哲学にはまったカエル、自分の体を疑う

ある日、クラウス君は一人で草原の中のちいさな石に腰かけて、一人手を握ったり開いたりしていました。握ったり、開いたり・・・また、握ったり、開いたり・・・目を開けて、閉じて。思いついたように、足を上げて、下ろして。そして自問自答するのです。

一体どこからが僕なのだろう?今、こうやって手を動かしたり、足を動かすのは、僕がそう思ったからに他ならない。でも、僕は自分の心臓を動かそうと常に思っているわけではない。呼吸だってそうだ・・・呼吸の場合、呼吸をしていることを意識しようとすると、むしろ止まってしまう気がする・・・でも、心臓については、心臓が動いていると意識しようとしても、多分止まっていない。心臓が止まったかどうか、僕にはわからない。僕の体の中にあるものは、明らかに僕の一部であるはずなのに、僕自身の意思ではどうしようもない。僕の意思で動かないものは果たして僕のものなのか?僕自身なのか?

それに、細胞だって!細胞のひとつひとつも僕なのか?細胞が分裂して、新しい細胞が生まれて、古い細胞が死んでゆく。その死んでゆく細胞も僕なのだろうか?死にゆく僕の細胞という僕。ならば僕はずっと死んでいることになるんじゃないか?そもそもどこからが命なのだろう?細胞?それとももっと大きなもの?僕の命はどこにあるんだろう?そもそも僕は命なんだろうか?命というのは生きているものに宿るはずだ・・・ならば、ずっと死んでいる僕は命ではないのか?

明らかに自分のものと思えるその体が、自分の思うままにならないその不思議さを胸に、クラウス君は手や足を動かして、ずっと考え込んでいました。

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