ちには恐らくーーー長年育んだ美しい友情という、一種の「ベール」で覆われた彼の隠し事を、琳城に容易く見破られたことへの虚しさも含まれていた。
 私は自らを罵りたくなる程狭量であった。

 ああ、なんということか!

 すぐ正面に座る年若き青年は、私と同じくその目に涙を浮かべている。
 その瞳は自らを不甲斐無く思う哀しさと、たった独り巨大な不安と闘い続けた心労、そして何より、暗闇の中で一筋の光明を探し当てた安堵を雄弁に物語っていた。私の心は狭く、無知であり、蒙昧であった!

 この若き青年の孤独を、ただ琳城だけが理解していたのである。彼に対する琳城の声色が、普段の細く張られた美しいものでは無く、傷ついた者を慰める温かさを纏ったものであることにも私は気付いていた。
 
 琳城は優しく、賢く、そして冷静であった。

「では逢坂様、また私共をお呼びくだされば嬉しく思います。……どうかご懇意に」
「また良い物を仕入れた時には是非とも知らせてくれ。今日は遠いところからありがとう」
 
 その声は震えていなかった。その両眼はしっかりと琳城を捉えていた。彼は気丈であった。
 私は逢坂と目を合わせることが出来なかった。
ーーーそして、琳城とも。
 
 部屋を出、玄関で女性に再び会釈をすると、我々は逢坂邸を後にした。

 出口の門へと続く一本道は、規則正しく並ぶ石畳で覆われている。硬い靴の裏から伝わるゴツゴツとした感触は、頑なであった私の心を揶揄しているように思えた。道の両端に植えられた木々の葉はところどころ色を変えている。
 

 心地良い秋風が生まれたての落ち葉を攫っていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?