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Jazzy Hip Hopとはなんだったのか?【ヒップホップ】【ジャズ】

はじめに

現在、「ジャズ・ヒップホップ Jazz Hip Hop」、「ジャジー・ヒップホップ Jazzy Hip Hop」、「ジャズ・ラップ Jazz Rap」、「チル・ホップ Chill Hop」、「ローファイ Lo-fi」とジャズとヒップホップの融合を想起させる音楽が多数ある。これを整理するために、ここで「ジャジー・ヒップホップ」とはなんだったのか?について問うていきたい。

しばしば、ジャジー・ヒップホップと言われる音楽は「ジャズとヒップホップのハイブリッド」と言われることがある。しかし、この特徴づけがジャジー・ヒップホップを正しく言い表しているとは限らない。なかにはジャズとは関係なさそうなものもある。そもそもヒップホップは、ジャジー・ヒップホップなるサブジャンルが成立するはるか前からジャズの影響を受けて来た——スパイク・リーの『モ・ベター・ブルース Mo' Better Blues』のエンディングで流れる「ギャング・スター Gang Starr」の「Jazz Thing ジャズ・シング」なんて90年の作品だ*1。ヒップホップが既存の音楽を下敷きにした再構築の音楽であるならば、そこにはジャズも含まれる。であるならば、ここでわざわざ使用されるこの「ジャジー」という形容詞はなにを指しているのだろうか?

もちろんこの問いに応えるのはある程度ヒップホップにかんする前提を書かなければならない。そのため以下に読む人によっては冗長にも思えるかもしれないし、さらっとした歴史の再確認にもなるかもしれない。面倒臭い場合は「では、なぜ「ジャジー」なのか?あるいはなにが「ジャジー」なのか?」を読んでもらえればよい。あるいは、ここで問いの応えを書くならばここで言われている「ジャジー」とは、特定のヒップホップの流儀における「美意識」や「美的感覚」を指している、と結論を要約できる。いずれにせよ、最初の問いは、ジャズに関連したヒップホップの歴史としても、また現在のポップ・ミュージックを考える上でも重要な問いである。

以下では日本語以外の人名はカタカナで表記し、半角括弧 ()でステージ・ネームを表記する。ジャンル名、グループ名、あるいは強調などは鉤括弧「」で表示する。ジャンル名とグループ名は鉤括弧「」のなかにその英語名を載せた。作品名は二重鉤括弧『』で表記し、またその中にオリジナルのタイトルを入れた。
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ジャズ・ヒップホップあるいはジャジー・ヒップホップ

さて、ジャズ・ヒップホップ、あるいはジャジー・ヒップホップにはいくつかの意味が担われている。

ヒップホップのジャズ解釈

最初に、ヒップホップにジャズを取り入れた音楽ということができる。たとえば、冒頭に出てきたスパイク・リーの映画を思い返すといいだろう。89年に公開された『ドゥー・ザ・ライト・シング Do the right thing』はヒップホップのミドル・スクールの時期の映画だ。その映画のサントラとして、当時のトップ・グループだった「パブリック・エネミー Public Enemy」もトップのジャズ・ミュージシャンのブランフォード・マルサリス(Branford Marsalis)と共演している曲が使用されている。*2 

ジャズのヒップホップ解釈

第二に、ジャズのミュージシャンがヒップホップを取り入れた音楽を指す。マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の最後のスタジオアルバムの『Doo-Bop ドゥー・バップ』(1992, Warner)もこれ。あとはロニー・ジョーダン (Ronny Jordan)や「バックショット・ルフォンク Buckshot LeFonque」といったアーティストも挙げることができる。だいたい91年以降の作品が多い。

このように「ジャズとヒップホップのハイブリッド」という特徴づけはいま見た2つを指し示してしまう。

ヒップホップのジャズ解釈

もちろん、ここで問題にしたいのは「ヒップホップのジャズ解釈」。だけど、この「ヒップホップのジャズ解釈」は一枚岩ではまったくない。なぜならヒップホップのジャズ解釈はさらに以下のように分かれるからだ。

ジャズ・ラップ:オルタナティブ・ヒップホップ

まず挙げられるのは1980年代後半から起こった「ジャズ・ラップ Jazz Rap」。このジャズ・ラップは現在、日本で使われている意味でのジャジー・ヒップホップとはほとんど無関係である。このジャズ・ラップは、ジャズをサンプリングして新しいヒップ・ホップを構築した、80年代後半からその当時のメインストリームのヒップホップからのオルタナティブであった。ジャズの使用は、当時普通であったファンクやディスコからのサンプリングではないという意味で、当時における新鮮さであると同時に、ブラック・ミュージックの回帰としても機能している。歌詞の中にもムスリムであることを明確に述べるなど、これまでのヒップホップとは違った音楽性を持っていた。つまり、黒人のコミュニティから発展したジャズをサンプリングに使用することは、ヒップホップをそのようなアメリカ音楽史、そしてアフリカから続くブラック・カルチャー史の中に埋め込むことをしているのである。

さて、ジャズ・ラップというのはギャング・スター Gang Starr」に対する特徴づけであった。*3 たとえば映画『モ・ベター・ブルース』で使用される「ジャズ・シング Jazz Thing」(1990, Columbia/CBS)や『ステップ・イン・ジ・アリーナ Step In the Arena』(1990/1991, Chrysalis/EMI Records)に収録された「フーズ・ゴナ・テイク・ザ・ウェイト Who's Gonna Take the Weight?」といった曲がビートメイクにジャズを使用していること、そしてスモーキーでいなたいラップが、その例としてわかりやすい(ちなみに、「フーズ・ゴナ〜」というタイトルは「クール&ザ・ギャング Kool & the Gang」からの曲の引用)。さらにこういった流れがジャズのヒップホップ解釈に影響を与えたということは想像しやすい。

同時に「ネイティブ・タン Native Tongues」と呼ばれる一派もジャズを頻繁にサンプリングをしている。*4 この一派の「ア・トライブ・コールド・クエスト A Tribe Called Quest」はブルーノート・レーベルの重鎮ロン・カーター (Ron Carter)を自分たちの2枚目のアルバム『ロウ・エンド・セオリー The Low End Theory』(1991, Jive) に参加させるなど、ジャズとの距離がとても近い。同時に、トライブは、ジャズを「ブラック・ミュージック回帰」の道具立ての一つとしても位置付け、この流れは2000年代のコモン (Common) やカニエ・ウェスト (Kanye West)、そして2010年代のケンドリック・ラマー (Kendrick Lamar)にも通じている。

ブレークビーツ:世界の各地域で起こった展開

ここで言われる「 ブレイクビーツ Breakbeats」は、90年代半ばからの「アンダーグラウンド・シーン」から出て来たオルタナティブ・ヒップホップを指す。ジャズやファンク、ソウル、ロック、映画音楽などありとあらゆる音楽を使用し、それを複雑にかつ有機的に組み合わせた音楽であった。80年代以降、ヒップホップが市民権を得て、さらに世界に広まった。ヒップホップは、ラップももちろん重要ではあるが、そのトラックも重要な要素の一つである。ラップではなく、ビートによってヒップホップを表現する流れが世界各国であり、オリジナリティの表現のためにさまざまな音楽がヒップホップに使用されたのだった。たとえば「Trip Hop トリップホップ」や「ダウンテンポ Down Tempo」と呼ばれる音楽もその流れに位置づけられる。*5

このブレイクビーツの流れにはさらにいくつか流れがある。ここではいくつかの例を見てみよう。

第一に、ヒップホップからジャズを再構築するブレイクビーツを挙げることができる。ブレイクビーツの流れは2000年代前半から顕著である。代表とも言えるのは、間違いなくマッドリブ (Madlib) だろう。なんといってもマッドリブの名を世界にとどろかせた『シェイズ・オブ・ブルー Shades of Blue』(2001, Bluenote)が重要である。この作品でかれは、ジャズ・レーベルであるブルーノートからすべての音源のアクセスを許され、サンプリングに生の楽器を組み合わせることでまったく新しい「ジャズ解釈」を行った。この作品が世界にかれの名前を知らしめた。また、マッドリブは、ソロ名義のほかにも、「イエスタデイズ・ニュー・クインテット Yesterday’s New Quintet」、「ザ・ラスト・エレクトロ-アコースティック・スペース・ジャズ・アンド・パーカッション・アンサンブル The Last Electro-Accooustic Space Jazz & Percussion Ensemble」、「サウンド・ディレクション Sound Direction」、ジャクソン・コンティ(Jackson Conti)などたくさんの名義を使い分けて、それぞれの名義から想起される音楽に志向してヒップホップに基づいたジャズを作り上げている。これらの作品群は、ヒップホップのジャズ的展開と言えるようなもので、まさに機械のエラーやサンプリングと生演奏の統合による偶発的な音などの実験性によってジャズの空気感や精神性を表現している。

第二に、ダンス・ミュージックとしてのジャズの再評価を挙げることができる。イギリスの「Us3」もブルーノートからのサンプリング許可を前面に得ており、彼らのファーストアルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ Hand on the Torch』(1993, Bluenote)はブレイクビーツのなかでもとくに踊れることに志向していた。ここにイギリスとアメリカのジャズ感の違いも見出せるかもしれない。アメリカではジャズのサウンドだけではなく精神性を見出しているけれども、イギリスではダンス・ミュージックとしてのジャズの再評価と言えるかもしれない。これについては、とても興味深いテーマであるので、別項で展開したい。

第三に、トラック・メーカーおよびビート・メーカー文化に位置付けるブレイクビーツを挙げることができ、ここではとくにジェイ・ディラ(J Dilla)ヌジャベス(Nujabes)に言及したい。両方故人である。 わたしの世代だと両者が並列されることなんてあまりなかった。近年ではしばしば両者が並列されて語られるというかたちで再評価されている。その結果、両者が現在のジャジーヒップホップやローファイなどのルーツとして見直されているように思う。さしあたり、この文章の目的である「ジャジーとは何であるか」を考えることは、この再評価はなんであるのかを問うことに連関している。

まず、ジェイ・ディラは、硬質なビートや複雑に展開したブレイクビーツとうねるような音が特徴的なヒップホップを展開した。さきほどのJazz Rapの流れもあるけど、インストとしてのヒップホップのアメリカにおける展開という点を強調しておきたい。アメリカ音楽における音楽的貢献が非常に大きく、かれがディクターとしてかかわった音楽がベストセラーになり、現代ジャズのミュージシャンもディラの作ったビートを模倣している。*6 その意味で、かれが作り出すビートは、ジャズ史にも位置付けられるのだ。ちなみにかれの前期の作品は柔らかい音のなかに展開される硬質なビートが特徴的であった。かれが参加していた「スラム・ヴィレッジ Slum Villege」の「ルック・オブ・ラブ Look of Love」(2000, GoodVibe)や、ソロ・アルバム『ウェルカム・トゥ・デトロイト Welcome 2 Detroit』(2001, BBE)のなかの曲を聴いてもらえば理解しやすいだろう。中期から後期はマッドリブとも違うインストのヒップホップを探求しており、コラージュ作品のように一つ一つの音が重なりあった「うねり」を実験的に生み出している。かれの生前最後のアルバムである『ドーナッツ Donuts』(2006, Stones Throw)にて展開されている音だ。それと同時に、『ドーナツ』と同時期あるいは時期をかぶって作られ、かれの逝去後に発売された『ザ・シャイニング The Shining』(2006, BBE)においては、これまで聴いてきたようなディラのビートの上に独自の浮遊感を持たせた上物を埋め込んでおり、まさにディラの音楽の集大成の音を作り上げている。

もう一人は、美しさをブレイクビーツで表現したヌジャベスである。2000年代を代表する日本人。ヌジャベスはとくにメロウなメロディや鍵盤、管楽器そして弦楽器の印象的なフレーズをビートメイクに積極的に使った。そういったサンプルは、フック(サビ)に使用されることが多かったが、ヌジャベスはそれらをヴァースや曲全体にも積極的に使った。その結果、かれの作るトラックには独特の美しさや聴きやすさがもたらされた。また、ヌジャベスは、これまであまり見向きされなかったスピリチュアル・ジャズに市民権を持たせたうちの一人としても重要である(ほかには間違いなくジャイルス・ピーターソンとMUROさんだろう)。そういった音は1枚目の『メタフォリカル・ミュージック Metaphorical Music』(2003, Hydeout Productions)や『モダル・ソウル Modal Soul』(2005, Hydeout Productions)で耳にすることができる。ヌジャベスのトラックは、いま聴けば「大ネタ」の「まんま使い」と捉えられる曲もあるかもしれない。が、ヌジャベスは、まさしくそのようなネタを「大ネタ」にした人物である。かれは自分が掘った音楽に見出された美しさを自分のプロダクションのなかで使い続け、それによってヒップホップの「美しさ」という側面を表現していたのだった。

そして、この2人は「ヒップホップの可能な展開としてのジャズ」を乗り越えた新しいヒップホップとして位置づけることができる。この二人を並列させることによって可能になるのが、近年展開されているローファイに通じる「ジャジー」にほかならない。*7

ジャジー・ヒップホップ: ジャズが指す意味の拡大

さて、日本においてヌジャベスから大きく影響を受けた「ジャジー・ヒップホップJazzy Hip Hop」というジャンルが起こった。2005年前後の話である。日本の「グーントラックス GOONTRAX」の『イン・ヤ・メロー・トーン In Ya Mellow Tone』シリーズやヌジャベスの「ハイドアウト・プロダクションズ Hydeout Productions」といったレーベルが発表した作品や、フランスの「ジャズ・リベレーターズ Jazz Liberatorz 」、アメリカのファンキーDL (Funky DL)といったアーティストを挙げることができる。おそらくかれらが作った音楽を形容する表現としてのジャジー・ヒップホップが現在の日本においてもっとも使用されている。だが、ヌジャベスもディラも必ずしも「ジャジー」ヒップホップではなかったし、ましてや最近言われているローファイやチル・ホップでも決してなかった。なぜなら、ヌジャベスやディラが見出した「浮遊感」や「ジャズ」「美しさ」の要素もかれらが作り出した音楽の一部分だけでしかないからだ。

さて、ヌジャベスから大きく影響を受けた「ジャジー・ヒップホップ」ではあるが、これらの音楽にはそもそも「ジャズ」を感じさせるものが必ずしも多くはない。

では、なぜ「ジャジー」なのか?あるいはなにが「ジャジー」なのか?

ジャジー・ヒップホップとはなにかを理解する上では、まさに「ジャジー」という形容詞がなによりのポイントになっている。この「ジャジー」とは「〜な感じ」という感覚をあらわしている。言い換えれば「おしゃれな」や「美的感覚」と近い。

これにかんしては、べつの歴史を振り返る必要がある。これまで日本や世界には「コンピレーション・アルバム」文化があった。ただのコンピレーションではなく、ジャンルをまたいだ音楽にさまざまな特徴づけをしてコンパイルすることで古い音楽の発掘と新しい音楽の開拓をしていた。代表的なのは橋本徹によってそれまでのジャズ、ソウル、ファンクを見直した「フリーソウル」、これまで評価されなった過去の音楽の発掘のムーブメントの「レア・グルーヴ」、鈴木カツと宇田和弘を中心にスイング感のある新旧のアコースティック・ミュージックを捉え直す「アコースティック・スイング」などがある。それぞれのコンピレーションに納めされた音楽はそれぞれ「フリー感」「ソウルフル」、「グルーヴィー」、「グルーヴ感」、「スイング感」、「スインギン」と形容された。*8

たとえばアコースティック・スイングを例に取ると、実際にジャズではない作品も見られるし、そもそもスウィングしていないものもある。ではこの場合のスウィングとはなにか?それは、ロック以前の音楽に志向した空気感や「感じ」をあらわしている表現にほかならない。これはまさに「ロックしている」というような形容のように、褒め言葉として使用されている(たとえば破天荒なエピソードを聞いて「ロックだなあ」というように)。ほかの「ソウルフル」や「グルーヴ」も同様で、「感じ」を表している。おそらくそれぞれの表現から連想される「感じ」はなんとなくあるだろう。その意味でこれらの表現は、特定のジャンルにもとづいた「美的感覚」に近い。

これに鑑みて再び「ジャジー」を見てみよう。実際に、イン・ヤ・メロー・トーンのコンピに入っているような音楽家の作品を聴いていると、ヌジャベスが行ったような「メロウなメロディや印象的な高音のフレーズを全体に使用」していることがわかる。必ずしもサンプリングをしていない場合があるが、それでもその展開の仕方やビートはヒップホップに由来している。であるならば、ジャジー・ヒップホップのジャジーとは「ヌジャベス(や最晩期のジェイ・ディラ)が行った方法論で構築する美的感覚」と特徴づけることができ、ジャジー・ヒップホップとはそのような美的感覚に志向した音楽と言える。だから、この場合の「ジャジー」とは「ジャズ風」の意味ではない。このような特徴づけに基づいてゆるく連なっているのがジャジー・ヒップホップである。ジャジー・ヒップホップを聴いているとしばしば感じられる「美しさ」は、ヌジャベスが私たちに見せてくれた彼の美意識を踏まえたものだ。「こうした意味合いでのジャジー」はディラの音楽をも同じスタイルとして取り込んでしまうのだ。言い換えれば、先述したようなジャジー・ヒップホップのミュージシャンが必ずしもディラから影響を受けていなくても、ヌジャベスとディラを並列するヒップホップ史観においては、同じ「ジャジー」というカテゴリーのもとでディラ、ヌジャベス、「リ・プラス Re:plus」や「ヒデタケ・タカヤマ HIDETAKE TAKAYAMA」と言ったアーティストを見ることが可能になる。

ジャジー・ヒップホップをどのようにヒップホップ史に位置付けるのかは少し難しい。が、少なくともヌジャベスという音楽家を軸にするとわかりやすい。他方で、「ジャジー・ヒップホップはもはやヒップホップではない」という命題に出くわすことがある。それは、多くのジャジー・ヒップホップにはハードコア、スモーキーさ、そしてディラのような実験性が見られないからだ。しかし、だからと言ってそのことがただちにジャジー・ヒップホップをヒップホップでなくならせるわけではないだろう。

おわりに

美しさに志向したジャジー・ヒップホップからラフさに志向した「チル・ホップ」や「ローファイ」に流れるのだが、さすがに扱うことはできなかった。情報量が膨大になってしまうし、なによりわたしが大変だからだ(それらをまとめようとした形跡は一応以下のプレイリストに残しておいた)。ディラを絡めて論じようと思ったのだが、結論から言うと、ローファイが成り立ったのはディラの実験性だけではなく、なによりディラも得意としていた「レイドバック」というリズムの手法を取り入れたことにある。そこにはもちろんYouTubeなどのプラットフォームも関係しているし、ヴェイパーウェイブも関係している。

ちなみにわたしはディラが大好きだ。ヌジャベスも聴いてたけれども、やっぱりディラやマッドリブといった音楽家やかれらのサンプリング・ソースが大好きだった(というか最近ヌジャベスとディラが並列されて語られるけど、少なくとも2002年から2015年の間のわたしがもっともヒップホップを真剣に聴いていた時期には、もしかしたら自分のコミュニティだけかもしれないけれど、両者が並列されて語られることはなかったように思う。だから最近二人が並列して語られると結構驚く。え?全然違うじゃんって感じ)。ディラがサンプルした音楽は積極的に聴いたし、かれが関係する音楽はよく聴いた。最近、ローファイ・ヒップホップを以前にも増して耳に(目に)するようになって、同時にジャジー・ヒップホップも再注目されているように思う。だからこそ、ここでもう一度「ジャジーとは」について確認してみたくなった。

これにかんする資料として読んだ方がいいな、と思うものはいろいろあった。原雅明の『Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって』(現在読了)や柳樂光隆の『Jazz The New Chapter~ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平』(現在読了)、ダン・チャーナス(Dan Charnas)の『ディラ・タイム Dilla Time: The Life and Afterlife of J Dilla, the Hip-Hop Producer Who Reinvented Rhythm』(現在読了)、そしてのジョーダン・ファーガソン (Jordan Fargason)の 『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命 J Dilla's Donuts 』の4つだ。恥ずかしながら、どれも未読である。これらを読んで見識を深め、またの機会にヒップホップとジャズの関係について書いてみたい。

*1
『モ・ベター・ブルース』はジャズ青年が真実の愛を見つける話で、エンド・ロールにギャング・スターの「ジャズ・シング Jazz Thing」が使用されている。

*2
『ドゥー・ザ・ライト・シング』はニューヨークのブルックリンにおける人種差別と対立を扱った映画。まさにロサンゼルス暴動を予見したような内容になっている。

*3
ギャング・スターは、DJ兼トラック・メーカーのDJプレミア(DJ Premier)とMCのグールー(Guru)からなるヒップホップ・デュオで、プレミアのミニマムなループとグールーのスモーキーなラップが特徴的。グールーは『ジャズマタズ Jazzmatazz』(1993, Chrysalis)という作品でジャズとヒップホップをきわめて上手に融合させている。ボリューム4まであり、多くのジャズ・ミュージシャンが参加している。プレミアは本文に書いた「バックショット・ルフォンク」をジャズ・ミュージシャンやジャズを愛好するヒップホップ・ミュージシャンと結成した。

*4
「ジャングル・ブラザーズ Jungle Brothers」、「デ・ラ・ソウル De La SOUL」、「ア・トライブ・コールド・クエスト A Tribe Called Quest」などが含まれる一派。ニューヨークのブルックリンやクイーンズではなく、むしろ中産階級の地域にて発展。
ネイティブ・タン以外だと、ピート・ロックやラージ・プロフェッサー、MUROといったビートメイカーや、DITCといったクルーも挙げておきたい。また「Rhymester ライムスター」の「耳ヲ貸スベキ」はATCQやジャズ・ネタ使いの展開がなかったら出なかったんじゃないかと思う。

*5
たとえばイギリスの「マッシヴ・アタック Massive Attack」や「ポーティスヘッド Portishead」やアメリカのDJシャドウ (DJ Shadow)、日本のDJクラッシュ (DJ Krush)もトリップホップに含まれる。ただし、DJシャドウとDJクラッシュはブレイクビーツにも含まれるが煩雑になるので便宜上こちらに含んだ。

*6
前者はコモンの『ライク・ウォーター・フォー・チョコレート Like Water For Chocolate』やディアンジェロ (D'angelo)の『ヴードゥー Voodoo』を挙げることができ、後者はロバート・グラスパー (Robert Glasper)の諸作品に見出すことができる。またフライング・ロータス(Flying Lotus)の作品ももちろんである。プロデュース作品やディラの名前がクレジットされた作品をめぐるのは途方もない作業なので、いくつか挙げるにとどめる。
またディラの音楽はロックにも影響を与えている。ジョン・メイヤー(John Mayer)の作品はその最たる例。

*7
いくつかほかにも音楽家を挙げたい。名前を列挙するだけになってしまうが、日本の「ブッダ・ブランド Buddah Brand」のデヴ・ラージ (Dev Large)や、MFドゥーム(MF DOOM)も極めて重要な人物である。


*8
もちろん80年代そして最近の「シティポップ」もその流れに位置付けられる。まさにソウルやR&B、ジャズなどから影響を受けた「都会的」なポップスである。

さて、時間がある時にツラツラと書いていたら、思ったほど大容量になってしまった。連載とかそういう企画にしたら楽しんだけど、とにかく自分が聴いてきた音楽に対する敬意を込めて一気に発表したい。それなりに時間をかけて書いたのでもしよかったら投げ銭してもらえると励みになります。いただいたお金はわたしの音楽ライフに活用させていただきます。
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