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ある男

 無機質なアスファルトには血は通わない。その上をカツ、カツ、という足音が通り過ぎる。
 日が差す頃ははっきりと見えたであろう雨降りの跡も、今となってはジメジメとした気配でしか感じ取ることができない。街灯は不規則に点滅し、どこか不気味さを漂わせるのに一役買っていた。
「おい、こないだのマーティーの話は聞いたか」
片方の男が不意に切り出した。身長は190センチ近くあるだろうか。細みの長身に黒のコートが良く映えていた。右手には買ってから随分立つジッポが握られている。
「ああクソ」
何度も火を灯そうとするがうまくつかない。
「デルガドのジジイの件か」
もう一方の男が声を発した。
これを使え、と言ってトレンチコートの内ポケットから安物のライターを差し出す。
「ジジイ一人消すのに失敗してボスに殺されたとかいう」
「いや、違う、そんなんじゃない」
あの話はそんなことじゃあねぇんだよ、と長身の男は言う。
「マーティーの野郎が消されたのはそんな理由じゃねえ、ボスはメンツなんて気にしないだろ。結果だけ求める男だ。あんなジジイいつだって、誰がやったってすぐに消せる。あいつは別のところでやらかしたんだ」
「別のところ?なんだよ、もったいぶるな。簡潔に話せ。お前の話はいつも冗長だ」
「そう怒るなよ、ヨナス。『聞くことに早く、語ることに遅く』、だ。せかせかしてると幸運も気づかないで置いてっちまう」
「わかった、わかった。で、なんだ」
「ああ。一時期ボスのデスクに置いてあった木彫の人形を覚えてるか。あの気味の悪いやつだよ、三体揃いの。あいつ、ボスのいない時に勝手に入って、あの人形の配置を変えたんだ。左から奴隷の男、奴隷の女、ルンペンってな。ぱっと見りゃ全部同じ形をしてるが、よく見ると違いがわかる。それを知ったボスが激怒したんだよ。それで胸をぶち抜かれたって噂だぜ。デルガドの老いぼれは関係ねえんだ」
「人形なんてあったか」
「あったさ。たまにボスのやることは理解できねえ。普段は冷静沈着で、一から十まで効率的で非の打ち所のねえ判断をするってのに。たまにわからねえことをする」
「もしかしたら、それは何かのまじないだったのかもしれないな」
「ボスが、か?やらねぇだろ、そんな人間じゃない」
長身の男は立ち止まり、短くなった煙草を捨ててその火を足で踏み消した。
月の光も満足に差さない夜道にうっすらとタバコの白い煙が漂う。煙は冷たい空気を和らげると、すぐに西から吹いた風にさらわれていった。
「これは俺の予想なんだが」
長身の男の低い声が一段と小さくなった。
「暗号だったんだ、あの木彫の人形は。どの配置で何を表すか、詳しいことはわからねぇが、大体の見当はつく。多分あれは交渉のサインだ。ここ最近、スパイの噂があっただろう」
男たちの所属する組織には最近ある噂が流れていた。
『薬物売買の得意先にサツが紛れ込んでいる』
囮捜査というやつだ。
「今回の取引は特に用心してただろう。きっと取引役はボスからのその暗号で実行するかどうか決めるはずだったんだろうな。だがマーティーのバカは勝手に部屋に入ってその暗号を変えちまった。で、取引は失敗してマーティーは代償を払ったのさ。ボスも人が悪い。と言っても、誰も姿なんざ見たことねえけどな。お前は見たことあるか?ヨナス」
「いやあ、ない」
「だろ。それが一番の謎だよな。何で姿を見せねえのか」
「ふうん、なるほど暗号ね。お前、よくそんなに頭が回るな」
「へへ、俺はお前と違ってココでのし上がるのさ」
長身の男はトントンと右手の人差し指で自分の頭を叩いた。
その光景を見ながらヨナスは首を傾げる。

ーーー果たしてそんな単純なことなのだろうか。

 真実は他にあるように思えた。
 
 だがそれは俺達のような一介の子分風情が知っていいことなのか?







*


「なあよ、本当にこんなところにあるってのかよ、マーティー。こんな部屋に隠すかなぁ」
「バーカ、それだからお前は万年子分を抜け出せないのさ。ボスは姿を見せない。なぜだかわかるか」
「いや、全く」
「まあ理由はわからなくていいさ。俺達がいろいろと想像したところで、そればっかりはボスにしかわからないからな。だがな、わかることはある」
「何かわかったのか?」
「ああ。クソ、この棚にもないみたいだ」
マーティーが棚の扉を乱暴に閉める。だが建付けが悪いのか、棚は上手く閉まらずに片方だけ半開きになってしまった。それを見たもう片方の男が何度か閉めようとしたが、途中で諦めた。
「ボスは『俺達の中にいる』ってことさ。」
マーティーは振り返ってもう一人の男に顔を近づけ、聞き取れないほど小さな声で話しだした。
「なぜボスの部屋なのにボスがいない。なぜ俺たちはボスを見たことがない。いるんだよ、ボスは身近に。俺達のことを見張っている、誰が裏切りやすいのかを見ているんだ。」
マーティーは視線を左右にやって、誰かがいつの間にか忍び込んでいやしないかを気にした。
「いいか。俺達が手っ取り早く上に行くにはな、ボスを見極めるしか方法はねえ。見極めて弱みを握るか、上手く取り入るんだよ。そしてそのカギはこの部屋にある。ボスの秘密がな。」
「秘密?」
「ああ。俺達下っ端は皆、寝食を共にする仲だ。誰がどこに好んで行くかなんて全部お見通しさ。行きつけのバーやレストランに自分の秘密を隠すバカがどこにいる?それにそんなことは不可能だ。それには少なからず店員の協力が必要だからな。協力者を増やすとボロが出やすくなる」
「ああ、だから……」
「そうだ。『ココ』はどの野郎も絶対に訪れる。だが俺とお前も含めて皆、ここに来る理由はひとつ。自分への命令を知ること、それだけ。そこのくっせえコルクボードに刺さったボス直筆の紙を見に来るだけだ。そんな目的の決まった場所を一体誰が調べる?誰も調べないさ」
マーティーは部屋の一番奥にあるテーブルに向かって歩いた。
「見ろよ、こんなものが置いてある」
木彫の人形が三つ並んでいる。見るとそれぞれ微妙に違い、右から男、女、そして一番左の人形はどこかで見た乞食に似ていた。
彼はそれを手にとって観察し始めた。
「ん、こいつは」
中からカサカサという音がした。
「マーティー、やっぱりよそうぜこんなこと。俺は怖い、ボスを知るのが怖い。ボスなんか知らなくたって俺はいい、毎日飯が食えて寝床があればそれでいいんだ。やめようぜマーティー、俺達はきっと知っちゃならねえんだ」
「うるさいぞティズ、この腰抜け。俺は突き止めるぞ、もうこんな生活はうんざりだからな」
どうやら先ほど確かめたルンペンの人形以外には中に何も入っていないようだった。
「こいつが教えてくれる、ボスの秘密をな」
ルンペンの人形をよく見ると、頭が取れるようになっている。
中には丸められた紙が入っていた。
「どれ……」
小さな紙を開き、マーティーは何が書かれているのかをその両目で見た。
「お、おい、どういうことだこれは」










*


「なぁ、本当に何も聞いてねえのか?あんなに噂になってたのによ」
長身の男がヨナスに問いかけた。
「いや、知らなかったよ。俺はそういう情報に疎いんだ。お前も知ってるだろ。それに知ってどうということはない噂なんだ、別にいいだろ」
「まあ、それもそうだな。お前のそういう脳天気なところが羨ましいぜ」
二人は公園の入り口に到着した。ここでいつも解散する手はずになっている。解散、と言ってもねぐらは同じなのだが。
「ま、せいぜい俺にできることと言ったら、ボスの怒りを買わないようにすることだけだな。狙撃も脅しも尾行も下手クソだしよ。万が一お前が幹部にでもなった時はよろしく頼むよ」
ヨナスは長身の男に言うと、男は笑って返す。
「万が一ってのは腑に落ちねえなぁ。そいつはお前の目の前のボスに向かって失礼ってもんだぜ」
「バーカ」
ヨナスは笑いながら公園の入り口に向かって右の方向に歩きだした。男の足音は背後を遠のいていく。
ヨナスは不意に思い出した。
「あぁ、ライターを返してもらうのを忘れた」
あれがないと煙草一本吸えやしない。







*


 マーティーが取り出した、丸められた紙の中には、『何も書かれていなかった』。
「どうなってんだ、なんでこんなものをわざわざ人形の中に入れる必要がある」
マーティーは狼狽した。
「もしかして他にも見たやつがいたってのかよ、クソッ」
先に見たヤツがきっと中身を取り替えたのだ。
最後に調べたこのテーブルにも結局求めていた情報はなかった。というより、誰かに出し抜かれてしまった、という方が正しい。
「行くぞ、ティズ。もうここに用はねえ」
「ああ」
ティズの声色は先ほどと違ってしっかりとしていた。
ボスの秘密を知らずに済んだことがそんなにホッとしたかよ、このド阿呆が。
 マーティーは男を背にテーブルを一度ドン、と力任せに叩くとドアの方向に振り向いた。
「どうした、ティズ。行くぞ」
男はじっとテーブルの方を向いて動かない。
「何か見つけたのか」
マーティーの問いかけにも返事をする気配はない。
「……たぞ」
「何?」
「俺は警告したぞ、マーティー。だがお前は聞かなかった」
「えっ?」
ティズの不自然に膨らんだコートから聞こえた、ぱしゅっという気の抜けた音ーーーマーティーは自分がいつの間にか仰向けに倒れていることに気づいた。左胸が熱い。何か液体がジワッと胸にまとわりついたかと思うと、流れ落ちていく。視界はみるみるうちに霞んでいった。
「な、なんで」
上から『ティズ』の顔が覗いた。
ーーーー全く俺の知らない顔をしている。
「なぜ『誰もボスを見たことがないか』知ってるか」
『ティズ』がグイッとその顔を近くに寄せる。
こいつ、こんな小綺麗な顔をしてやがったっけ。
「なあ」
もう一度開かれる口。
「なぜ『誰もボスを見たことがないか』知ってるか」
『ティズ』の閉じられた目が不自然に開かれる。
現れたのは歪な二つの『穴』。
それはぽっかりと開いた底無しの闇のようだった。






*


「おい、ライター返せよ」
ヨナスが長身の男に声をかける。
「ああ、すまん。すっかり忘れてたぜ」
男は懐から借りたライターを取り出すとヨナスに渡した。
ふと、ヨナスはさっき聞いたマーティーの話を思い出した。

ーーーーどうしてあんな噂が広まったのか。
仮に人形が暗号だったとして、単純すぎやしないか。そんな簡単なものを大事な取引のメッセージのために普通使うか?
マーティーが勝手に部屋に入ったという話だが、なぜそれだけで『マーティーが人形を触った』、そして『それがボスの怒りを買った』と限定できる?他にもたくさんの下っ端が出入りするはずだ。そしてあの部屋には監視カメラなどついていやしない。
『人形の並びが変わった』というのはよく考えればおかしい。元の並びを知らなければ『変わった』なんてわかるだろうか。あの部屋に入って人形の並びを気にする男が何人いる?みな粗野で、自分と同じような馬鹿ばかりだ。

きっとあの場にはもう一人いたんだ。
そしてマーティーが『なにかやらかした』のを見ていたのだろう。その男があいつを手に掛けた、と考えるとすべての疑問が解決する。だとしたらその男が…………


「なあ、あの噂、誰から聞いたんだ」
「ええと、誰だったか……確か……」
ヨナスは息を呑んだ。
そいつがマーティーを殺した男とは限らないが、俺たち下っ端の人数なんてたかが知れている、噂の発信源を辿っていけば数人に絞ることはできるだろう。
「だめだ、思い出せねえや。それがどうしたのか?」
なんとも使えないヤツだ。
「いや、なんとなく気になってな」
まあ、ほかから聞けばいいことだ、まだ望みが絶たれたわけではない。
「そうか。じゃあな」
男は不思議そうな顔をしてまた元の方向へと歩きだした。
ヨナスはその後ろ姿を見つめながらほくそ笑んだ。
ーーーーうまく行けばみんなを出し抜いて俺が幹部とやらになれるかもしれないな。

すると突然、目の前の男が振り向いて笑った。

「なあヨナス、なぜ『誰もボスを見たことがないか』知ってるか」

月に照らされた顔は確かに微笑んでいた。しかし、同時に憂いを含んでいるようにも見えた。
男がゆっくりと口を開く…………


それはまるで底無しの闇のように見えた。

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