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“愛とは個の喪失”だなんてイカれてる。 信田さよ子『タブラブという快刀』

受け入れるのが愛、みたいな幻想せーのでやめようぜみんな。他者を所有し合う、みたいなことが愛だとか思うのまじやめよう。誰も誰のものでもない。「付き合う」とか「結婚」とかってルールよりも先に、もっと根本的なわたしたちの尊厳というものがあり、どんなルールもそれを害することはできない。

戸田真琴さんTwitterより

Twitterでこんな文章を見かけて、書いたことを思い出した文章。再掲してみようと思う。
モラルハラスメントなど精神的DVのせいで、魂が削られているように感じる人。
目の前にある「強固で息苦しい関係性」を、手放すことは決してあなたの冷たさ、軽薄さじゃないんだ、ってことがわかる、勇気の出る本を紹介します。

※以下は3年ほど前に書いた文です
※現在は本書の新版が出ています。内容はどう変わっているか未確認です

※筆者:she/her

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非常に私事で恐縮だが、先日、丸5年お付き合いした方と関係を切った。私にとってはとても前向きな選択だったし、間違いなく正解だったなと思っている。

関係が切れて心がとても軽くなったのはただの私の軽薄さからなのか?
そうでないとしたら、あの関係性にはどういう問題点があったんだろうか?
この出来事も、私のなんでも分析したい癖の対象に漏れず、あれこれ考えていた。

大きな結論として、「人間関係は自分の人生のプラスアルファでなければならない」から、「自分の人生にまず集中できない方とは関係性を作れない」とまとめた。

(絶対にこのアカウントのことは知らないのであけすけに書くが)彼は某ゴシップ系YouTuberの動画を好んで見ていた。「告発」という書籍も出すようなそのYouTuberは、その幅広い人脈を以ていち早くゴシップをキャッチし、あくまでエンターテイメントとしてゴシップを扱っている。彼に縋るように情報提供してきた人たちを、救うことはしない。

そのYouTuberの告発内容を盲目的に信じる姿が、涙が出るほど嫌だった。その告発に、愛もプライドもないから。
そして、シンプルに、ゴシップばかり追っている人のことを、事件をきっかけに知ったような人のことを批判して楽しんでいる人のことを、暇だなあと思った。

まずい、この人といたら、私はゴシップニュースと同じように彼の人生の一部として取り込まれる、と思った。
私が就職も決まって心が安定しているからと言う理由もあるかもしれないが、とにかく彼の人生の一部に、私はなりたくなかった。

本書のタイトルの“タフラブ”という言葉に希望の光を感じ取って、すぐに購入した。
タフラブは、私が人生の師匠から学んできたことそのものだった。

タフラブとは、自分を守るために「相手と理解し合いたい、コミュニケーションを取りたい、大切な相手とは分かり合えて当然だ、なんとかしたい」というエゴイズムや思い込みを手放すこと、つまりコミュニケーションを「断念」することにより、相手の問題と自分の問題を切り離して相手に接する、という愛のやり方である。

これを踏まえれば、赤の他人の問題に勝手に腹を立てたり囃し立てたりするゴシップは、タフラブの対極にあると言える。

タフラブのわかりやすい例を引用する。
例えば、ある夫婦に、一流大学を出たものの、就職できず引きこもりの息子が居たとする。
父親の行動パターンを予想してみる。
まず、
「今夜こそ、とことん腹を割って話そう」「お前は何をしたいんだ」「やりたいことをみつけなさい」と、理論的に、毅然とした態度で語り続けた場合、その父親は息子にとって真綿で首を絞めてくる、逃げ道を塞ぐ存在だ。こんな風にされた息子は、父親に反発し始めるだろう。
「話せばわかる」という幻想を抱いている父が、論理力のある側が、相手の考えや人生を自分に取り込みたいだけなのだ。
わかり合いたい気持ちはエゴだし、こじれを生むだけだ。
それに対して、
「わかった。では、お前はお前の考えで生きていきなさい。その代わり、何か困ったことがあれば言って欲しい。」
と言うのが、タフラブである。
息子を立派に育てたいという「自分の問題」とどう生きたらいいかわからないと言う「息子の問題」を切り離し、別のものとして扱っていくことがタフラブの考え方だ。

タフラブは、親子関係に限らず夫婦、友人、恋人、兄弟、全ての人間関係に当て嵌めて考えられる。

常々言っているが、私は“夫婦”という関係性にものすごく懐疑的だ。
本能の壊れた、自我を持つ人間が、性愛という本能的な衝動から発する関係性を円満に保ち続けることの難しさ。
セックスは「私」と「私」の境界を越えることで、You &Iの関係がWeになることで、寂しさを紛らす代わりに相手が自分の中に入り込んでいくことを意味する。だが、性衝動は恒久的なものではないから、Weの関係は破綻して当然と言わざるを得ない。

35%が離婚するこの国。いや、離婚できるならまだいい。子供の存在や世間体に背けず自分の気持ちに嘘をついて関係を続ける夫婦。サレ妻。ダブル不倫。欠陥だらけの制度だ。

これらの多くの問題は、タフラブをきっかけに解決できる可能性がある。

だが、コミュニケーションを断念して始まるタフラブは当然寂しさを伴う。密着し、一心同体であることで、人間は生きている限り避けられない孤独を一時的に手放すことができる。

タフに生きることは、寂しさと共に生きる事だ。

だが、タフ同士ならどうだろうか。私は私、の人生をお互いに大切にして、たまにお茶するような関係って、ちょっぴり切ないかもしれないけれど、風通しが良くてクールだとは思わないだろうか。

『「断念」と「断絶」は違う。』愛は惜しみなく与えるだけでなく奪うものだと言う自覚のもとで、最高にクールで楽しいタフラブは始められる。孤独のまま手を繋ごう。

この大切な約束、忘れそうになったら、ぜひフリッパーズ・ギターの「Camera Full Of Kisses/全ての言葉はさよなら」を聴いて欲しい。全ての言葉はさよならと同義。分かり合えやしないってことだけをわかりあうのさ。

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