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気持ちの良い「支払」を考えてみる

お金には、色はついておらず、例えば、今目の前に「千円」があるとして、これには「いい千円」と「悪い千円」はなく、単なる「千円」です。でも、稼ぎ方や収入、あるいは使い方や費用において、プラスとマイナスの感情が入り乱れるのは、いったい何なのでしょうか?

1、心地よい支払いを思い出してみる

いままで、様々な消費活動を、誰もがしてきたことでしょう。がんばって貯金して溜まったお金で買ったモノ。衝動的に立ち寄ったお店で買ってしまったもの。たくさんの買い物の経験を誰もがしているはずです。

其の中で、「心地よい」買い物はどんなものがあったか、思い出してみましょう。

例えば、購入した「後」に、とても手間や不便が解消されたようなモノ。充電式の掃除機や食洗機なんかがこれかもしれませんね。今までの苦労や手荒れは何だったんだろうと思うぐらい、家事の苦労が一変するはずです。

他にも、たまたま候補がなくて入ったお店で食べたラーメンがおいしく、とても満足「だった」ということも、心地よい昼食代になったことでえしょう。

あるいは、いつもの美容師さんのスタイリングがお気に入りで、高い金額ですが、十分満足できる仕上がりにしてくれるといったことも、心地よい支払いと言えるかもしれません。

こうした「心地よい」買い物とは、常に「支払った後の満足度が高い」ことが上げられます。仮に、支払いの金額が同じで、スグ壊れるような家電や、ラーメンを食べたのに支払ったのがチャーシュー麺の200円高かったことがわかることなど、「後味の悪いもの」については、支払いは「マイナス」のイメージを抱くこととなります。

2、「嫌な」支払いは、期待しすぎている

逆に、支払いが「嫌だった」と思うものは、「事前」の期待や興味が高すぎて、「後」の印象が悪い、あるいはそれほどでもないという場合が多いように思えます。

例えば、ショーウインドウで飾ってあった服に一目惚れをし、もう運命的な出会いだと思って買ってみたものの、着ていくタイミングや場所がないことに気づき、お蔵入りしているようなもの・・・とか。

50個入りの冷凍クロワッサンが安くて買ってみたものの、毎日のように食べ続けるとだんだん飽きてきて、こんなにいらなかったのではないか、と思うことなど、ほとんどのパターンが「感情的に期待値があがる」ときほど、支払いや買い物が失敗しているような気がします。

なぜ、お金は何も語らず、色もついていないのに、こうも支払いの印象が違ってくるのでしょうか。それは、人間にとっての「買い物」が物質的なものだけでなく、精神的においても影響を与えるものだから、と考えられることでしょう。

ただモノをもっているだけでなく、それを眺め、再度実感することで、保有する「欲」が満たされるわけですし、他人に見せることで、優越感を感じるような「見栄」といったものも、精神的充足を与えることにつながるのでしょう。

こうしてみると、商売をする立場において、お客様の満足度やリピートにつなげるための「売り手」としての施策は、この「支払い後の満足をどう設計するか」にポイントを置くとよさそうです。

3、「売る」のではなく「買う」視点

商売に置いて「売上」は事業における根幹であり、それがなければ給与を稼ぐことはできません。また期間毎の目標や計画を達成するためにも「売る」ことが頭の中にいっぱいになることでしょう。

そうやって「売る側」の立場の視点ばかりがアタマに渦巻くと、「売れればいい」という発想になり、「売ってしまえばこっちのもの」という悪意さえ生まれてきます。

例えば、お客様が欲しいと思っていないものや、必要としていないにも関わらず、購入させてしまような商売や、支払い能力があることを見越して、より高いものを売りつけてしまう。確かに商売人としては優秀かもしれませんが、それによって、お客様はどういう「支払い後」になるのでしょう。

再び自分のもとを訪れてくれることはあるでしょうか。あるいは、所詮、人との出会いは一期一会。二度と会うことはないため、また同じような人を見つけて売上を作っていけばいい…そんな毎日が、この地球上で起こったら、人々の幸せはどうでしょう。あなた自身が売っている稼ぎは、心地よいものと言えるでしょうか。(人によってはいるかもしれませんが、誰かが支払った後、後悔や悲しみ、苦しみなどを感じているのであれば、それは人を不幸にする商売ではないでしょうか)

私達が、商売をするのであれば、視点を変えるのです。「売る」のではなく「買う」ためになにができるのかということを。

買っていただくことは、モノとしては所有権が移るということ。お客様の手には渡り、使っていただくことや、食べていただく。それがもたらす感情に、どんなものでしょうか。

「よかった」「おいしかった」「満足した」

そんなシーンを思い浮かんでいただけたら、必ずやまた求めていただける。顧客とは「顧みる客」と書くように、支払った「後」から関係性を築けないのであれば、商売人としては失格であろうと思います。

短期的に、値下げや送料無料で惑わせたり、魅了するようなPOPやデザインで期待値をあげたり、それは本当に商売として正しいのでしょうか。

「惑わす」ことが、新たな後悔を世の中に作ることになる。あえてきつい言い方をするのであれば、「人として最低なのではないか」とも思うのです。

もう一度、商売の基本に立ち返ってみませんか?

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