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学生時代のバイト先に戻ることに決めた話

前時代的な作業慣習が残っているが故の、無慈悲で逃げ出したくなるような
作業が今朝完了した。2時に起きて、3度の休憩という名の睡眠を経て、やっと終わった。もう二度とやりたくない。でもこの組織に属している限りまたこの作業をやるタイミングはやってくる。やりたくないなら辞めればいいじゃない、なんて声は確実に聞こえてきそうなんだけど、苦痛を感じても僕がここの会社の仕事を受けるのは今日の本題とも関係している。


塾講師のアルバイトを辞めた理由

僕は大学1年から卒業するまでの5年間(4年間ではない)、個別指導塾でアルバイトをしていた。大学時代に構築された僕のアイデンティティの大半は、この場所で生まれたと言ってもいい。

個別指導であるがゆえの生徒との距離の近さ、彼ら・彼女らの人生の一端にコミットしている感覚。間近で、成長の過程を見られる喜び。
担当していた生徒がやがて講師となり、同じ職場の先輩・後輩として働ける嬉しさ。
講師にはならくても、その後関係性が続いていって食事に行ったり、事業に関して協力してもらったり、ここのコミュニティにどれだけ支えてもらっているだろうか。

業務に関しても、一アルバイトとしてはかなり裁量のあることを任せてもらえたのではないかな、と感じている。生徒を合格させてあげられなかったり、担当から外れたり、たくさんの挫折も経験した。
概して見ると、内部の、人間的な部分の成長と、思考力・業務遂行能力両面で成長できたのかなと思っている。

一緒に働いていた人たちも良い人ばかりで
話しかけてくれるだけで嬉しかったし、恋愛相談に乗ってもらったり
お酒をおごってもらったり、お菓子をたくさんもらったり、感謝しかない。

そんなとっても素敵な空間を、僕は、去った。
今年の1月のことで、大学を卒業する直前だ。
残って欲しい、なんていう嬉しい声はあったし、その気が無かったわけじゃない。

でも、自分の役目を果たしたという充足感と天井を見てしまったという感覚からくる倦怠感、圧倒的な居心地の良さ、ちっぽけなプライド。
この3つによって、僕は塾という聖域を去った。

5年間通して、それなりに実績は積んできた。
教え方だったり、コミュニケーションの取り方に関して僕なりの知見が固まって、それをデータとして他の人たちに引き継いだので、あとは、教子世代に任せよう、なんて思っていた。老害になるのも嫌だった。

みんながとっても優しくて尊重してくれるが故に、それが逆に怖かった。
この場所には、いつまでもいれてしまう。みんなが受け入れてくれる。
でもそれじゃダメになる、そう思った。
この環境に甘えしまいそうで、修羅場をくぐることなく過ごして行きそうだなと
感じてしまっていた。

今年、僕の同期のほとんどは社会人2年目になっている。
日本ではそれなりの大学だし、みんな名の知れた企業で、結構でっかいことをやってたりする。
人それぞれやりたいことを追求すればいいのだし、人生の選択に優劣なんてない。
そんなことは分かっていても、やっぱり、この社会に23年も暮らしていると
資本主義的な尺度で同期と自分を比べてしまうことはあった。
同期が社会に散って、いろんな価値を生み出しているときに
学生時代のアルバイトを継続するのは僕には耐えられなかった。


ねっとりと絡みつくような無意識の競争にバイバイ

塾を退職した1月に、事業を立ち上げた。
そして今日まで、ずっと継続しているけれど、まだ世に出す前の実験段階なので
事業からの収入はない。現実問題として、事業だけやっていては収入が0になってしまう。
それではまだしんどいので、パラレルでやる仕事を探す必要があった。
教育系の仕事は、僕のバリューを発揮できる場でもあるし、報酬も高い。

でも、先に挙げたような理由でなかなかそちらに舵をきれなかった。
プライドが占めていた割合もかなり大きいと思う。
今の自分にできる仕事に戻ることが、新たな挑戦をしていない気がして
敗北感を感じてしまうような気がしていた。

パラレルワーク、本業と生活の維持に関して色々悩んだ。
ちらつく同期たちの顔。
しかしながら、僕の尊敬する現代の偉人達の思考の一端に触れたり
僕にとっての本当の幸せってなんだろうかと考えたときに
以前別のエントリーでも書いたけれど、人と競うことではないなと思った。
人と競っている意識がある時の僕は、どこか、心から楽しめていない感覚があった。

もちろん、優越感とか自己顕示欲を土台にもつ、征服欲みたいなものは満たされていたんだろうけど
ワクワクしなかったし、その場にいる人と笑顔で喜び合うみたいなこともできない。
スポーツみたいな競争が前提の場では、もちろんルールの元で勝者と敗者が決定するけれど
勝っても負けても、相手と握手を交わせる美しさがあった。

でも、人間関係だったり、ビジネスだったり、生き方みたいな、必ずしも競争の要素が必要のない場所では
勝敗が決した後の握手なんて起こらないし、明確に勝負の時間が定められているわけではないから
ある一定時間の中で火花を散らして正々堂々戦うというよりは、日々の中でべっとりとつきまとってくる
不安感、劣等感、焦りみたいなものに近くて、拭き取ることのできない汗がずっと背中に残っている感覚に近い。

僕の尊敬している人たち、世の中に素敵な価値を生み出している人たちは
こういう意味での競争とは無縁な人が多くて、ここ最近ずっと悩んで考えて
決断しました。よし、競争やめてみよう、と。

そしたら、かなり思考がシンプルになった気がして
心も穏やかになった気がする。
僕には僕の今まで生きて来た道があり、世の中には僕の作品を心待ちにしてくれてる人がいる。応援の言葉を投げかけてくれる人がいる。
同期には同期の幸せがあって、彼ら・彼女らによって救われいる人がいる。
それでいいじゃんと思うことが、いまはできている。

だから、彼らを越えようとするのではなくって、彼らとは違う舞台で
僕だけが出せる価値を世に問い続けて、打ち出し続けていこうと思った。


ライスワークとライフワーク

もう1つ、僕の背中を押してくれた考え方がある。
生活していくお金を稼ぐ仕事「ライスワーク」と、自分の人生をかけて社会の課題に自分なりの答えと価値を打ち出していく仕事「ライフワーク」は別でも構わない、というものだ。

僕の尊敬する現代の偉人の一人も、こう言っている。
僕が世に提供したい価値と、いま社会が僕に求めている価値、僕が提供できる価値は必ずしもいまは同じではない。
僕自身がプライドや倦怠感で「もうやめだ」と思っていた仕事も
いま僕が持つ資産で貢献できるのなら、もう少しやってもいいのかなと思えた。
大学1〜2年生の世代に、もう少し背中を見てもらうことにもなるのかもしれない。

金銭的な生活の苦しみみたいなものはまだ残ってるけど
そんなもの起業すると決めた時点である程度織り込み済みだし、いつか僕の事業が社会に受け入れらえれたら、そこも解決していくんだろうな、なんて思う。

いま僕を必要としてくれている人たちに価値を提供して
そこで稼いだお金を、これから成長していく僕の想いに投資していこうと決めた。

信念が生まれたから、もう劣等感はない。
先のことはとりあえず置いておいて、暖かく事業を育てて続けていこう。




この文章を書き始めた2018年7月28日、僕は塾に戻った。実に半年ぶりに授業をした。なんだかとても懐かしかった。
「辞めたのに何してんの?」みたいな顔をする人もいなくて、自然と受け入れてくれたことにすごくほっとした。

この暖かく優しい場所に、もう少し僕の居場所を残しておいてもらう代わりに
僕の持っている価値を、妥協せず、受講してくれる子達、職場の仲間たちに提供していこうと思う。

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