きむらむちゃん

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きむらむちゃん

プロダクト / 事業開発 / XR / 教育 / 性 / 銭湯 / 自然と感情と情景 / 慶應→起業→SaaSのPdM. X:@kimuramchan

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  • あるきぎょうかのどくはく

    社会の片隅で何とか今を生きている起業家である自分の歩み、後退、嘔吐、そういうものを全て詰め込んで、残しておきます。起業家の日記です。

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    自分を愛するための文章をためていく場所です。 週1本以上更新するかもしれません。

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漫画の「一気読み」によって失っているかもしれない人生の豊かさについて

漫画・アニメの一気読み(見)をついついしてしまう. 待つことなくどんどん続きが見られるので良いのだが、最近あることに気がついた. 僕は漫画やアニメに支えられることも多く、辛くなったとき、人生に迷ったときに思い出す言葉やシーンがいくつもある. それなのに、一気読みした作品はその後高い確率で心に残らず、ふとしたときに思い出したり辛いときに指針にしたり、そういったことがほとんどないのだ. 最近はこの反省からなるべく作品の一気読みをしないようにしている. なぜ一気読みを避けてな

    • 自信とは自分を信じることよりも他者を信じることなのかもしれない

      あなたは、自分に自信はあるだろうか? 「自分にならできる」と言える感覚が、未経験の領域や大きな壁に直面したときに湧いてくるだろうか? ここでいう自信とは、所謂「自己効力感」と言われるものかもしれない. 僕はその意味では、自分にあまり自信がない.30歳手前にまで差し掛かって、20代前半と比べてもこの感覚にあまり変化はない. だけれども、ここ最近、20代前半とは違った形で自分に自信を持てるようになってきた気がする.そのことについて、書いておきたい. 「自分で自分を信じる」と

      • 教養のための読書なんて必要ない。教養は知識ではないのだから

        「自分には教養がない。教養をつけよう」 「教養があるとなんだかカッコいい、ないと恥をかきそう」 「なんかエリートっぽい」 そんな文脈で語られることの多い教養。 どことなく、教養をつけることが義務になってしまっている。 教養をつけるために読書をしなきゃ!と思ってる人もいるのではないだろうか。僕もその一人かもしれない。 正確な知識をつけなきゃ!理解しなきゃ!と暗記前提で読書してしまったりする。 そうなると楽しくないので、結果読破せずに途中で積読行きになり、教養らしきものも身に

        • 帰り道に、エンドロールを流すということ

          「ばいばい」の余韻を上書きせずに味わうこと 「今日はありがとう!じゃ、またね〜」 飲みに行った友達と駅で解散する瞬間。誰の日常にもよくある光景。 僕も友達とよく飲みに行くし、分かれる瞬間はすごく満たされていてそれでいて少し寂しい、エモーショナルな瞬間だ。 お別れして駅のホームへ向かう道。あるいはホームで別れて乗り込んだ電車の中。 僕はこの時、この夜の余韻がまだ自分の中に残っている間、スマホとか本をなるべく見ないようにしている。しばらくボケーっとしながら、余韻を味わう。

        漫画の「一気読み」によって失っているかもしれない人生の豊かさについて

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        記事

          ランダムでスローなライフに揺さぶられ、また日常に戻る

          三宅島に行っていた. 島で過ごすなんて、20年ぶりくらいかもしれない. この島で感じたことを、身体が覚えているうちに文章にしておこうと思う. スケジュール帳に収まらない不確実性にときめく三宅島にプロペラ機でついて、予約していた宿の人を待つ. いっこうに現れないので電話をする. 韓国出身の宿の女将がカタコトで「バタバタしてて忘れちゃってたよごめんネ.すぐに行くから」と応じてくれる. 宿の送迎って、宿の人が法被でも着て旗持って出迎えてくれるイメージだ. バタバタしてて忘れち

          ランダムでスローなライフに揺さぶられ、また日常に戻る

          孤独の定義なんて今はいいから、小さな幸せを噛みしめたい。

          何かできることはないか 家族に移したらどうしよう あいつは元気なのか あれも出来ない これもできない 色んな思考が頭を支配する。 家で仕事をする時間が増えた。 1人でいる時間が何倍にもなった。 例えば電車に乗らなくて良くなったり 移動時間分を有効に使えて、嬉しい側面もある(移動時間自体をどう過ごすかとかも考えるのは楽しいけれど)。 でもやっぱり、孤独というのは徐々に根をはっていて 僕の心の中に育ってきているんだなと感じた。 僕個人としては、孤独は人生のスパイス、いや、

          孤独の定義なんて今はいいから、小さな幸せを噛みしめたい。

          20年前の焼き鳥の味と、あの子と僕の10年後

          風の香りとタレの味在宅で作業をすることが増えてきて、散歩をする機会が増えた。 家には自転車があるので、少し遠くに行ってもすぐ帰ってこれる。 歩いて散歩するのもそれはそれで、道端の花とか、普段は通り過ぎている 美しさに触れられるのでいい。ただ、自転車の場合は、風を全身に受けるあの感じが、なんとも気持ちいいのだ。 昨日、夕方くらいに、小腹も空いたのでおやつを調達するついでに 散歩に出かけた。いつもは坂の上を周遊しているから、何となく坂の下へ行ってみた。 特に目的地があるわけ

          20年前の焼き鳥の味と、あの子と僕の10年後

          「君のため」と言うけれど頷けるわけなかった

          同級生と、何でも手に入る夢の国。渋谷の海鮮居酒屋に、健康に悪そうなお鍋を食べにいった。 隣の席に、熊みたいな風態の優しそうなお兄さんと 一際声の大きいお姉さん、ギャル風メイクのお姉さん。 「イケメンの面影残ってるね!」などと。 どうやら3人は中学の同級生らしかった。かなり久しぶりに再開したらしい。 10数年ぶりの再会を楽しんでいるのかと思っていたけれど 元気なお姉さんが「ポイントで労働時間を削って幸せな生活」などという、きな臭い言葉を発し始めた。 「QRコードを読み取るだ

          「君のため」と言うけれど頷けるわけなかった

          何も共有していない共同体の中で

          自分の中に今、興味深い感情が芽生えている。 それから逃げ出したくもあるし、もう少し、ゆっくりと、味わっていたいとも思う。 何か、対象はよくわからないけれど、切なさがずっと胸の中に滞留している。 込み上げてくるような激情的なものではない。 それは静かに、そこに、ある。 別に今何か悲しい事があるわけではない。むしろ今本当に幸せだ。 でも少しだけ、なんだか、ちょっと寂しい。 僕の中の「人間」が、新しい形へと脱皮しようともがいている そんな感じなのかもしれない。変化の過程に感じ

          何も共有していない共同体の中で

          別れたあとに友達になりたいと思う気持ちは悪なのか。

          2年前、付き合っていた人がいた。 今は、どこで何をしているのか分からない。 その当時の、今よりももっともっと未熟な僕が、本気で愛した人でもある。 2年経った今なら、あの当時の自分にもっと伝えられることもあるかもしれないけど、お別れした当初は後悔を感じなかった。それだけ、真剣に向き合った相手だった。 一緒に住もうとか、結婚したらこんな感じの家庭がいいよね、とか 学生の身分で(彼女は先に社会人になっていた)必死に未来について考えていた。 でも結局、人生運だ。 2人という閉じ

          別れたあとに友達になりたいと思う気持ちは悪なのか。

          学生時代のバイト先に戻ることに決めた話

          前時代的な作業慣習が残っているが故の、無慈悲で逃げ出したくなるような 作業が今朝完了した。2時に起きて、3度の休憩という名の睡眠を経て、やっと終わった。もう二度とやりたくない。でもこの組織に属している限りまたこの作業をやるタイミングはやってくる。やりたくないなら辞めればいいじゃない、なんて声は確実に聞こえてきそうなんだけど、苦痛を感じても僕がここの会社の仕事を受けるのは今日の本題とも関係している。 塾講師のアルバイトを辞めた理由僕は大学1年から卒業するまでの5年間(4年間で

          学生時代のバイト先に戻ることに決めた話

          SNSの息苦しさと、そこに対する答えのようなもの

          チョコレートが食べたい。本当に食べたいけどこの時間だし、いや、本題とは全く関係が無い。しかしながら、本題と関係ないにもかかわらずこうやって言葉にしてしまっているということは、間違いなく食べたいということなのだろう。 この欲望が嘘ではないとの確信を得た。 SNSの息苦しさ 所変わって、話したいことは何かというと、最近の息苦しさについてだ。 最近なんだか生きづらいなと感じ始めた。いや、全体的には満足してるし やりたいこともできてるので、人生そのものに不安があるというわけではない

          SNSの息苦しさと、そこに対する答えのようなもの