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ACT.81『躍進の交通と』

シェルターの地下鉄で

 平岸高台公園での聖地巡礼を終了すると、再び南北線に乗車した。乗車した時と同じようにして、5000形が出迎える。
 札幌市営地下鉄は、全国の地下鉄と同じようにしてホームドアのない状態でかつては運用されていたのだが、近年の安全対策によってホームドアの設置が進行し車両の姿をじっくり拝む事が難しくなった。
 そうした中での南平岸駅にて撮影した写真が、今回冒頭の写真である。
 南平岸の駅は島式になっており、少しだけホーム奥でズームするようにして撮影するとこうした写真の撮影が可能になる。但し相当無理をせねば撮影はできないのだが。
 そうして、再びシェルターの地下鉄に乗車する。全国の地下鉄でも高架駅や地上駅。そして地下鉄の相互乗り入れとして地上を走行する姿が見られるが、こうして札幌市営地下鉄は南北線のようにシェルターが町中を覆う区間は、世界中でもこの札幌が非常に珍しいのだそうだ。

※札幌市営地下鉄…の走行する北海道を悩ませるのが、冬季から春季にかけての積雪である。雪の降り積もる区間を安全・安定した定期的な運行を実施する為に札幌市営地下鉄は地上区間をシェルターで保護する作戦に出たのであった。
(注*写真は想像図です)

 昨今、北海道の鉄道…JR北海道は記録的な積雪や豪雪の影響を強く受け、日数単位での運転の計画に迫られる事も多い。運休。そしてその毎に除雪に力を入れ思うように進行しない列車の運転。
 しかし、札幌市営地下鉄はそうした記録的な豪雪の中をものともせず駆け抜けた。それは一重にシェルターの成すお陰である。シェルターで完全に地上区間を覆ってしまえば、北海道の中で冬季から春季にかけての積雪の影響を受ける事なく、安定的な運用が可能になる。
 そうして、札幌市営地下鉄は幾多の豪雪災害からくぐり抜けてきたのであった。
 かつて、地上区間はそのままにして除雪車を開発する計画も浮上していたのだがそのまま頓挫。結局、こうしてシェルターで地上区間を覆って現在に至るのであった。

楽しみのメカニズム

 南平岸から乗車し、やってきたのが地上区間…真駒内まであと1駅の『自衛隊前』駅である。
 この駅には南北線の車庫もあり、朝夕の車両の出し入れも実施している。
 乗車した列車を写真のように見送って…いよいよこの駅での撮影開始だ。ホームドアの設置された中の札幌市営地下鉄であるが、この南北線・自衛隊前の駅だけは唯一札幌市営地下鉄の中でも視界の開けた駅なのである。パリの地下鉄の影響を濃く受けつつも、その方式を札幌での開業に向けてアレンジした手法…通称・『札幌方式』の地下鉄の走行する様子をじっくりと観察可能だ。
 この駅での地下鉄撮影は、自分の中での札幌で楽しみにしていたイベントであり、その観察の事を思うとかなりワクワクした状態で自衛隊前の駅までの時間を過ごしていたのであった。

 撮影開始。最初に入線してきたのは 行き先表示器を更新した編成であった。
「おぉ、こんな車両も居るのか」
と最初は撮影しつつ思う中であったが、京都に帰郷してから丁度『札幌市・南北線に新車導入計画』と発表が発令されたので
「本当にこの改造って意味があったのだろうか?」
と今では異なる方面の心配が同時に重なる。車内にはフルカラーLCDの表示が鎮座し、全体的に路線の色調を大胆に出したスタイルとなったが、果たしてこの姿であと何年活躍する計算なのだろうか。
 そして、車両を撮影した瞬間から思った事がある。
 車両が全体的にデカい。
 この設計も札幌市独自の規格で設計しているようで、他の地方の地下鉄と比較すると若干大きくなっているのだという。
 ゴムタイヤ式の特殊な車輪。1本のレールを跨ぐ案内軌条に近いスタイル、そして他の地下鉄と比較して大きな車両の大きさ。
 こうした異例づくしの車両の為、引退後は保存…されるのが一部のみであとはスグに一生を終えてしまうのだとか。

 シェルターの中に格納されたような…自衛隊前駅を発車する寸前の地下鉄を撮影してみる。
 自衛隊前では、車両の編成記録をする事に徹していたのだが、車両や駅設備をじっくりと眺めている間にどうしても路線色の主張、そして札幌市交通局のマークである『ST』の斜体で記されたロゴを見ているとつい全体の写欲が湧いてくるのである。
 と、そうした気持ちの中で撮影した写真の一部。札幌市営地下鉄の独自な車両区分である『女性と子どもの安心車両』が映り込んでしまった。
 奇しくも…ではあるのだが、札幌らしいまた1つの風景として良い記録に仕上がったような気持ちになる。引き続き編成の写真を撮影していこう。

 再びの編成写真。
 予定は実を言うとギリギリまで迫っていたのだが、更新車両が来る比率自体では高かったものの、どうしても道中で見かけたオレンジ色の行き先表示の『未更新』車両を撮影したく待機した。
 …として撮影したのがこの記録。
 自衛隊前では札幌方式の地下鉄車両を全体的に眺め、その独自な機構をじっくりと眺める事の出来る駅でが、実際を言ってしまうと駅の完全な先端までは行けない為こうした編成写真でも、撮影の方法によっては後方部に障害物を混ぜてしまう結果になる。
 だが、辛うじて撮影できたのでこの記録では良しとしよう。ただ、この障害物かわしに何度もトライした結果、何分か何本かを無駄にした記憶は未だ残っているのだが…
 シェルターの窓から差し込む光を受けて、5000形の特徴部分である前面の鋭角が輝いている。

 5000形の特徴とも言って良い、この鋭角が入った部分。前照灯・後部標識灯は角形になっており、丁度角度を描いたラインの中に丸みを少しだけ描いて収まっている。
 そして、車両の特徴といえば札幌市交通局の『ST』ロゴが立体的に浮かび上がっている点だ。この部分が入ってこそ、輝いてこその札幌市営地下鉄の車両だと気付かされ考えさせられる重要なアクセントである。
 車両を撮影し、じっくりと眺める事が可能なのがこの自衛隊前駅の魅力なのである。
 札幌方式の地下鉄の観察に。全国この都市にしか存在しない面白い地下鉄の訪問に、この駅には大きな観光要素が秘められていると信じて。

唯一無二

 札幌市営地下鉄には、南北線・東西線・東豊線と各路線が存在している。その中で、この南北線にしかないのがこの特徴だ。
 南北線のホームから目を見下ろし、線路を見るとこのような看板が存在する。何ともレトロな仕上がりになっているが、恐らく地上区間が出来上がった当時から存在しているのだろう。
 看板には
『危険 高圧電気通電中』
との表記がある。一体どのような事なのだろうか。
 この表記は、看板の示すように
『線路に電気が流れている』
という事を示すものだ。しかし、線路の何処に電気が流れているのだろうか。
 答えは、列車の走る線路の横にあるもう1本のレール。これを線路の横にあるもう1つの道として鉄道の用語で『第三軌条』という。
 この第三軌条方式によって、南北線は昭和46年に開業した。日本で4番目の地下鉄としての開業である。その当時には、札幌…での開業の以前に開通した地下鉄でも東京・大阪・名古屋と同じように第三軌条の方式での地下鉄が建設されていた。
 こうした前例に便乗し、札幌も最初の南北線のみは第三軌条の『直流750V』の地下鉄として開業したのであった。
 この看板は札幌初の地下鉄・南北線でしか見る事の出来ない表記であり珍しいものである。

 しかし、その先に開業した地下鉄。東西線と東豊線ではどうだろう。
 写真は東西線の地下区間を撮影したものなのだが、線路のどこにも『危険 高圧電気通電中』の文字がない。
 そう。東西線・東豊線ではパンタグラフによる架空線集電によっての開通となり、南北線とは異なった集電方式が用いられたのであった。よく見るとトンネル上に架線が張られているのが分かるだろうか。
 この架線から直流1500Vの電気を受け取って走行しているのである。
 東西線は昭和51年に琴似〜白石が開通したのだが、その際に何故架空線集電方式を採用したのだろうか。
 その理由は単純で、第三軌条方式を採用していると線路に落ちた際、感電のリスクが高まる。そうした転落からの感電といった事故の二次災害を防ぐ為に、東西線以降。札幌の地下鉄は架空線集電を用いてパンタグラフを装着しているのだ。(ただし写真を撮影していなかった)

 話は再び自衛隊前駅の写真に戻って。
 実際に札幌の地下鉄を撮影していると、その迫力に圧倒される。ゴムタイヤを4つ、それが6両。長いトレーラーのような車体を連ねて隊列を組んで走行する姿は本当に撮影して思うが圧巻のひと時である。
 実際にゴムタイヤで走行する地下鉄は全国に幾つか存在しているものの、こうして電車のように巨大な地下鉄にゴムタイヤを履かせているのは札幌のみである。
 雪を跳ね返し。圧巻の加速力で街を駆け抜ける札幌の地下鉄は一見の価値あり、乗車の価値あり、撮影の価値ありだ。

自衛隊前で

 札幌市営地下鉄は今回の旅で初乗車…そして同時に初撮影になるのだが、そのレトロさも相まってかなり多種多様な写真の撮影をしていた。
 そうした中でも、車両の迫力を最も強く感じて。そして路線の色に強く惹かれて撮影していたのはやはりこの南北線の自衛隊前駅である。
 車両を遮るものが少ないので撮影に向いているのもあるが、なんというのだろう。全体的に記録がしやすい。車両関係は大体この駅で完結した印象がある。
 写真はホームドアを閉めて出発する様子。ここからあの起動加速度で一気に駆け抜けていくのだから、見ていると本当に驚きである。

 札幌の地下鉄のホームドアは、白を基調に車両と一体化したようなドアとなっている。…これに関しては何処の地下鉄でもそうかもしれないが。
 そして、札幌市交通局の『ST』ロゴ。このロゴを目当てにカメラを構えて撮影した写真も多いのであった。
 どうした場所を眺めてもこのロゴで飾れられており、しかも風景を大きく邪魔する事のない粋な配置に置かれている。こうしたクオリティだからこそ…なのか、スタイリッシュさが大きく際立っている印象がある。各駅の中にあるレトロさに割り込む事なく、しっかりとその中で現代の安全を維持している印象を感じた。

 車両とホームドアの共演。
 こうして車両とホームドア、双方を綺麗に撮影する事が可能なのもやはり南北線の独特な特徴であろうか。
 しかしそれにしても、車両の下部に配置された『ST』の交通局ロゴが車両によく似合っている。先代、そして開業時の南北線車両でもそうだが本当に札幌の地下鉄は独自性を残しつつの格好良さを際立たせ、魅せるのが上手いような。
 しっかりと五輪を契機に札幌躍進の翼となった地下鉄への敬意を強く感じる。
 次の新型車両に関しても、こうした開けた環境。そしてレトロな駅の空気によく似合う車両が登場してほしいものである。

 おまけ。
 自衛隊前…は鉄道ファンの中で、札幌市営地下鉄。そして札幌方式の地下鉄をじっくり観察する事が可能な交通の聖地(勝手に言っている)だが、その『自衛隊前』の駅の名のように、駅の隙間からはこうして自衛隊の訓練?と思しきものが確認できる。
 この写真1枚だけで自衛隊のどういった機種が飛んでいるのか…が分かる方が居れば嬉しいのだが、自分はそうした知識が一切ないので皆さんにお任せする。
 その駅名が示すように、駅のすぐ横には自衛隊の真駒内駐屯地が存在し、この駅の存在感を強調している。自衛隊の飛行機が、ヘリが空を飛ぶ音をBGMにして独特な地下鉄の動力機構を観察可能な、札幌の個人的B級スポットである。
 そうした駅…としての印象を自分は感じた。
 時計台、すすきの、狸小路、クラーク先生像…様々な名所が札幌にはあるが、こうして市民の足となっている交通機関の観察をしてみるのもまた一興だろう。

再びの場所

 シェルター内を走行する南北線の撮影を終了し、自分は再び札幌駅の方角に戻る事にした。自衛隊前への名残惜しさ、そして真駒内への訪問を次回に控えての少し未練が残るような去り方となったが、またこの地上区間にはいつ戻ってくるだろうか。
 ちなみに、自衛隊前駅の近くには札幌市営地下鉄や札幌市交通局の様々な車両・資料を展示している資料館も存在している。年季の入った交通機械。また、札幌方式と世界にその名を高らかに示す事になった独自技術の地下鉄の開業に向けての試験車両の展示もあるので次回の札幌訪問では行ってみたいものである。
 今回は交通資料系・展示館に関しては小樽を選択した為、次回の方に回す事にした。
 虹と雪のバラード…の接近メロディを聞き、足を地につけスタートダッシュを切るような大胆な動きの地下鉄にもそろそろ慣れてきた。まだ興奮は収まらないんだけど。

 再び、札幌の駅に戻った。道内各地の交通の要衝に戻り、少しだけ時間があったのであの場所に向かう。
 まだここまで長く滞在してこの北海道の地形や感覚は少し分かっていない事があるのだが、次に向かう場所に関しては駅構内の表示を軽く眺めて行き先を確認し、ホームに向かう。
 だだっ広い構内で、東京・大阪と聞き慣れた向山氏の駅構内放送が響く。声だけは同じだとしても、特急の接近、到着の放送に『特別急行』を用いたり、一部言葉のイントネーションが違うのを何となく感じ取る。この北の壮大さを詰めたような放送が聞けるのもあと何日程度の話か。
 さて、ホームに移動して撮影したのは789系特急/ライラックと731系電車の離合だ。
 こうした離合を撮影すると、なんとなく体感的に札幌に、JR北海道の中心に戻ってきたような感覚になる。

 更にもう少し引いて、列車の入線シーンを撮影。北海道の電車に於けるJR化後の基礎を作った電車、731系。現代の733系にまで引き継がれるこの顔は、正に道内の都市圏を背負う威厳に満ち溢れている。
 733系の少し広く見えるマッチョな感じも捨てがたい…のだが、731系は少し細身でスレンダーな印象を受ける。それは決して、赤いアクセントの帯が影響として齎すものではないような気もするが…
 高架橋のポイントを複雑に渡って入線し、駅に滑り込む。入線後は、駅構内で多くの乗客を降ろし。乗務員交代を行って同時に時間調整のような休息の時間が広がっていた。

 構内で少しだけ撮影。
 幌の厚みが目立つ721系電車だ。
 自分としてはこの吊り下げ看板に完全に心を奪われており、奪われて以降は駅構内の撮影で多くこの看板を混ぜて撮影していたのだが、この看板が実は貴重なものに変化している事に関しては完全に予想外であった。
 JR北海道の特急再編によって、石勝線の特急/とかち・おおぞら・すずらん…などが全車指定席化され、北海道特急から自由席を併結する列車が減少したのであった。こうした事情を受け、この写真の中に映り込む『自由席』といった文化は貴重なモノへ一気に変化してしまったのであった。今となっては、レトロというのか国鉄の土産のようなもの…として撮影したものが貴重な遺産となってしまった事に少し驚いているばかりなのだが。
 そうした写真たちを撮影していると、列車の発車時間。実はこの時に一瞬、目的地を間違えて逆方向の電車に乗車してしまったのだが、間一髪で軌道修正に成功し発車寸前で戻る事ができた。
 札幌からゴムタイヤを離れJRに乗車し、向かった先は…

 この地だ。
 札幌からJRで1駅。函館本線は苗穂駅のあの…キテレツメカ製造でお馴染みの苗穂工場である。
 この場所にどうしても再び訪問しておきたかった。どうにか間に合った気持ちである。
 写真は跨線橋から苗穂工場を見下ろした様子だが、工場ではキハ201系が連結され?ているのか縦列停車の状態になっているのか2編成置かれている。
 そしてその奥。少し色がパステル調になっているH100形が停車している。
 このH100形は、旭川方面で活躍するH100形であり、ラベンダーのラッピングなどがされていたのを見ると富良野線仕様のラッピングが施された車両のようだ。
 この旅では結局特急に乗車中に
「コレは一体…?」
と疑問だけ、気になる車両として車窓で眺めていただけであったが、無事になんとかその姿を確認できた。次回は富良野線内や旭川近郊で遭遇したいものだ。

革命児との出会い

 苗穂工場に再び訪問したのは、この車両を撮影したかった…のが理由であった。左奥に停車中の青い高運転台の車両・キハ281系。この車両がどうしても前を向いている状態で撮影して帰りたかったのである。
 工場の中には、789系が2本並んでいる。
 現在、運用中の789系は(緑色)既に新たな職業の札幌⇄旭川で活躍する特急/ライラックに転職しその姿も印象が変化したのだが、この工場の中で静かに眠る789系はかつての職業・スーパー白鳥の状態のままで留置されており、かつての職業の面影を朽ち果てながらも伝承する存在となっている。
 よく目を凝らしてみると、789系の運転台下のロゴが白鳥時代のモノになっているのがお分かりいただけるだろうか。(絶対にわからない)
 これが微々たる証拠であり、この789系だけは青函連絡がまだ在来線であった時代の語り部となっているのである。485系の白鳥用車両たちがとうに果て、生涯を終えている事を思えばかなり貴重な資料だ。
 ただし現在は部品取りと化している状態…そしてその性格上、本戦復帰への道は完全に閉ざされている状態となった。
 そして、そうした789系の前に停車している旧型客車はかつて旭川に所属し、つい何年か前まで旭川運転所に滞在していた客車であった。何故かこの場所に移動し、現在は保管されている。
 その後方には、無蓋車…トラに相当する貨車が放置されている。現在の貨物輸送ではこうした貨車たちの役割は失われた状況になっているが、一部の国鉄時代からの工場ではこうした貨車たちがまだ保管されていたりする。

 さて。撮影を目的に訪問した車両はこの車両である。改めて左側、高運転台の車両をご覧いただこう。
 右から、旧型客車・721系…と続き、キハ281系が佇んでいる。というか旧型客車が食パン妻面だったのを今更知るというこの
 自分のカメラでは、無理に拡大すると倍率ズームで更に遠くを見渡せ、撮影に於いての視野を広げる事ができる。そうした倍拡大の中でも、この車両の特徴である『HEAT281』の白文字で抜かれたロゴはしっかり映る。
 更によく見ると、トレインマークに『スーパー北斗』の表示が出現している事もよく分かる。車両引退時のままでこの場所を彷徨っているのだろうか…
 このキハ281系は、道内交通速達化の立役者である。札幌⇄函館を最高速度130キロで走行し、3時間近くまで迫る勢いの瞬足を見せたのである。
 後に石勝線の事故の影響などで安全対策にシフトした結果、最高速度は120キロにダウンされるもその健脚ぶりは健在であった所要時間は3時間40分となった。現在の姿に近づいたのである。
 平成6年からキハ281系は投入され、北海道の交通に革命を起こす。3時間レベルまで短縮したその走りは、当時の在来線特急の最速表定速度も叩き出した正に革命児と呼ぶのに相応しいモノだった。

※写真は旭川に向かう前に苗穂で撮影した1枚。この時は後方を向いている状態であり、是非とも前面を眺めたいと思いもう少しだけ待機したのであった。

 東北新幹線が海を渡り、北海道新幹線となった平成28年。同年から現在の主力車両であるキハ261系1000番台が投入される事になった。翌年にはそれまで同区間を走行していたキハ183系を置き換え、そして令和4年にはキハ281系も完全撤退となる。
 現在の北海道特急の基礎を形成したような車両…であり、その存在は偉大な車両であった。
 定期運転の際、そして引退間近の時期となっても自分は北海道を訪問するチャンスがなく、こうして車両の保存という形でその姿を見る事になってしまったが、1人の功労者を見る事が出来たのは非常に大きい。
 大人になった今でも、こうして図鑑や映像で慣れ親しんだような存在の車両に出会えるのは本当に貴重な体験だ。

 漫画に登場するような破茶滅茶なメカを作ったり。その脳筋的な思想で生まれたこの苗穂工場のノウハウ、改造の力は本当に偉大である。
 しかし、その裏では道内の車両の修繕、検査を引き受ける大事な場所であり北の交通の心臓のような場所でもある。
 写真の中に映り込んでいるのは、キハ261系1000番台の中間車と789系の中間車。
 この789系に関しては現在、どうなっているのだろうか。放置のようにも見えるし、修繕待ちのようにも見える。
 但し、この後に789系を脅かす崖っぷちに突き落とされるような事象が発生したのだった。
 789系ライラックが踏切で自動車と衝突し、先頭車が大破。乗客にケガは無かったが、車両の損傷は大きく響き、予備車ナシでの運用が継続されている。
 下手な事故が次また発生してしまえば列車は助っ人として特急/カムイから789系1000番台を呼び寄せて運用を切り盛りする通称・カムイライラックという銀色のライラックが降臨する事になる。
 まさか帰郷して京都で
「こうなるとは…」
と思いつつ眺めていたが、この中間車たちにはそうしたピンチでの再起はあるのだろうか。

 もう少しだけ拡大してみると、キハ281系の先頭車・中間車…そして、重機の奥に苗穂の保存機として現在もその姿を語り継ぐC62-3が屋根付きで保管されている。
 共に、現役時代は離れていようとかつては函館本線を飾り彩った存在だ。
 こうした両車の存在は、ファン目線から見るとまた栄華が1つ消え去っていくような、そう儚い気持ちを持たせる。
 ちなみに、この重機に関しては撮影した当初
「キハ281の解体なんだろうかなぁ」
なんて思っていたものの、完全にその期待を破壊されあの映り込んでいた721系の解体に用いられたのであった。
「そんなバカな…」
と京都に帰郷した後、自分は疲弊したというか肩を落としてその出来事を受けたのであった。

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