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歌川広重の浮世絵展「東海道五十三次」を見て、仕事の「余白」について考えた

用事で川崎に行ったとき、浮世絵の展覧会のポスターが目に入った。川崎には「川崎浮世絵ギャラリー」という場所があるらしい。私は美術方面に全く詳しくないが、たまに絵を見るのは好きだ。そして浮世絵もいいよなと数年前から感じるようになってきている。

いま行われているのは、歌川広重が描いた東海道五十三次の作品展。以前別の場所で、葛飾北斎の富嶽三十六景をまとめて展示するというのを見てすごくよかったのを思い出した。

東海道五十三次も同じぐらい有名だと思うが、ちゃんと見たことがない。浮世絵ギャラリー、行ってみることにした。

会場は、駅から数分で着くビルの中。さほど広くなかったが、浮世絵は作品自体が大きいものではないのでちょうど良いぐらいの感覚だった。平日の午後でほかの来訪者は少なく、ゆったりと見て回れたのもよかった。

作品の良し悪しとか見どころについては、私は何も語れない。写真撮影禁止だったから、こんな感じと見せることもできない。いいなと感じた作品名だけ書いておく。

朝之富士
蒲原 夜之雪 →モノクロ写真っぽい雰囲気
七里渡口 
 →東海道の中に海上航路があるとは知らなかった
亀山雪晴

詳しくは、こんな本とかが参考になるだろう。

こうした展覧会に来るのは久しぶりで、静かに豊かな時間を過ごすことができた。ひと通り見て回る中で感じたのは、特に空の様子とかで、何も描かれていない余白の部分を大きく作った作品が少なからずあったことだ。多分、北斎の富嶽三十六景よりも余白が多用されている。

もしかしたら、当初は何らかの色がついていたものが褪せたのかもしれない。その辺は素人の私にはわからない。ただ、何も描かれていないように見えるその「余白」が、ごく自然と作品に馴染んでいるように見えたのが印象的だった。

こうした余白が生み出す効果って、仕事についても言えるんじゃないか。そんな気持ちが、会場を出た後にわいてきた。

私が普段行う仕事には、アート的な要素はまるでない。でも、芸術かどうかには関係なく、仕事上の程よい余白というのはあるんじゃないだろうか。

精巧に作り込まれた仕事をする人もいて、それは素晴らしいことだと思う。一方で、手抜きではない形で適度な余白を残す仕事もあるはず。下手な人がやろうとすると単なる完成度の低さになってしまうけど、熟練の人の手にかかるとかえってそこが味わいとなるような余白。

どちらが「上」という話ではない。でも自分としては、徹底的に緻密な仕事よりも余白のある仕事を目指したいという気持ちになった。

この展覧会、開催は12/21(木)まで。
あと1日しかないけど、ギリギリのタイミングで感想をまとめることができた。もし興味があって行くこともできるという人がいたら、是非。


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