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田中角栄:豪放磊落な天才


豪放にして豪快。元総理大臣の田中角栄は、破産した家畜商の息子だった。貧困の家に育ち、学歴のない田中が日本有数の大富豪となり、しかも日本の史上最年少で総理大臣にまで上り詰めたサクセスストーリーには親ガチャ、家ガチャという脆弱な言葉の入り込む隙間はない。

コンピューター付きブルドーザーという異名を取り、大胆な政治改革と、人のこころを鷲掴みにする人間的魅力で、名を成した。失脚後も目白の闇将軍と呼ばれた。まるで豊臣秀吉のような成り上がり物語だ。

高等小学校卒業後、工事現場で土方として力仕事を続ける毎日。21才で建設会社を設立。それを土木建設業に拡大。第二次世界大戦中は、軍需産業の受注で商売が繁盛し、日本有数の大富豪となった。

1947年に衆議院議員に当選し、1957年に史上初30歳代の郵政大臣に就任した後は、自由民主党の有力議員として活躍。1968年には幹事長に就任し、党内で最も有力な政治家の一人となる。その後、大蔵大臣、通省産業大臣を務めた。

田中内閣の日本列島改造論時代を動かした成長戦略だ。地域格差の是正を掲げ、町村道を国道にすることなどにより、地方の整備のために必要な財源を大都市住民の税源から使用する角栄モデルを構築。日本という行き来がしにくい縦長列島に、高速道路網、新幹線網、本州四国連絡橋などをどんどん実現させて日本を超移動可能な国にした。

人の心を強く掴む田中の対人術は、誠心誠意、全力投球で相手とかかわることだ。人との関係には手を抜くなと、常に周りにも話していたという。野党議員であっても面倒を見る。敵を作らない。相手が敵に回らなければ充分である、と語っていた。

極貧の、ゼロからの出発。何もないということはむしろ感謝すべきだとも言っている。有名大学を出た財閥の息子、親戚中政界の大物である二世などのを横目にまたたくまに頂点に登りつめ、最終的にはロッキード疑惑によって
政治スキャンダルの中心人物となった政治家だ。

1976年7月、田中は首相在任中にロッキード社から約200万ドルの賄賂を受け取り全日空に同社のジェット旅客機を購入させた容疑で逮捕、翌月に起訴された。起訴後、政治的な雲行きは怪しくなったが、自由民主党の最大派閥を支配し続け、その後の3人の総理大臣の選出に大きな影響力を持つことになった。7年にわたる裁判の末、1983年に収賄罪などで有罪判決を受け、罰金5億円、懲役4年を言い渡された。控訴中の1985年に脳梗塞で倒れ、以後、権力と影響力は衰えていった。

歯に衣着せぬ物言いと、天才的なスピーチ、圧倒的な決断力。
議員たちの妻にまで一人ひとりに似合う反物を厳選してプレゼントする気配りの細やかさで、この時代の政治家にはめずらしく、女性ファンも多かったという。

国会時代に田中批判の急先鋒であった石原慎太郎が、渾身の力を振り絞って書いた力作『天才』は、一人称で田中の人生を書いたもので、当時の「角栄ブーム」も手伝って90万部以上の売り上げを記録した。


後書きには、石原がその後、田中角栄に偶然会い言葉を交わしたときのことが書かれている。このときも、田中角栄は、臆する事なく、恨み言をいうでもなく、淡々としていたらしい。

他にも様々な人の言葉により、田中氏が実は真性の愛国者であり、無私の政治家であったらしいことが証言されている。

天才にして奇才。人を見る峻別な目。
田中角栄の生き方に触れるには格好の書だ。





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