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ACT.56『ハイパーメカニック』

千歳線

 千歳線に戻ってきた。函館本線の小樽ルートから北広島方面まで乗車した時以来の乗車である。といってもそんなに前ではないが、何にせよ感じてきた事がかなり濃密だったので早くも里帰りの感覚すら体が覚えているのは非常に何とも。
 千歳から快速エアポートに乗車する。
 ここから先、もう1つの目的地に考えていた場所に向かって行くのだが(しかもボーナス的要素にして)その駅に快速エアポートは停車しないので途中、新札幌で下車をしてからの行程となる。少し難しい道のりとなるのだが、勘の尖った方なら自分が何処に行こうとしているかは分かっていただけただろうか。
 冒頭写真は733系。乗車したのもこの電車だったのだが、すっかり駅構内や各ヶ所に存在している耐寒大雪の扉に慣れてしまったようにエアカーテン付きの片開き扉の電車にも慣れてしまった。最初は少し「おぉっ」と感じたのだが、気が付けばいつものようにして道民たちと共に時間に溶けていくのであった。
 なお、乗車前写真はまた撮影していなかったもので似た写真を先に掲載。思えば731系の仲間たちはこの構図で撮影した写真が最も多かった気がする。…自己比だが。完全に自己比だが。

 北海道JR幹線として現在では欠かせない路線になり、道内の血脈にまでなったこの千歳線について乗車時間の尺を利用して話を挿入しよう。
 千歳線という路線ほど、北海道で窮屈かつ忙しなく。そして生活の足と地域の足まで担っている路線は中々ないのではないだろうか。
 少し感覚…類似的な既視感で云うと、高松〜多度津・宇多津〜多度津のような列車のバリエーション。種類の豊富さを持っている路線だ。
 千歳線、南千歳方面へと向かっていく列車は両数。そして種類も実は豊富なのである。その種類は、石勝線開業後ではあるものの現在であれば
・石勝線普通列車、新夕張または追分行き=1両
・普通列車=3両〜6両
・特急すずらん=5両
・特急北斗=5両(繁忙期は8両なのか)
・特急とかち=4両
・特急おおぞら=4両
・貨物列車=21両
とそれぞれになっている。
 そして、コレらの列車は全て別々の車両性能であり登場年代も異なる車両を現在も使用している。特急すずらんに至っては大御所の785系が運用に入り、貨物列車に関しては機関車が牽引している。特急列車は気動車でつい最近の北斗・石勝線はおおぞらを置換えて全ての列車をキハ261系に完了させたものの、それでも複雑な事情は変化していないものだ。気動車で言ってしまうと、石勝線の普通列車なんかもそうなるのだが。車両に関してはカバー出来ているだろう。
 普通電車に関しても、現在は721系を筆頭にして多種多様な存在の車両が千歳線を彩っている。6両で快速エアポートの間合運用での仕事を担う者も居れば、3両の小柄な働き者もいる。そして最近登場の桜色の貴公子、737系も忘れてはならない。彼も千歳線の役者なのだ。
 として、千歳線にはそれぞれの車両がそれぞれの仕事を任されカラフルな路線になってもいるのである。都市圏路線とはこうも渋滞してくるものなのだ。
 それは、鉄道ファンにとっては
『カラフルな車両たちを多く撮影し楽しむ事の出来る時間』
でもある。それは少しづつ体感されていく事になるのだが、お楽しみに。

 少しガラッとしていた快速エアポートであったが、北広島からどっと多くの乗客が乗車してきた。
 どうやら北広島に新しく開業した球場・エスコンフィールドHOKKAIDOでの高校野球予選の影響で混雑しているとの事であった。
 車内は熱気に包まれ、早速列車が収容効果を発揮している。
 エスコンは日本ハムの新球場として今年からの使用になっているが、高校野球での北海道予選・北北海道大会と南北海道大会の県予選の地としても選ばれたのであった。試合の経過などを見ていたが、自分としては
「いや、こんな場所で部活の大会できたらもう甲子園で戦うより悔いがないやろ…」
と思ってしまいそうになるのであった。
 しかし、そう言ってはならないのだろう。
 別の思いが、球児たちには残ったのではないだろうか。
 この先、滞在中にも高校野球北海道予選は続いていく。(北北海道・南北海道共に)自分の旅の裏を追って続いており、夏の時期の熱気を感じる滞在でもあった。

核への接近

 一旦、新札幌で下車する。
 ここで普通列車に乗換えて目的地を目指すのだ。
 と、下車して非常に興味を唆られるモノを発見した。
「これは良いじゃないですか…!」
すっかり、関西方面では見かけなくなったシンプルな案内表記の看板。北海道では隠れてこうした案内表記が存在しており、交通の隠れた屋台骨として存在しているのであった。後に地下鉄にも乗車していくのだが、その時には昭和というか建設時期からあまり経過していないレトロさに大いなる感動を覚え
「離れたくない」
という充実にすら達してしまうのである。
 と、つい旅に出たらこうしてレトロなというか時間の経過から逃れた…と云うのだろうか。タイムマシンに乗って移動してきたかのような看板・注意書きなどを無意味に撮影して帰ってくる。
 新札幌でのこの看板表記は、正にその中でも天下一品に良い看板だった。本当にこの看板に従ってバスに乗車しようとしたら、日野製やいすゞ製の旧型バスが出迎えてくれるのではないだろうか。そんな錯覚さえ感じる。
 いや、熱くなりすぎたなぁ。それだけ感動したんです。もうアレですね、初恋の同級生に再会した、的な。そうでもないけど。

 新札幌で、列車撮影。
 全く意識はしていなかったが、ホームに上がったと同時にしてキハ261系の特急おおぞらがやってきた。隣には731系電車。札幌近郊らしい風景である。
「もうちょっと行けば、札幌なんか…」
そんな核心すら抱きながらの撮影だった。731系は図鑑や書籍で見た時期とあまり変化がないのだが、キハ261系に関してはかなりの変化をしているような気がする。既にLEDのマークになっている車両に関しては、車両の塗装変更を経験していない車両というのもいるようだ。あの青味がかった銀色の味こそ、北海道の気動車特急、という声はありそうだったのだがなぁ。

 北海道の車両は、
『特定のヶ所を撮影して特定の魅力を強調させる』
という撮影手法を何回も利用した気がする。特に特急形ではこのキハ261系がこの手法で何回も撮影ししてきた車両だった。
 上空を翔ぶ、鶴のトレインマーク。そして、OZORAの表記。最近の新型車両移行や車両更新のムービングに伴ってトレインマークの省略や簡素化などが行われるような時代には入っているが、この特急おおぞらに関しては変化でより一層好きになったと言っても過言ではない。

※かつては石勝線特急列車・おおぞらとして活躍したキハ283系。おおぞら時代は2羽の鶴が踊るようなトレインマークを掲出していた。

 かつて、特急おおぞらの役目を担ったのはキハ283系車両である。現在では石北本線に移り、キハ183系を置換えて特急オホーツク・特急大雪としての仕事をしている。
 そんなキハ283系時代のおおぞらは2羽の鶴が向かい合って舞を披露する姿であった。(あのマークがどう表現すれば伝わるんだろうか)
 そうした時代は現在では過去になってしまい、というかキハ283系の縦長なトレインマークでしか表現できなかった芸当だったのだなとしか思い返せないのだが非常に美しかった。
「アレも良かった…」
と感動には落ち着くのだが、やはり今も洗練されてその格好よさに取り憑かれる。そんなマークが今の特急おおぞらのマークなのである。
 表現が難しいので、気になった方は少しだけ中断して『キハ283系 おおぞら』と検索してください。はい。(そこまですな)

 標識は被ってしまったが、特急おおぞらの発車シーンを撮影した。
 1羽の鶴が直線にして飛んでいく姿。そして北海道の変革した特急列車のイメージは既にキハ261系のデザインが新たに包容し、回収ともいうのだろうか。そうして馴染んだ感覚すらある。新札幌の駅を発車し、甲高いディーゼルサウンドを掻き鳴らして去っていったのであった。
 しかし繁忙期であったので、石勝線特急も函館本線特急(室蘭回り)も非常に迫力のある長編成が楽しめた。
 この旅を終了して、の話にはなったのだが後にこの撮影した石勝線特急たちがTOMIXからNゲージで販売される事が決まったらしい。是非とも購入計画に入れておきたいものだ。

 まだ札幌には向かわないが、札幌に近い場所に居るのだと感じる列車をこの場所では多く見かける。
 都市圏近郊を支えている721系・731系列をもこの場所で多く撮影した。
 電車としては既に大御所クラスに突入しそうな721系も、快速エアポートとしてuシートを組み込んで長い編成で尽力していた。
 相変わらずの駅名標との撮影。しかしながら、落ち着くクオリティがあるものだ。一体なんなのだろう。
 札幌という北海道の大きな核を目前とし、自分の気分は少しづつ温められていった。
 しかし、もう少しだけ時間をかけての札幌行きを決めるとしよう。この駅で、友人への土産を改札から出て購入した。その後、再び列車に乗車して次の場所へと向かうのである。

再び出会って〜721系〜

 友人への土産も購入したところで、再び列車に乗車しよう。
 目的地である駅には普通列車でしか到達しなかったので千歳→新札幌と経る事になってしまった。先に普通列車を引いていたらこうはならなかったのだろうけれど。
 として、快速エアポートの間合い?運用のようにして走っている721系電車に乗車する。北広島からの乗車では中間のuシート部分に乗車したが、今回は適当にとして1番前の車両に乗車した。後にも先にも、721系に乗車した機会はこの1回しかなかった。なんと言っても733系一族の数がかなり侵食しているのである。
 乗車した少しだけの時間の感想として、寒色系の電車であるという特徴が挙げられるだろう。単語的に考えると、『冷たい』という言葉が似合う電車だ。
 乗車すると、まずデッキが目に入る。このデッキも北海道の電車として耐寒耐雪の構造を目処に設計されたものである。以後、北海道の電車として標準の設計になっていくのだが。個人的には今を思えば、急行形電車のようで非常に唆られる設計だった。最も、冬場になった時にはその真価の発揮なのだろうけれど。
 そして、車内に並ぶクロスシート。コレがまた、721系の急行形電車の『らしさ』を引き上げていた。急行形ではないのだが通勤形。しかし北海道設計にした結果として…と中々面白い状態なのである。
 今回は座席が満杯の状態で多くの乗客が座っている状態。そして自分も新札幌を発車して平和、白石と続きスグに下車する格好だったのでそのまま座らず、新札幌から続く高架の景色をずっと眺めていた。

 新札幌を出て、札幌の手前で下車をする。
 目的地、苗穂に到着だ。
 札幌まではあと1駅という状況なのだが、この場所は鉄道が好きなら。鉄道に興味を持っている人間だからこそとして下車をした。
 しかし思ったよりも駅の構造は綺麗で、構えとしては非常にどっしりまでしている。
 そのまま乗車し終えた721系電車は、夕暮れの街に特徴的な銀色の車体を輝かせて札幌に消えていった。ではこの駅を少し見ていこう。

 苗穂駅ほど、北海道で列車観察に向いている駅はないのではないだろうか。
 この駅に居る時間では、接近放送で言うと列車の到着放送よりも通過放送を聞いた回数の方が感覚的に多かった位には通過列車の数が多かった体感だ。
 到着してすぐに、甲高いモーターと車輪の打ち付けるような音を刻んで721系・快速エアポートが通過する。新千歳空港に向かっていく便だろうか。
 急だった事情で少し流し気味にして捉えたが、なんとか収まって安心した。

メカニックと休息の地

 苗穂に到着すると、その日の仕事を一旦終えたのであろうキハ261系北斗が中線に停車していた。
 この線路に関しては使用しない、のだろうか特急列車や乗客を乗せていない回送列車が一息を付くのに少し停車していたイメージが残っている。
 後に写真を撮影する事になるが、この中線に停車し追い抜かれる様子。そして中線に停車し、札幌方面に向かう列車と交錯する様子…など、この場所では様々な様子が展開されていった。
 しかしながら、奥行きの架線柱が美しい。
 そして信号の幻想的な光。
 少しだけこの場所に関しては何枚かの写真を撮影していた。

 苗穂で下車したからには、この場所に行きたかった。
 苗穂で下車し、改札を出て跨線橋を歩く。そのまま回れ右。すると、跨線橋の眼下に広がって見える光景があるのだ。
 国鉄時代から北海道の鉄道を支え、そして全国にその名前を『魔改造』で知らしめていく事になる苗穂工場である。
 現在もこの苗穂工場ではJR北海道の車両・北海道高速鉄道開発・道南いさりび鉄道などJRに付随する鉄道車両の整備や検査に大きく貢献している。
 そしてそんな苗穂工場の見える跨線橋の眼下だが、実は北海道の鉄道に一石を投じた鉄道技術の作品を拝む事も可能なのである。
 まずそれがこの車両だ。キハ261系の奥に映っているカバーで覆われた車両である。
 『トレイン・オン・トレイン』と呼ばれる貨物列車である。この車両は平成16年に東北新幹線の北海道延伸・現在の北海道新幹線に向けて先行開発された鉄道車両だ。
 新幹線の北海道上陸にあたり、現在でも課題になっているのはやはり本州と北海道を結節する『青函トンネル』だ。この青函トンネルをクリアする為には、様々な面を克服しなくてはならない。
 新幹線は当然、最高速度が250キロ以上で走行している列車であり高速で都市と都市の間を駆け抜けるのが目的の列車。
 しかし、貨物列車はどうだろうか。当然、日本では新幹線に貨物列車を新幹線内に走行させた実績なんてないしそうした開発もこれから、という段階になる。ましてや貨物列車の最高速度は100キロが出せて限界である。
 これらの特性を互いに持った列車が、もしも青函トンネル内ですれ違ったりしたらどうなるだろうか。風圧の問題。速度差による問題。ダイヤの互換性。様々な懸念が予想された。
 青函トンネル内には既に竜飛海底駅と吉岡海底駅、2つの海底駅が存在していたが、もし新幹線化を行ったとしてこれ以上待避設備を建設。または予備のトンネルを建設するのも物理的には困難とされた。
 そうした中で、その問題を解決するべく誕生したのがシェルター状の車体に貨物列車をスッポリと囲い込んで新幹線用に嵩を増し、新幹線区間を突破できるように設計したのが『トレイン・オン・トレイン』である。
 かつての鉄道事情。そして昭和史に詳しい方ならこの言い方の方が分かり易いかもしれない。
『青函連絡船時代の貨車航送を、新幹線にて実施しようとした』
のである。
 その技術を、新幹線で。青函トンネルでシェルター貨車で実施しようと挑んだのであった。
 丸ごと列車をシェルターに囲い込んで新幹線区間に乗せ込んだメリット、として列車の全体的な積み下ろしや載せ替えの心配が無くなるというメリットがあるのである。しかし、この先はどうだったのだろうか。
 平成18年。トレイン・オン・トレインの実験が開始された。青函トンネルの新幹線化という大いなる希望の光彩を夢見て。実験が始まったのである。
 平成22年。この青函トンネル新幹線貨車実験にJR貨物が共同参加。そして翌年の平成23年には国交相も導入の検討に興味を示したのである。国の大きな後押しを得たのであったが、実験成果に関しては大きな進展が国から(国交相から)は弾き出されている。
・新幹線と貨物列車のすれ違いによる運行時間の規制が生じないため貨物ダイヤの自由度は高い
・トレイン・オン・トレインにて貨物列車の時速260キロ化を実施した場合所要時間の18分短縮が期待できるが、貨車の積載や卸に20分ほどの時間を要する
・重量や積空差などの克服課題の多さ
と様々な課題が発見され、このシェルター式貨物列車であるトレイン・オン・トレインの発進は現実味を帯びたかに思われたが。しかし暗礁に乗り上げる事態がJR北海道を襲うのであった。

※JR北海道の分水嶺、とはこの事だろうか。鮮明に記憶している方も居るとは思うが、この事故にて会社は大きな転換を余儀なくされた。

 平成23年。石勝線トンネル脱線火災事故。
 この事故を機会にして、JR北海道はそれまでの技術開発を中断して安全性重視。そして目の前の課題の克服へと立ち向かっていった。
 そして、青函トンネルと貨物列車…に関しては速度引き下げの上で専用の電気機関車を開発し対応した。
 平成28年。新函館北斗まで北海道新幹線が開業。東北新幹線が見事に海底を突破し、北海道に上陸したのである。しかし、その場には苦心して開発したシェルター式の貨物列車は存在しなかった。

※青函トンネルの新幹線転換にて現在貨物輸送をリードするEH800形。新幹線電圧・新幹線無線などに対応する唯一無二の機関車だ。

 北海道新幹線と貨物列車、に関しては新幹線と貨物列車同士で専用の速度を決定し、その中で互いに制限を掛けて青函トンネル内を走行する事に決定されたのである。
 そして、専用の新幹線電圧に対応する電気機関車も無事に設計され走行する事になった。
 現在ではシェルター式の貨物列車は苗穂工場…苗穂駅の跨線橋からその姿を寂しい姿にて拝むだけであるが、拝んだ時にはその苦心の歴史。また、開発に尽力した決死の覚悟やその背景も考えて見るとまた不思議と異なったモノに感じるのではないだろうか。
 現在でも解体されずに歴史の語り部となっているのは非常に鉄道を愛している者として、素直に感動する事である。見れた事実が素直に嬉しかった。

ハイパーメカニック〜苗穂のエグいの見ていこう〜

 JR北海道・苗穂工場は起源を辿れば明治42年に完成した鉄道院の工場が原点なのである。
 この工場は、様々な歴史を持ち。そして世の中に『エグい』『バカなのか』『正気か』『ホンマか』というモノを世に放ちまくってきた。それは先ほどまで解説した(長々しすぎた)青函トンネル用に開発を見据えた悲運の貨車であるトレイン・オン・トレインもその1つなのである。
 しかしこの苗穂工場が隠し持っているモノはそれだけではない。まだ恐ろしいモノを隠し持っており、しかも跨線橋からカメラを伸ばせば鮮明にバレるのである。
 例えば、この黄色いアメリカンタクシーのようなバスのような乗り物。コレだって歴とした苗穂工場の開発した遺産なのですよ。そして、紆余曲折があっての保存になっているのである。
 訪問時間は平日の帰宅時だったのだが、家族連れの親子が
「電車みる?」
「うん!!」
「ほらきたきた!!」
「うわぁぁいいい!!」
の道を危うく踏み外して苗穂の魔改造マシン達に目が移ってしまおうモノなら、完全に手遅れになりそうだ。もうそうなれば指定難病間違いなしでしょうけどね。
 という事で次はコチラ。DMVです。え?DMM?ネットじゃないんですって。ほらほら。

※現在は阿佐海岸鉄道で活躍する930形。お披露目の機会として京都鉄道博物館を訪問した際の写真である。

 先ほど紹介のトレイン・オン・トレインに関しては『失敗』の末にして放置されてしまったというか(その栄華を現在に語り継いでいるのだろうか)のような格好で現在もその姿を遺しているのだが、コチラのDMV(デュアル・モード・ビークル)に関してはしっかりとした成功例が世の中に残っている。徳島県の阿佐海岸鉄道にてその実現が達成されたのだ。しかし、その実現は「思っていたのとは…」な方向性だったかもしれない。
 では、見ていこう。
 DMVの構想が描かれたのは平成14年の事であった。JR北海道のローカル線事情の悪化を見て、これからの兆しに対抗しようという交通手段を検討した時に次世代の車両を開発しようとチームが結成されたのだ。
 苗穂工場は、これまで何度か鉄道とバスの垣根を越えようと果敢に挑んだ事がある。まぁ、本当に凡人の発想では思い付かない。そして奇想天外な発想で常々社会に漂っている工場なので何かとそうなのだろうが。(おい)平成11年。鉄道法にてバスと鉄道の垣根を越えた交通手段の開発を検討しようとした。しかし、この開発には失敗している。鉄道とバスの問題というのは、非常に難しくそれぞれには互いの個性と長所・短所が多過ぎるのだ。苗穂工場が挫折を味わったのは平成11年の事である。
 おや。この挫折何処かで…気にしないでおこう。
 苗穂工場が諦めなかったのはそれから3年後の平成14年。改めてその時になって気づいた。
「鉄道の感覚・視点からその垣根を越えてはならない。ではバスの感覚、軌道法から超えていこうではないか。」
本当に諦めが悪いというのか、何かに縋り付くような気持ちである。
 そして開発開始。
 まず、軌道法というのは鉄道法よりも少し緩くなっているのが特徴なのである。この垣根は絶対に突破できる、と謎の勢いそのままに、開発陣は技術に知恵に、必死にその心血を注ぎ込んだ。DMVの一歩が進み始めたのである。

※そもそもバスと鉄道では何もかも…基礎から違ってくるのがわかるだろうか。

 挫折からの復活、にてコンセプトに見出したもの。それは
『線路を走行する事が可能なバス』
である。しかしそういったモノなど本当に実現できるのだろうか。再びの挑戦で、開発陣は軌道法から切り込んでいき活路を見出すのである。
 まず、開発チームは『バス』の捜索に動き出した。最初は挫折を味わってしまった上、世界中を探しても鉄道とバスを両立する交通手段など何処にもない。開発の道は手探りでの進行となった。開発費用は限定され、中古の車両に限定される。
 なんとか3ヶ月の期間をかけて中古の車両。しかも廃車寸前の限界状態の車両を引き取ったが、どうにか試験可能な状態まで持ち上げる事が出来た。廃車でそのまま鉄屑になると思われた車両が、まさかの交通技術の未来を担う車両として復活である。
 当然に、鉄道の力だけではDMVの開発はできない。自動車の技術からも開発の協力を得て開発は進行していく。その勢いは極寒の大地の中、様々なマシンを世に生み出したJR北海道の技術マンならではの凄まじさが篭っているモノであった。
 そもそも、自動車と鉄道では走る場所が異なる。片方はアスファルトの上。片方は鉄のレールの上を走行し、走行環境からまるで異なっているのである。
 と、この双方の走行環境は専用の振替環境を製作し、専用のガイドステーションのような場所としてまずは『モードチェンジ』を行って対応する事にした。そして、車両にも金属の部品を挿入して鉄道車輪の出し入れを可能にしたのである。
 モードチェンジ、にかかる時間は10秒程度の時間がかかる。しかし、この時間には乗客を乗せた試運転でも衝撃はなくクリアし、スムーズ安全、迅速な切替が行われていたのである。

※DMVの鉄道用車輪を出した際の様子。非常に小さい車輪の為、乗り心地の悪さが懸念されている。

 モードチェンジにて、無事に道路から鉄道に上陸する事が出来たDMV。そして、実用化に向けて様々な試験が道内で実施されたのである。
 まずは石狩月形にて。そして、日高本線でも実施していった。
 個人的な話になるが、どちらかの走行試験のニュースを偶々小学生の頃の朝のニュースで見かけたのだが、その時には
「一体これは何なんだ?」
とその衝撃に駆られた…というか、よくマンガにある『脳に電撃が走った』ような気分感覚になった。普通に踏切内で一時停止し、車輪をガボっとカバのような覆いから吐いてそのままドスドスと線路を我が物顔で走っていく黄色いDMV(当時のJR北海道が開発したDMV試験車両は黄色)の姿は、今でもハッキリ記憶している。
 しかし、このDMVの鉄道用車輪。見てもわかる通り車輪の半径が凄く小さい。小柄とでも言おうか。なので乗り心地や振動の悪さを乗客に伝えやすいのが問題点である。
 また、車輪の出し入れに使用するバネを油圧式に変更して、乗客面の改善(乗り心地関係)を図っているのである。こうして、北海道での成績は順調に進行していったかのように考えられたのだが…?

※バスと鉄道の実用化に向けて。時代は進行していく…のだろうか。

 DMVの実績は、日本の交通技術の飛躍として世界にその名を轟かせた。
 交通大国。欧州の団体も視察に訪れ、そして日本の各自治体も開発成功の暁にはと実現に向けて大きな舵取りがなされていった。
 しかし、DMVの内蔵している小径車輪では悪天候に耐えられなかった。北海道内での走行試験では積雪に乗り上げる事故を起こし、試験は北海道を飛び出した。
 主な走行試験として、静岡県や岐阜県へと旅立っていったのである。全国へ鉄道とバスを融合した新たな交通手段の実績を証明する時がやってきた。
 そして、平成20年に世界各国の首脳を招いて開催した北海道の洞爺湖サミットではこのDMVも颯爽とお披露目される。世界各国も実はバスと鉄道の垣根を越えた課題には注目しており、この未知なる実験には本格的に注目が集まっていた。
 また、自動車メーカーのトヨタも本格的に参入してくる。バスが鉄道の車輪を穿いて出し入れを可能にし、バスに乗車したまま鉄道の線路に上陸して色々な目的地に移動できる。画期的な交通手段の開発は進行し、実現まであと少しに迫っていたのである。

※DMVの鉄道⇄バスの転換場所(モードチェンジ地点)。この先にジャッキのようなものを敷いて車輪の出し入れを行う。訪問時は工事中だったが、交通の進歩と過渡期の一途を垣間見た瞬間であった。乗客は降りずにそのままDMVをバスとして乗車可能になっている。…徳島県。甲浦にて

 だが、JR北海道を取り巻く状況下がそれを許さなかった。
 平成23年石勝線列車脱線トンネル内火災。この事故をキッカケにして、JR北海道は安全を優先にし。そして先に開業する予定としていた北海道新幹線への土壌を突き固める事に舵を切ったのであった。
 トレイン・オン・トレインにしてもそうだったのだがやはり開発意欲に前向きだった。マンガの発明世界のような苗穂工場のストーリーは、ここで一先ずの終結を迎えたのであった。石勝線火災は北海道の鉄道技術開発に欠かせない出来事になってしまったのである。
 DMVに関しては、石勝線火災の3年後。平成26年に開発を断念してしまう。JR北海道でのDMV開発はここで終末を迎えたのであった。
 この先、令和の時代を迎えた日本で阿佐海岸鉄道。徳島県での実現が決定していくのだが、その実現に関してはまたいつか。徳島県の当地訪問の際にでも記していこう。
 しかし、DMVに関しては
『バス状の乗り物に乗車したままで鉄道の目的地とバスの目的地を移動可能』

『コスト、そして整備面が簡単なので転換や準備が容易』
と様々な利点を持っていたのだがまだまだこの先、乗客を乗せての運転に関してや保安設備についてなど課題や短所の見極め、信号設備の追従なども懸念されている。
 苗穂が見つけ出した希望の光は、日本中を今では照らそうとしているのだ。

 やっと戻ってきた!と思ってきた皆様。
 大変にお待たせです。
 苗穂工場を苗穂駅跨線橋から見た様子でございまして。
 いやはやコレが非常に国鉄チックで良いんですよね。なんだろうか。こう…鉄道の工場というか、鉄道の『現場』というのか『鉄くささ』というのか。ヤードのように組まれた線路の撮影は、シャッターを切っている時間が非常に楽しくなる時間であった。
 訪問時の苗穂工場はこのようになっていた。どうやらあまり、面白みはないとの事だが…
 旧型客車の保存車。そして無蓋車の保存車(保留車?)が置かれている。789系のS白鳥色は検査を受ける為の留置だったのだろうか。北海道への知識は皆無なので分からない。
 そして、そんなS白鳥色の789系の前には721系が留置されている。S-3012編成だ。
 編成番号まで書き記しているのは?という疑問だが、実はこの721系。特別な721系だったのである。この721系。実は後にSNSなどで判明したのであるが
『721系として初の廃車車両』
との事であった。
「おぉそんなまさか」
と思ったのだが、編成番号を拡大して写真を見たところ間違いない。目撃に関しても北海道の鉄道ファンたちは撮影当時の少し前?からしていなかったようで、非常に大きな偶然であった。
 こうして苗穂工場では、鉄道車両の最期を見届ける場所でもあるのだ。後に721系の当車両は順調な解体をされ、鉄のリサイクルになったのだとか。
 苗穂工場で最期を迎えた車両…?
 苗穂工場で最期を迎える車両…?
 苗穂工場での解体…?
「あ゛っ!!!(ク○しんボーちゃん)」
 …そう。1度も走らずしてこの世を去ってしまった(解体された)車両がいるのである。苗穂工場の構内試運転のみで居なくなった、キハ285系という車両だ。
 卵形のフォルムが特徴的な、銀色の気動車。そして振り子傾斜角をアップさせ、札幌から函館の間を従来よりも速く…!との高速革命を掲げて『開発』されていたのだったが、呆気なく抜け殻になってしまった。是非とも、面白い話(どちらかというと哲学的にも)なので『キハ285系』とネット上で検索していただきたひ。
 ん〜とさて。苗穂工場の話でどうしよっかなあでしたが、話がアホみたいに長くなった(苗穂のチキチキマシンの話)のでまた少し尺稼ぎます。
 …閉店。(♪〜ホタルノヒカリ

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