見出し画像

廻り往くもの、廻り来たるもの

夏が終わり、この南東北の地では秋も深まるというか、もはや冬の気配がする。
先日、地域住民が車のタイヤ交換をする時期を決める目安の山(雪国にはあるのだ。「◯◯山に降ったぞ、そろそろ交換するべ」という山が)がとうとう初冠雪、との報を聞いた。来るのか雪、降るのかまた。またか、そうか…。
アラフォーはすっかり雪を厄介者扱いをしてしまっていて、子ども達が目を輝かせるのを眩しく思っている。
今日は好きな季節の話をしたい。

そうか、これは段落なのね。
改行と段落か、うん、覚えたぞ。
最初の記事はブラウザから書いたんだった。
そしてこれはアプリから。

秋が好きだ。何たって美味しい。
米も芋も果物も全部が美味しい季節で、私は毎年馬でもないのに肥えていく。だって美味しいのだ、仕方ない。
市販のお菓子だって、盛夏を過ぎればチョコの種類が増えてくる。ケーキ屋さんでは美味しそうなフルーツタルトが並ぶし。
夕焼けが綺麗に見えるのも良い。
月も星も綺麗だ。とても良い。

秋の夜長、という言葉がある。今は子ども達の就寝に合わせて寝落ちする日々だが、夜更かしが好きだった。読書、映画、音楽、日記を書いたり、撮った写真を眺めたり、自分の世界に没頭した。
大学生の頃は、自由な時間を大いに使って歩き回ったものだった。横浜に住んでいたので、電車に乗ってショッピングモールを覗いたり、周辺を散策したり、イベントに参加したり。地方出身者には何もかもが楽しくて、素敵なものに見えた。
冬の近づく秋の夜はその素敵な世界の象徴だった。
秋が好きだ。

逆に苦手な季節はというと、時間帯も含めてなのだけど、冬の夕方だ。
東北の冬の天気はほぼ雪だ。雪空というのは灰白色で、どんよりと閉塞感がある。そして夕方暗くなるのがやたらと早い。16時半なんて車のライトが必須なのだ。
私が小学生の頃は今よりだいぶ子どもの一人歩きが多かったし、私も徒歩15分の書店、徒歩30分の市立図書館に足繁く通った。自転車は古いお下がりで恥ずかしかったのもあったのだが。そんな帰り道、ただでさえ薄暗い空がどんどん夜の色を濃くしていくのにつれ、早く帰らねばという焦燥感と、車のライトと走行音とで増していく危機感と不安感が、もう車を運転するようになって久しいのに脳裏に浮かぶのだ。
そしてひたすらに寒い。別段貧しくはなかったのだけど、うちの家族というのは何だか気の利かないというか、放任主義というか、何と言えばいいのか困ってしまうのだけど、子どものことに無頓着に見えることがある。そのせいなのか否か、長靴が防寒防水の意味を成さず、私はよく足の小指に霜焼けをつくった。霜焼けがじんじんする長靴の中、雪の冷たさがダイレクトにくる道を、日の沈み切った空に見ない振りをしてひたすら歩いた思い出。大人に、親になった今は、あの頃言い表せなかった感情に名前をつけてしまえるから、さらに悲しさを抱えてしまう。
冬の夕方はまだ苦手だ。

東北の冬は早く来てしまえば早く終わるというものでもなくて、4月までフリースが手放せないし、4月の雪どころか5月だって降ったことがある。
じりじりと迫る冬に少しでも抵抗したくて、冬の楽しみ、というものを探した。それが編み物だ。その話はまた別の機会にするとして、わずかでも楽しみを見つけて、憂鬱な気分を忘れたいと思う。
季節は廻り、またやってくる。冬の次は春がくる。春だって好きだし、夏も嫌いじゃないのだけど、ここまでで約1400文字になったので、次の記事にでもしたいと思う。しかし嫌いなものというのは、なんと理由をつらつら書きたくなるものなのだろうか。好きなものの倍書いていた。ネガティブなものよりはポジティブに囲まれたいと思う。
今日はほぼ日手帳が届いたし、開ける楽しみでしばらく生きていける。

よろしければサポートお願い致します。 頂いたサポートは、子ども達と楽しく過ごすために使わせて頂きます。