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あのスティークを切り開き 第6章「キッズセーター」

 うちのカフェは、19時にもなれば、お客さんはほぼ、いや全く居なくなる。ばあちゃんのお友達の常連さんたちは、夕飯の支度なり、買い出しなりがあるから。それでもばあちゃんは、毎日20時まで店を閉めない。もしかしたらふらりと休みたくなる人もいるかもしれないから、と。
 自前の土地で、家賃がかからないからこそのゆとりだとは思う。

 そんな、閑散とした19時に、予告通りつやつやのポニーテールの女子高生が来店した。亡くなった常連のアケミさんの孫、川辺ルイ。俺の中高の同級生で、同じ美術部員だった。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ。あら…アケミさんの所の……」
「森田アケミの長女の娘です。川辺と申します。先日は参列いただきありがとうございました」
「とんでもない、この度はご愁傷さまでした……」
 アケミさんの死から数週間、落ち着いていたばあちゃんの目が潤む。
「あ、好きな席、どうぞ」
 川辺ルイがどういうスタンスで来たのかは分からないけど、一旦お客さんとして扱ってみる。長いテーブルの端、一番ドアに近い席に座り、アイスコーヒーを注文した。ミルクもシロップも入れずに、ストローですうっとひと吸いした後、川辺ルイはトートバッグから、紙袋を取り出した。

「市原君、いいかしら」
 ここへ、と言って、川辺ルイの正面の席を掌で示した。何だ何だと思いながら席に着く。
「市原君は、編み物を教えることもできるのよね?」
「まあね。アケミさんに聞いたの」
 そうよ、と言って、紙袋の中身をそっとテーブルの上に置いた。毛糸玉五つと、編みかけのニット。色は……
「赤よ、彩度の高い、鮮やかな赤」
 川辺ルイらしい気の回し方。これはたぶん、冬にアケミさんが編んでいた、お孫さん用のセーターだ。見た感じ、後ろ身ごろの途中。背中部分の一番広いパーツだ。
「おばあちゃんが亡くなってすぐに、おばあちゃんの部屋で見つけて。こっそり持ってきたの」
「アケミさん、これ編み終えてなかったんだ」

 思い返せばアケミさんは、亡くなる直前の時期は、夏用の帽子を編んでいた。その前は、かぎ針編みのバッグ。
 これはたぶん、編み物好きあるあるだと思うけれど、同時進行で2つ以上のものを編んだりする。今回で言えば、冬場のメインの作品はこの赤いセーターだったけれど、淡々と模様もなく編む部分が多いから、気分転換にバッグを編んでいた。そして、バッグの方が興に乗ってしまって、気づけば冬が終わっていた、という。
「まぁ大きめだし、次の冬に向けて秋ぐらいから編みましょう」とか考えてたんじゃないだろうか。

「これ、編みたいの。私が完成させたい」
「あー……編み物の経験は?」
「ないわよ、全く」
 おお。一発目にセーターとは、なかなかのチャレンジャーだ。まあ子供用だし、模様編みもないし、頑張れば何とかなるだろうけど。
「ずいぶん小さいけど、誰の?」
「サイズ的に、私の妹ね。孫たちの中で一人だけ歳離れてるの」
「お姉ちゃんとして、編んであげたいってことか」
「まあそれもあるけど。そういう訳で、編み方を教えてほしいの。基礎の基礎から。講師代が必要なら支払うつもりよ」
「いやお金なんていらないよ」
 俺でいいの?と言いかけたけど、これを一緒に編むのは、ばあちゃんには酷だ、と気づいた。

「えっと、とりあえず、編み方からいこうか」
 そして、1時間かけて、店に置いてある練習用の毛糸で何とか5目編むところまで行って、閉店時間を迎えた。
「これは、相当長い道程になるわね……」
 川辺ルイには衝撃的な経験なんじゃないだろうか。何せ彼女は、並外れた優等生として生きてきたから。
 中学でも高校でも、勉強は当たり前にトップだし、さらに部活でも生徒会でも、誰も異議なく彼女を長に据える。でも、ただの頭でっかちの優等生じゃない。文化祭の出し物を決めるとかいう、確実にダラダラ長引くクラス会議を、全員の意見を取り入れ……るふりをして、巧みに民意を誘導し、実現可能な範囲で大人受けもよさそうな結論に導く。
 中学校の卒業生代表答辞は、卒業生が3年間をありありと思い返せるような情感のこもった文章で、さらに式での校長の話や、ほんの数分前の送辞の内容まで即興で盛り込み、これ以上は後にも先にもない、というような見事なものだった。それを涙一つ零さず、いつものスンとした顔でやり遂げる。

 その川辺ルイが、悪戦苦闘している。俺はちょっと気分が良かった。彼女は、俺みたいな話したいことやりたいことだけ優先し、嫌なことは躊躇なく逃げる奴とは当然相性は良くない。中学の美術部の頃、よく
「市原君、昨日イーゼルを片付けずに帰ったのは何か理由があってのことかしら」
「あ、ごめん、普通に忘れてた」
「そう。木炭も、ひと箱使い切ったあと補充されていなかったけど」
「……すいません、忘れてました」
「棚のすぐそばに貼り紙をしていたけど、もう少し大きなフォントで作り直した方がいいかしら」
「や、大丈夫です。気を付けます」
そんなやり取りと言うかご指導を受けた。
 彼女は、皮肉で言っている訳ではなかったと思う。たぶん。正しいことを言い、ヒューマンエラーの発生を抑える方策を真面目に考えていた。が、その姿勢は俺の母さんとは別のベクトルの圧がある。

「私、編み物はあんまり向いていないみたいね」
 思い出に浸っていたら、川辺ルイがちょっとだけ肩を落としていた。
「誰でも最初はこんなもんだって。ていうか、川辺ルイが自信無くしてるの初めて見た」
「私だって、人間だもの」
「まあ川辺ルイは努力家だし、すぐ出来るようになるだろ」
「……どうしてフルネーム呼びなの」
 どうしてだろう。でも何故か、川辺ルイは川辺ルイと呼びたくなる。政治家がフルネームで呼ばれがちなのと似た感じだ。
「あ、嫌だ?じゃあルイにしとく」
「親密度の割に、気軽にファーストネームで呼ぶのね」
「その方が短いし」
 呼び名で省エネするタイプなのね、と言いながら、ルイが帰り支度を始めた。俺は、ふと思いついた。

「あ、あのさぁ。家で練習とか、する?」
「そうね、この感じだと練習必須ね」
「じゃあさ、俺がゆっくり編むから、手元の動画撮っていけば」
 自分が優位に立ったと思ったら、こんなに優しくなれる俺は浅ましいなと思ったが、そんな俺の姿勢とは関係なく、これはルイにとっては利益しかない。
「それは助かるわ。お願いします」
「じゃあ、その赤い毛糸の方が分かりやすいと思うからちょっと借りるわ。で、こっち来て、俺の肩越しに撮りなよ」
 ゆーっくりと、軽く解説しながら、3目ほど編んだ。
「ありがとう。たぶん、これがなければ間違ったまま覚えていたと思う」
「まぁYouTubeにも編み方動画あるだろうけどね」
「必要な部分だけ、数秒間でみられる方が助かるわ」
 うそ。ルイが微笑した。俺はあのスン顔を崩したんだ。ちょっとした達成感を覚えていたら、

「こんばんはぁ」
 とたっちゃんさんが入ってきた。
「おばーちゃん、小腹が空いたからお菓子買っていい?」
 店の奥で作業しているばあちゃんが「どうぞー」と応える。
カウンターの焼き菓子をいくつか選んでいるたっちゃんさんを見て、川辺ルイが
「たっちゃん……」
 と呟いた。えっ、とたっちゃんさんが振り返る。

「えー俺のこと知ってるの?何で?」
「この人、アケミさんのお孫さん。ルイだよ」
「川辺です、祖母がお世話になりました」
立ち上がって、ほぼお辞儀の会釈をする。
「いえいえ、こちらこそお祖母さんにはすごくお世話になって。ご愁傷さまでした」
 ちゃんと大人の挨拶をした後、

「えっと、るいかわべちゃん?変わった名前だね!かわべってどういう漢字書くのかな」
 いつものすっとぼけが始まった。
「川辺が苗字だろ普通に考えて」
「三本川に、二等辺三角形の辺で川辺です」
「ルイも普通に答えんなよ」
「そっかぁ、ルイちゃんね。俺のことはたっちゃんって呼んでねー」
「わかりました、たっちゃんさんですね」
 そうそう、年少者がたっちゃん呼びを強要されるとこうするしかないよな。
「何編んでるの?」
「セーターを」
「アケミさんが編み残したやつ。代わりに完成させたいって」
「そうなんだ!すごいねぇルイちゃんも編み物好きなんだね」
 ルイは、いえ私は全然下手くそで…とテーブルに目を落とす。たっちゃんさんはそれを取りなすでもなく、いつものゆったりした口調で「それなら尚更すごいよ。アケミさん喜んでるよ、お孫さんが自分の趣味を一緒に、一生懸命やってくれて、引き継いで完成までさせようとしてるなんてさ」
と言った。

 ルイが、ハッとして顔を上げる。その目が、少しずつ潤み始めた。見事な答辞を読み上げた時ですら、涙ひとつ流さなかったルイが。

「え!え、え、ゴメン!どうしようティーンしかも女の子泣かせちゃった!」
 オロオロして、
「あ、ティッシュ使って!」
 と言って差し出した。
 キラッキラの、薄着のお姉さんが数名印刷された、キャバクラの広告入りティッシュ。

「うわ、最悪。たっちゃんさんこれはないわー」
「えー待って待ってこれ駅前で貰っただけだから!ホント他意はないから!」
「ありがとうございます。これはお返しした方がいいですか」
 そう言って、ルイはティッシュを受け取り、広告だけたっちゃんさんに差し出した。
「全然いらないから!やめて!でも返せないから、とりあえず受け取ってうちの店で捨てるからね!」
 勘違いしないでよ!と言い残してたっちゃんさんは去って行った。

「たっちゃんさん、お菓子忘れてったなぁ」
「賑やかな人ね。興味深いわ」
 じっとたっちゃんさんを見送ったあと、ルイがスマホを持ち
「市原君、LINE交換しない?」
 と聞いてきた。え、何それどういうこと、まさか……と思っていたら、ルイは
「あ、そういうんじゃないから」
 と、アニメでよくある「そ、そういうんじゃないから!」というのとは全く違う、ほんとにそういうんじゃない顔をして言った。

「たっちゃんさん情報を送って欲しいの。定期的に」
「え、何で」
「知りたいから。面白いし」
「いや、それ、めんどくさいし俺メリットなくない?」
 メリットデメリットで測るのは良くなかった、と瞬間的に反省したが、ルイはそんなこと物ともしない、と言う顔でフッと笑った。
「あるわよ、メリット。市原君は、自分の深層心理に気付いていないのね。市原君は、たっちゃんさんの……」
 え、何だよ。こいつは何に気付いたんだ。心臓が急にドキドキしだした。

「面白を、誰かと共有したいはずよ」

「は?何そういうこと?いやばあちゃんとかと話せばいいじゃん」
「じゃあ今のキャバクラのティッシュのくだり、お祖母様と共有できるかしら?」
 確かに、それは無理だ。内容的によろしくないし、そもそも何が面白いかも伝わらなさそう。
「えー、まあ断固拒否するほどじゃないからいいけどさ。そんなたっちゃんさん気になる?ルイ、お前まさか……」
「そういうんじゃないから。意外とすぐに恋愛感情に結び付けるのね。市原君そういうのに辟易してたように見えたけど」
鋭い。別に、性的指向がどうとかという話ではなく、シンプルに俺が付き合ってるだの付き合わないだのにうんざりしているのを見抜いていたんだろう。多分。

「そういうのじゃなくて、どういうのなんだよ?これは普通に、興味」
「そうね……推し、って感じかしら」
「この一瞬で推せると思ったのか」
「一瞬じゃないわ。おばあちゃんから、よくたっちゃんさんの話は聞いていたの。タトゥーがたくさん入った大きな男の人が、手持ち無沙汰のこと『手持ちブタさん』って言ってたとか。そういうギャップあるほっこりエピ、好きなのよ」
「はぁ。実際会ってみてどうだった」
「想像以上のギャップね。優しいし。あのキャバクラのチラシも記念にとっておきたかったけど、もっと動揺する様が見たくて返してしまったわ」
「うわ、策士」
しょうもない策だ。

 ともかく俺は、たっちゃんさんを観察し、いやさしてしっかり観察せずともほっこりエピや面白エピを収集し、二、三日に一回ルイに送るようになった。

「たっちゃんさんの店に忘れ物届けに行ったら、お客さんと全然会話盛り上がってなくて、しばらく無言になった後『あの、何階建ての建物の何階に住みたいですか?』って聞いてた」
「心理テストみたい。私ならそのテーマで1時間はたっちゃんさんとディスカッションできる」
「あと、虎視眈々のこと『腰たんたん』だと思ってて、『腰たんたんっ』って言いながら腰叩いてた」
「どうして動画が添付されていないの」
「ちゃんとスルーしといたから、まだチャンスある」
「次回は頼むわよ」

 何やってんだと思うけど、俺も結構楽しくはなっていた。
日々たっちゃんさん通信を交わし、店では毎週末顔つき合わせて編み物を教える。そうするうちに、ルイの笑顔を見る回数は増え、俺は内心「これは友達になりそうなんじゃないか?」と思うようになった。
 美結という友達を失って諦めかけていた、同世代の友達というものを俺は欲していたんだと気づいた。

 ルイは自主練の効果もあって編むのもずいぶん上達した。だが俺は、ルイの練習編みを見て、「これは厳しい戦いになる」と思った。
 アケミさんが中途半端に編み残していたから、それを引き継ぐルイは、アケミさんの編んだ部分とルイの編んだ部分の境目が分からないよう、同じように編まなければいけない。それがかなり難しい、と思った。
 まず「手のきつさ」。
 俗に、糸を強く引き、固く編むタイプの人を「手がきつい」、逆に緩く編む人を「手が緩い」と言う。アケミさんは手が割と緩く、そしてルイは典型的な手がきついタイプだった。二人の性格の違いを考えると納得ではある。
 そしてこれは俺の持論だけど、手が緩い人がきつくするより、手がきつい人が緩めるほうが難しい、と思う。棒に絡んだ糸を引っ張るのだから、きつくするには限界がある。でも、緩めるには上限がなく、加減も難しい。気持ちとしても、手がきつい人からしたら、緩くすると編み目の形が「崩れた」ように見えるだろう。

 さらに、季節。アケミさんは冬に編んでいたが、ルイは夏に編んでいる。夏は特に、手汗で毛糸の滑りが悪くなる。暖かいアクリルの毛糸なら尚更だ。そして、滑りが悪いと、手はきつくなりやすい。

「ルイ、このセーターを編むなら、アケミさんの編み方を真似なきゃいけない。ゲージを取って、アケミさんとルイの編み方を比べて、調節していこう」
「ゲージ、とは」
「『スワッチ』っていう、20センチ四方の試し編みを作って、何目×何段になるか、編み目の数を数えるんだ。きつく編めば編み目の数は増え、緩く編めば編み目の数は減る」
「なるほどね。ひとまず編んでみるわ」
 アケミさんのゲージは、編みかけのセーターから20センチ四方を測って割り出す。思った通り、二人の編み方はかなり差があった。

「だいぶ緩めないとだなぁ」
「どうすればいいの?」
「慎重に行くなら、アケミさんのゲージと合うまで、何度もスワッチを編む、かな」
「当然、慎重に行くわ」
 毛糸の量はだいぶ余裕をもって買ってあったから、多少練習編みしても大丈夫そうだ。最悪、スワッチを解いて使う。

 しばらく編み進めたルイが言った。
「教えてもらってるのに申し訳ないんだけど、これ、聴きながら編んでいいかしら」
 スマホとイヤホンを取り出した。
「ああ、どうぞ。音楽?」
「いいえ、参考書」
「あ、CD付いてるやつあるんだ」
「違うわよ、朗読」
 よくよく聞けば、自分で参考書の問題と、しばらく間をおいて回答を読み上げた音声データを作って聴いているらしい。
「すげーなおい。よくやるな。ルイどこ大志望してんの」
「まだ、決めてない、かな」
 常に計画的で用意周到なルイが、高二の夏に志望校を定めていないなんて。優秀すぎるから、選択肢がありすぎて決めかねているんだろうか。羨ましい悩みだ。

「それ、ちょっと聞かせて」
「いいけど」
 さすがにイヤホンの共有は悪いなと思い、店の奥から俺のヘッドホンを持って来た。
「ありがと、スマホ借りるわ」

 ……あ、これ数学なんだ、国語とか英語じゃないんだ。すげぇ淡々としてる。お経みたい。わー、何語で喋ってるか分かんなくなってきた。ルイはすごいな、これで分かるのか……あ、噛んだ。

 鼻の奥でグフッと息が破裂した。申し訳ない、と思って押し込めた笑いが行き場を失い、腹の辺りで暴れている。腹筋に効く。
「お前、これ……ちょっと、無理。シュールすぎる」
「大丈夫?泣いてるの?」
「おつかれさまぁ」
たっちゃんさんが呑気な声で登場した。色めき立つルイ。
「たっちゃんさん、お疲れ様です。今日はお仕事、どうでしたか」
「まーぼちぼちですねぇ。え!レオ爆笑してるじゃん!珍し!どうしたの?」
「えっ市原君笑ってたの?」
「たっちゃんさんも聴いてみ、ルイの朗読」

 朗読とかするんだぁすごいね、と言って、たっちゃんさんがヘッドホンを着け、ヒーリングミュージックでも聴くように目を閉じる。わぁ、とか、へぇ、とか声を漏らしながら、しばらく聴いた後、おもむろにヘッドホンを外し、ルイの方を見た。
 そして、すごく爽やかな笑顔で
「美声だね!」
 と言った。俺は再び爆笑し、ルイは両手を口に当て「尊い……」と言った。

 閉店後、俺は久々にたっちゃんさんにフェアアイルのチェックをお願いした。
「わぁ、だいぶ久々の登場じゃない?この子。レオ諦めちゃったのかと思ったよ」
 諦めてはいなかったけど、俺もアケミさんパターンで、サブで編み始めたテーブルランナーばかり進めてしまっていた。

 それは、暑いからというのもあるけれど、フェアアイルを編み終えたら、たっちゃんさんと定期的に顔を合わせる口実がなくなるような気がしていた。いや、隣の店で働いているから、それは杞憂だけど、そういう物理的な「会う」以外のものが途切れるような不安があった。一緒に同じものを作るということの重みを、俺は、ニットカフェやタトゥースタジオでのアルバイトを経て知ってしまったから。完成してしまったら、もう、力を合わせて共に完成を目指す「バディ」じゃなくなってしまうから。

「オッケーです。時間かけただけあるじゃん」
「うわ、嫌味言われた」
「たまにはやり返すよー。やり返した後になんだけど、俺もお手伝い頼んでいい?定番で置いてる図案なんだけどさ」
 テーブルに、いくつか図案が描かれた紙を置いた。
「天使?」
「うん、ケルビム。子どもの天使ちゃん」
「に、しては結構重厚感ある」
「それ。お客さんに、もうちょっと可愛い感じのが欲しいって言われたんだよねぇ。こういうのも需要あるんだけどね、今回はちょっと軽くしなきゃいけなくてさぁ。とりあえず陰影付けすぎずに、平面的にしようと思ってるけど」
なんかアドバイスない?と言われたけど、たっちゃんさんの画風に口出しするのは抵抗あるし、可愛い感じの方向性が分からないから、なかなか難しい。

「えー……あぁ、これ赤ちゃんの肉の付き方にしたら?」
「え、赤ちゃんの肉の付き方分かんないよ?!」
 この店で、ご婦人たちに散々孫の写真を見せられたので、俺は赤ちゃんを見慣れた。
「肉のくびれがあるんだよ、腕とか脚とか。それがもっとぱつっと丸くて。あと、後ろから見た時のほっぺが、クレしんみたいな」
「クレヨンしんちゃん?」
「そうそう。本当にしんちゃんみたいに、ほっぺだけ見えるんだよ。だから、座って後ろ向いてるとことかすげー可愛い」
 たっちゃんさんは、なるほどねぇ、と言いながら、もっと曲線的な天使をラフに描いていった。
「あ、そうそうそんな感じ」
「はー、確かに可愛い。すごいねレオ、あっさりいい案出すねぇ。絵も上手いけど、発想力あるよね」
 手放しに褒められると、何かやりづらい。別に、と言って下を向いた。あ、と思って、もう一度前を向いた。

「あのさ、これからも、こうして聞きに来る?」
「え、何、めんどい?だるい?うざい?」
「俺そこまで口悪いか?じゃなくて、聞きに来て、くれるか、ってこと」
 ここまで言わせないでくれと思ったけど、言わなきゃ伝わらないから。
「ああ、レオが良いなら聞きたいよ。まぁでもあんまり頼りすぎないようにしないとね、俺もプロですから」
 そうだ。たっちゃんさんは、自分の店を持っている経営者であり、職人。俺の思い付きばかりを聞いては居られない。俺が、何かのプロになれば、肩を並べられるんだろうか。でも、俺が行きたい道は全部行き止まりになる。
「えっ、何かブルーになってない?どうした?」
 別に、と言って、閉店作業に取り掛かった。

 蒸し暑い夕方、ばあちゃんに頼まれて、ストックが切れてしまった茶葉を買いに行った帰り、カフェの最寄り駅に着くと、ルイが居た。
「ルイ」
 声を掛けると、ルイの肩がビクッと撥ねた。
「何、そんなビビる?今日もウチくるの?」
「ええ、これから行こうと思って」
「あちいなー」
 いつも持ってくる、毛糸を入れたトートバッグにランチバッグ、そして普段は見ない大きなトートバッグを持っていた。

「ちょっと」
と言って、ルイはロッカーに大きなバッグを入れようとした。
 その拍子に、中身がバサバサッとこぼれ落ちた。スケッチブックと、予備校のテキスト。普通の予備校じゃなくて、美大受験予備校の。ルイは黙ってそれらを拾い、無造作にロッカーに入れ、ロッカーの操作盤をタッチした。

 駅から店まで、二人とも無言で歩いた。志望校を決めかねていると言ったルイは、ずいぶんと的を絞った予備校に通っている。じゃあなぜ、あの時濁したのか。毎回ロッカーを使っているんだろうか。それはただ単に荷物になるからかもしれない。じゃあなぜ、今二人とも黙り込んでいるのか。

 店に着いたら、たっちゃんさんが来ていた。
「お、珍しい、二人で来たんだぁ」
 それぞれ、うん、はい、と言って、黙っていつもの席に座る。
編み始めても、お互い無言だった。ルイはもう、ほぼアケミさんと同じ強さで編める。どこからが二人の編地の境目か分からないくらい上達した。そろそろ、目数を減らす段階に入るはずだ。
「……ここ、減らし目って、何かしら」
「端の目を、二つ一緒に編んで……そう、そうやって重ねて」
淡々と教える。ばあちゃんが、
「二人ともお腹空いたでしょ。サービス」
と言って持ってきたシナモンロールを食べる。食べるために口を開けたついでに、言葉が零れ落ちてしまった。

「美大、目指してんの」
「ええ」
「何科」
「グラフィックデザイン」
「へぇ。いいね。初耳だわ」

 また、沈黙が続く。焦れて、今度は意図的に、言葉を落とした。
「変に、気回すなよ」
「別に、そんなんじゃないわ」
 今回は、そんなんじゃなく、ない。絶対に。
「荷物が邪魔だったか?じゃあランチバッグもロッカーに入れてくれば良かったのにな」
「……私が何持っても、自由じゃない」
「ルイが美大受験して、俺が傷付くとでも思ったか」
「そんなんじゃないって」
 コーヒーをひと口飲み、ルイが苛立たし気に言った。
「そんなに棘あること言うなら、市原君どうして」
 言うのをためらったんだろうか。間が開いた。でも、言った。
「どうして高校で美術部入らなかったの」
「はっ。入ってどうなる。高校入ってまでデッサンばっかりしてられないだろ」
「すればよかったじゃない。デッサン以外のことを」
「お前分かってんだろ、俺が」
「私は」
 ルイが、今まで聞いたことのない大きな声で遮った。
「私は、市原君の絵、好きだったわ」
 そんな訳ねぇだろ。
「適当言うなよ。デッサンにそんなに味わいがあったか」
「デッサンも、私よりずっと上手かったけど。それより、君が授業で渋々描いてたアクリル画とか水彩画。私は、好きだった」
「嘘つけよ、色めちゃくちゃだろうが」
「違う。あの絵は、あの色使いは個性よ。君しか描けない」
「でも美大受験には使えない」
「……受験で使えるかが全てじゃないじゃない。それに、美大には、色彩構成がない学科もあるわ。彫刻科とか」
「じゃあお前受験諦められるか。今から志望、彫刻科に変えるか?!」

 さっきのルイよりずっと大きな声が出た。ルイは下を向き、何も言わない。苛立ちと後悔で、内臓が震えている。たっちゃんさんが立ち上がりかけるのとほぼ同時に、
「レオ、謝りなさい」
静まり返った店内に、ばあちゃんの声が響いた。

「謝りなさい。ごめんなさい、じゃないわ。立ち上がって、申し訳ございません、って、謝罪なさい」
え、とばあちゃんの方を向く。
「私は、ルイさんからお代をいただいて、コーヒーと場所を提供しているの。ルイさんは、レオのお友達である以前に、お客様よ。お客様に居心地の良い空間を提供できない店員は、謝罪しなさい。私がレオに支払っているお金も、お小遣いじゃない。お給料よ。お給料を貰っている以上、あなたはプロよ。自覚を持ちなさい」
 淡々と、でも凛としたばあちゃんの声が、刺さるようにはっきりと、脳に入ってきた。俺は席を立ち、頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
 そんな、と、ルイが呟いた。
「ルイさん、私からも。目の前でお説教して申し訳ございません」
「やめて下さい。全然、謝ってほしくない。誰にも。……いえ、私も、すみませんでした。大声を出して、お店の雰囲気を乱して。普通のお店だったら、お客様お静かにって、言われてる」
 さすがのルイも泣いている。
「頭、冷やしてきます」
 そう言って、俺は店の外に出た。

 長椅子に座りボーっと通りを眺めていたら、たっちゃんさんが出てきた。
「そろそろ閉店作業しなきゃだけど、ちょっと一服したくて、出てきましたぁ」
 風下に座り、ゴメンね青少年の傍で、と言って、煙草に火をつけた。
「吸うんだ」
「たまーにね」
 俺と逆側を向き、ふーっと煙を吐く。

「レオ、今日仲直り出来たら、めっちゃいいお友達になれるぞ」
「出来る気がしない」
「出来る。レオは、気がしないって思ってるだけだ」
 きっと、仲直りのことだけじゃないんだろう。
「あのフェアアイルの色は、レオが決めた」
「でも、俺には、見えてない」
「俺は、ああいう配色にはしないよ。見えた色を伝えたら、レオが自分で決めた。何色を、どのくらいの量使うか。すごくいい配色だから、迷わないで、編み進めてよ。俺は完成品楽しみにしてるんだよ」
母さんも、言っていた。いい色ね、と。俺には分からないけれど、見た人二人だけだけど、今の所支持率は百パーセントだ。

「仲直り、出来たら、ルイにも見て欲しい」
「楽しみだねぇ」
 上手に喧嘩出来るのは、友達の絶対条件ですよ、と言うたっちゃんさんの方を見た。
「たっちゃんさん」
「ん」
「灰、落ちてる」
パンツに灰が落ちて、小さく穴が開いていた。
「えっ、嘘ぉ!これ買ったばっかりなのに!」
「ださ」
「いいこと言ってたのにー!」
「いいこと言うのに集中しすぎたな」
 ニヤっとしたら、
「お、笑った。パンツ犠牲にした甲斐あったな」
身削りすぎじゃね、と突っ込んだあと、たっちゃんさんは友達だから、ちゃんと言った。
「でも、ありがとう」

 店内に戻った。
「お祖母様、奥で閉店作業してくるって」
「大人の口実はみんな一緒かよ」
 苦笑いした後、
「ルイ、ごめん」
と、今度は友達としての謝罪をした。
「ううん、私が余計なことしたし言ったから」
「違う、俺が勝手に諦めたのに、勝手に突っかかったんだ」
 まだ、自分の中で折り合いは付けられていないけれど。
「やっぱ、凄い羨ましい。正直、これからも嫉妬してしまう時があるかもしれないけど、でも、俺はルイのことを、友達だと思ってる」
「そうね。友達ね。あと編み物の師匠」
「たっちゃんさん情報いる?」
「え、何?」
「さっき外でいいこと言ってたけど、それに気とられて、新品のパンツに煙草の灰落として穴開けた」
「嘘っ、喫煙者なの?!」
これは解釈が変わってくるわ、とかなんとか言い始めて、推しの力すげー、と思った。

 セーターの本体が編み上がり、最後に別色の毛糸でジグザグ模様を付ける、という段階まで来て、編み図の載った本を見ながら、ルイが言った。
「市原君にすごく丁寧に教えてもらったし、おばあちゃんの選んだものだから、言うまいと思っていたの。でも、これ、ちょっと、ダサいんじゃないかしら」
 俺も思っていた。
 この後、真っ赤なセーターに、青と黄色の2本のジグザグ模様を付ける。俺が言うのもなんだけど、さすがにそのカラーリングはダサい、と思う。模様も含め。

「このまま仕上げたら、母は、妹にこのセーターを着せないと思う」
「えっ」
「あ、いえ、さすがに私が編んだから、一回は着せるでしょうけど、そのままタンスに仕舞われっぱなしになりそう」
「あぁ」
 いつだったか、アケミさんが言っていた。ルイのお母さんは、子どもに渋い色の服ばかり着せる、と。
「うちの母、おばあちゃんのこと、そんなに好きじゃなかったし。おばあちゃんの大らかな所とか面倒見のいい所、母にとっては大雑把でお節介に見えてたと思う。私は、そこが好きだったけど。それに、母は、ウールでもコットンでもない、アクリル毛糸のセーターを喜ばないわ」
「まぁ、好みはあるだろうけど。じゃあ、何でルイは、これを完成させようと思ったの」
「どうしてかしらね。おばあちゃんの最後の一作くらい、母に気に入って欲しいからかな」
 ルイはアケミさん母娘を取り持とうとしている、そんな気がした。

「じゃあさ、これ、ルイの母さんの好みに寄せればいいんじゃないの」
「でも、どうやって」
「模様変えれば?そんで、アップリケでもレースでもフリルでも、母さんの好きそうなもの付けてみるとか」
「レースとかフリルはもっと好みじゃないから、アップリケとかワッペンかしら」
「柄何かあるかなぁ。母さん何が好き?」
 うーん、と考え込んだ後、ルイは「パンクロック」と言った。意外過ぎた。
「クラッシュとか、ラモーンズとかよく聴いてる」
「え、じゃあさ、たっちゃんさんの図案、貰えば?絶対パンクっぽいやつあるでしょ」
「その手がっ!」

 もうお母さんの好みがどうとかより、推しの絵を貰える喜びの方が勝ってそうだけど、たっちゃんさんに「今いい?」とLINEして店に入った。
「えっ凄い!めちゃくちゃ上手に編めたね!ルイちゃん頑張ったね」
「恐縮です。このセーターにたっちゃんさんの魂を刻みたいんですが」
「どういうこと?何?セーターに彫るの?」
「通訳させんなよ」
 こういう訳で、図案見せて欲しくて、と話すと、あっさりと
「いいよぉ、プリントできる布買っとくよ」
 と言ってくれた。図案のカタログを見ながら、あれもいいこれもいいとルイは悩み続けていたが、最終的に「これにします!」と決めたのは、俺がアドバイスをする前の、重厚感あるケルビムの図案だった。確かに、エッジが効いてるけど、モチーフが可愛くて、子供服に合うパンクっぽさだった。

「たっちゃんさん、お代いくらですか」
 ルイが聞くと、いいよこのくらい、お金なんか、とたっちゃんさんは固辞した。でもルイは譲らなかった。
「ダメです。クリエイティブ職は、きちんと対価を受け取るべきです」
 推しを前にしたときのルイでなく、いつものルイらしくきっぱりと言った。たっちゃんさんは、一枚100円で、3種類のケルビムのアップリケを売った。

 アップリケを縫い付けるのにまた一週間かかったが、秋の始まりに、セーターは完成した。それは赤一色に、黒でプリントされたケルビムのアップリケが映える、なかなかカッコいいものだった。
「ルイ、これ使って」
 そう言って、紙箱と、説明書きを差し出した。
「え、これ」
「こうやって箱に入れたほうが、プレゼントっぽいだろ。アケミさんとルイからの」
 説明書きには、こう書いておいた。

「このセーターは、後ろ身頃の途中までをアケミさんが編み、それ以外は全てルイさんが編みました。二人の編み手が、一つの作品を作るのには大変な労力が要ります。それぞれの編み方の癖が違うからです。ルイさんは、何度も何度も練習して、アケミさんの癖を完璧に再現し、アケミさんが編んだようなセーターを作り上げました。デザインは、ルイさんのアレンジです。お母さんが好きなパンクロックの雰囲気を出したいと、このデザインにしました。アクリルの毛糸は、軽くて丈夫で、洗濯もしやすく、子どものニットにはよく使われます。これを着て元気に遊んで欲しいという思いで選んだのだと思います。大切に仕舞わず、たくさん着せてあげてください」

 どうして。とルイが呟く。
「ルイ、どうせなんも言わずに渡すだろ」
「こんな、恥ずかしい」
「恥ずかしくなんかない。ルイがこの3ヶ月間、必死でやってきたことは、全然恥ずかしいことじゃない。お前は、すごい。ゼロから始めて、アケミさんを完コピするなんて、俺には出来ない。だからちゃんとプレゼンしろよ。すごいもん作ったぞ、って。冬には、妹さんが着てる写真送れよ」

 ありがとう、と言うルイは、泣いていないけれど、全然スンとしてもいない。俺はこの3ヶ月で、スンとしていないルイにずいぶん慣れた。ひと月長い夏休みの終わりに、俺は友達のスタートラインに立つことが出来た。



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