見出し画像

チャーリーとチョコレート工場の考察〜ウイリー・ウォンカとトリックスター

ウイリーウオンカの文化英雄,世界の変革者としての役割

ウィリー・ウォンカは世界一のチョコレート工場を作った天才的経営者で、マジシャンとも言われている。燕尾服を着てシルクハットをかぶり、紫の手袋を身につけ、口から出る言葉はいつも皮肉に満ち、悪い言葉を連発するミステリアスな変人である。誰も信用せず堂々とした素振りなのに、なぜかparent(親)という言葉が言えず、言おうとするとどもる等、子供っぽく憎めない可愛らしさがある。彼は社会の道徳や秩序を無視するトリックスターであり、一般人とは交流せず、自分の世界に棲んでいるが、同時に型にはまらないキャラクターで人々の憧れでもある。変革者としての役割としては、チョコレート工場とウォンカ社長という特異な人物への世間の興味を利用し、工場見学という特典で5人の子供たちを招待する。そのイベントに勝ち抜いた人にはご褒美があるという。このイベントにより、人間の愚かさは露呈され、今までの生き方を悔い改めさせる。いたずらとジョークでありながらも、結果的には愚かな者が制裁を受ける。


負の側面を通して人間や人生全体を表している所

ウォンカの負の側面とは「親」という単語が言えないほどに、子供時代のトラウマを抱えているところだ。このキャラクターが人間や人生を表している部分はまず、トリックスターらしく、異なる領域の行き来する表現がある。第一場面では工場内で現実と夢の世界への移動、第二場面では、up and out(上と外へ)というガラスのエレベータのボタンを押し、工場内は冥界で、地下から天へ昇って行くが、水平移動も垂直移動も数十個のボタンがあらゆる移動をする。優勝した子供、チャーリーを後継者にしようとしたが、ウォンカは人は1人自由奔放に生きるべきだと考え、チャーリーに親を捨てるのは厄介払いでむしろ良い、と言う。ウォンカ自身が常に過去へのフラッシュバックすることからも(これも現在と過去との領域の行き来である。)精神を病んでいることが分かる。子供時代の、甘いお菓子は一切禁止だった厳格な歯科医の父へのトラウマが彼を苦しめ続けていた。しかしそのトラウマが強い原動力になり、チョコレートビジネスの成功に導いた。しかし、辛い過去も克服し、ようやくチャーリーの家族も一緒に受け入れる様になる。


社会関係や道徳を確認させる機能を果たすそのキャラクターの行為

5枚のゴールデンチケットを板チョコに入れ、当選した子供に工場内見学をさせる特典を作った。ゴールデンチケットを手に入れるため、醜く、お金に物を言わせ、熾烈な争いがあった。この争いにより、結局最も醜く金や権力を利用した家の子供が選ばれる構造になっている。貧乏な子供チャーリーはまぐれで当選した。
  工場の門を入ると別世界(異界)である。チョコレート工場内は天国(冥界)だ。穏やかな南国の風景で原色のトロピカルな植物と滝が流れ、全てがチョコレートや菓子で出来ている、詩的世界観である。ルンバランドというジャングルの国の原住民の小さなウンパ・ルンパ達が従業員だ。彼らはミドリムシを常食とし、年に2,3粒しか採れないカカオ豆を神と崇拝し生きてきた種族だ。カカオ豆はチョコレートの原料だ。したがって、チョコレートで出来たこの工場は彼らにとって神殿である。ルンバランドの首長はウォンカからの申し出に2つ返事で従業員になることを承諾し、真面目に、そしておちゃめに働いている。ウンバ・ルンバについても、ひょっとしたら、一度故郷で死んでしまい、退化型で、永遠の幸福を生きる事をウォンカが引き受けたのかもしれない。勤勉なウンパ・ルンパがカオスから秩序へ、正しい人間の優位性として生き残った存在として表されている。又、ウォンカの小指がウンパ・ルンパの顔くらいのサイズなので、巨人解体神話の面もある。又、特筆すべきは、ウォンカは珍しい香料を探しにルンバランドを訪れた時は巨人サイズだったのに、工場見学の時は皆同じ身体のサイズである。ということはこの冥界では皆が小人になっているということになる。又はウンパ・ルンパの方が大きくなったのだろうか?ユーラシア大陸のヤクートの冥土に似ている。他界や死者の世界では、皆が小さな人間になるのだろう。
  ウォンカのトリックスターぶりは、まず第一段階では、工場見学に来た甘やかされた子供たちに与える教訓と報復があり、これは神の呪いである。4人の子供たちは殺されはしないが、酷い姿にさせられる。一人目のオーガスタスは太った食いしん坊で、湖のチョコを飲むなと言われたのに、チョコの湖に入り溺れ、パイブで助けられるが、最終的にはそのままチョコにまとわれた姿になる(小説では痩せ細る。)この湖をパイプで吸う場面は、まるで洪水神話の様である。神意発生型で、醜い子供を生まれ変わらせようとしたのかもしれない。2人目のベルーカは、金持ちの父に何でも買ってくれと、強欲でわがままなお嬢ちゃんである。彼女はリスを欲しいと、ダメだと言われたのに、捕まえようとして、ゴミと一緒に焼却炉に落ち、ゴミまみれのまま追放させられる。3人目は負けず嫌いのアスリートのバイオレットだが、実験室で色々な味のガムを噛み、ブルーベリーの味がしたら、身体もブルーベリーになり、グニャグニャの身体のままバク転をしながら追放させられる。最後の過激暴力のテレビゲームばかりに夢中な暴力少年マイクは、テレビの中に入り最後はペラペラに薄い身体のまま追放させられる。これら、金持ちの家庭で、物質主義で、精神は鍛えられず、道徳教育されずに生きて来た子供へのお仕置きは、彼らや大人に未知なる価値をもたらす。彼らは行き過ぎた文明の中、欲望だけを追求した資本主義、競争主義の象徴である。この神からの呪いは人生へのプラスに成長させたと考えて良いだろう。しかし、「カリギュラ効果」というか、これをするなと言って聞かせれば、ますますしたくなるのは子供なのである程度当たり前である。恐らく神が仕掛けた罠で、言うことを聞かないから災いを起こすのは、ユダヤ教神秘主義のカバラーにも似ている。またバナナ型の神話の様でもある。

ウオンカに魅力を感じる所

ウォンカは創造的で、破壊的で、おしゃれだ。服装もマジシャンのように燕尾服で髪型も黒いショートボブで、口紅をつけた様な赤い唇をしている。若干アンドロギュノス風だ。テレビの場面ではトンボメガネをかけたりする。奇抜で皮肉屋で、子供だからと容赦をせず、ナイフの様な切れ味の言葉を放つ。ウォンカの自慢話を「それさっき聞いた」とわがままなベルーカに言われた時、即座に子供っぽく言い返していた。しかし、お育ちの良さからジェンドルマンな面もある。子供時代のフラッシュバックが度々起き、メンタルが壊れている面が時折出る。異常な歯科矯正具を顔中に装着し、ハロウイーンでもらった飴を父から一つづつ悪魔の食べ物だと説教され、暖炉に投げ捨てられるシーンはあまりにも可哀想だ。そのような孤独な子供時代の反動から大人になってからの異常な解放が見られる。人生そのものを鏡の様に、深い傷を癒やすため大人になってからその一点だけ「甘い物が食べたかった」渇望のみを凝縮しており、共感する部分も多い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?