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ACT.6『玄界灘の直流線』

博多を目指して

 鳥栖に到着すると、ここから先の目的はただ一つだ。博多を目指して鹿児島・熊本から合流した線路に乗って北を目指す事になる。
 黒い革張りのシックな普通電車とはココで別れる事になった。博多や吉塚でもどうせ出会えるだろ、と何か御指摘を受けそうだが自分はこの駅でしかもう出会う事は無かった。さぁ、佐賀を離れようか。

細かく行こうぜ福岡県

 乗車前にこんな記録を撮影した。真っ暗な最中で分からない…という現状であるが、811系の更新車両と未更新車両を連結した編成だ。
 更新と未更新の側から見た違いはビジュアルの違い…というのが最もの違いだが、811系の場合は車両を更新するにあたってベースの転換クロスシートを撤去してロングシートに交換した。コレが811系の更新時最大の違いであり、乗車すると初見で分かってしまう。
 青春移動の自分は専らのクロス車内な未更新車両にての移動が大好きで、今回のような「更新+未更新」での併結で811系が入線すると迷わず未更新を選択してしまう。関西生活の生み出した恋しさもあるのだろうか。

 写真は同じ時系列ではないが、佐賀県最後の駅として「基山」駅で下車した。
 個人的に気になっていた、というかこの駅では快速が停車し、準優等の列車にも細かなサービスを配っている。そして何より気になる要素としてあったのが「甘木鉄道」だった。国鉄から転換された第3セクター鉄道路線である。
 写真はそんな甘木鉄道が入線してくる手前に撮影した記録で、JR九州の「赤い」近郊型主力車である813系だ。
 この電車は甘美なGTO-VVVFを奏でて加速する事が鉄道ファンの間では非常に有名(1000番台以降はIGBT)で、初期から中期にかけて製造された形態のインバータ音は非常に美しくトロける音色をしている。末文に付け加えるが、この電車に乗車する機会がある時は必ず「モハ」「クモハ」の加速音が聴ける車両を選択して乗車している。
 そんな813系を撮影して見送った。この撮影については動画を回してYouTubeに上げている。拙い音の記録として、何か残せる物になればと考えてだ。

 甘木鉄道のレールバスを横目に入線する811系の羽犬塚行き。
 甘木鉄道のレールバスについては何度か車内から観測していたが、ようやく記録することが出来た。同じ様なレールバスについては樽見鉄道で見た事があるような気がする。但し、撮影だけで乗車の経験が皆無というか全くない。
 811系はホワイトフェイスが特徴の未更新車両だ。更新車両になるとこのホワイトフェイスにマークが貼られ、少々顔付きが変わってしまう。
 個人的に811系はこの国鉄から立ち上がってJRへの追い風を受け始めた頃のこの空気を未だに残して欲しいと切に願っている為、断然に未更新派だ。
 JR初期型の近郊一族は次々に更新が完了、または廃車が進行、などと非常に暗く苦しい話題が時折刺さる世の中になってしまったが、811系については1日でも長くこの姿を見せ続けて欲しいと願うばかりだ。

復興ローカルとその後

 国鉄の遺したローカル鉄道が、第3セクター線に転換されて成功した事例や復興した事例は、幾つか存在している。
 甘木鉄道もその事例だと聞く。
 かつては国鉄の負債路線だったそうだが、現在はアクセスも向上してJR。もう片側の甘木から宮の陣までを繋ぐ西鉄甘木線との接続も順調に行っているようだ。
 我が家族の実家もかつては国鉄の負債路線・伊勢線の最寄駅で第3セクター、伊勢鉄道に転換したところ快速・特急の走行も相まって非常に経営が向上した。
 とこのように、国鉄負債路線が自治体や新たな会社での舵を切った事によって再生し経営が快方に。そして地域が少しでも潤い鉄道が元気になるというのはファン的に嬉しい話だ。
 いつか乗車してみたいと思う路線だといつも眺めて思う。車両を観察していると、独特の色味や「AMATETSU」ロゴが非常にインパクトを感じる。車両を記録しつつ、特急の通過を待って佐賀県最後の駅を切り上げるのだった。

気動車はええもんじゃ

 基山を出て、細かく駅を下車していった。
 そんな中で福岡県にようやく戻り、福岡県最初の駅として「原田駅」(はるだ)駅にて下車した。
 この原田駅は読みが難しく、当初は自分も勘違いをして
「コレは…じゃあはらだ駅か」
「違う違う、それははるだって読むの」
と九州生まれ育ちの友人からの指導を受けた事がある。何故か九州の駅は「原」という漢字を用いる駅にて「はる」または「ばる」という読み方を用いている。道中通過した、長崎本線の「中原駅」も「なかばる」と読ませていた。非常に難解な謎が毎回残ってしまう。
 そんな謎の原点となった「原田」にて、小休止の合間に筑豊本線を撮影した。この区間では下関方面に向けて運用されている415系と同じ色のキハ40系が運用されているようだ。
 九州の国鉄形式といえばこの色…なイメージも濃かったが、最近は派手な蓄電池電車が幅を効かせたり、カラフルな気動車にその役目を譲ってこの色自体が無くなりつつある。
 そんな中、原田駅の木造屋根とキハ40の組合せは実に渋く心を揺さぶられた。

 ホームの上屋を主張させるとこのようになる。
 車両の色みは消えてしまっているのが少々歯痒いが、逆に後部標識灯が良い味を出している。
 そして先ほども記したが、木造の屋根が国鉄気動車のキハ40と良い味を引き出しているのが実に素晴らしいのだ。
 いつまでも車両自体も残って欲しいと願うと同時に、原田駅の木造的なこの空気感もいつまでも永遠に残って欲しいと感じた。九州の筑豊方面に行けば、石炭の伝統や旧来から遺された鉄道や交通の由来が多く残っていそう…と調べて推測が立っている。そんな入口を垣間見たような気がして何か気分が上がった。

 ホームからは車両と街灯を眺める事も出来た。コレまた非常にムーディな空気である。
 この光景も蓄電池電車に代わる事なく、何時迄も続いて欲しいと願う光景だ。木造の柱が入ってしまったが、コレは自分の画角を決め成す処の不意打ちによる。申し訳ない。
 しかしどうして、キハ40の照明とステップというのはこうも「乗りたくなる」ものを感じさせてくれるのだろうか。コレには何か、我々日本の人間にしか分からない古来の心が詰まっているのだろうか。
 そして、流れてくる室内の灯りには旅路への郷愁や家路への誘い…など、多くの事が想起される。多くの人々の心に刻まれてほしい車両だと撮影していて感じた。
 余談となるが、この撮影していた路線は筑豊本線の別愛称として「原田線」という名が存在しているようだ。いつか乗車してその詳細を解き明かしてみよう。

大都会への帰還

 先ずは支払いの為に南福岡で下車をした。
 当初はこの南福岡で食事を…と考えたものの、南福岡にて照準を定めた店は営業をしておらず、結局探した甲斐は水泡に消えた。
 そんな中、「ホークスを応援しよう!」の文字が。いよいよ、福岡に帰ってきた、福岡まで足を戻して来れたのだという気持ちにさせられる。
 しかし残念。私はオリックスのファンだ!!(余計な話をしないの)
 かつてはソフトバンクと戦う…というだけでも杞憂な気分だったが、昨年のソフトバンクとの首位を賭けた優勝への3連戦天王山ゲームは非常に印象に残るものであった。1戦目を山本由伸が完封で決め、2戦目を着実に育成した中継ぎ・抑えで攻略。3戦目は吉田正尚・宗佑磨のファインプレーで挽回して首位を勝ち取って優勝…とオリックスファンとして何か思い入れが残るモノに出会った。
 おおっといけない。電車に乗り遅れてしまう。この南福岡には電留線があって非常に規模が大きいのだが、夜間は非常に光線が悪く今回は撮影時間もなかった。そのため、今回は撮影スルー。
 支払いリミットを気にしなくて済んだのは自分の中で大きいかもしれない。博多のコンビニで「何処で払ったら…」という圧力からは解放され、少し今は浮かんだ気分だ。

 長崎へ向かう際は小倉のうどんを食した…が、コチラもコチラで気になっていた「博多の立ち食いラーメン」なるものに手をつけた。
 毎回気になっていたが、友人曰く
「九州の人は朝からでもコレを食う」
との事だった。
 自分では朝からだと想像が付かないが、なに分格別の美味さがあるものなのだろうと思った。屋台ラーメンは有名だが、駅にもこのようにラーメンがあると福岡のラーメン愛は本気なのだと心の底で感じてしまう。そして味は最高の美味しさだった。やはり本場で「食する」のが最も美味しい。

 替え玉文化、は九州が発祥なのだという。この駅売でも替え玉は販売されており、財布からの煩わしさがあった自分は「使わないから」と長崎市電で使った釣り銭の入った交通系ICで替え玉を注文。駅店舗とあってこのようなハイテク決済に対応しているのは頼もしい。
 非常に満足した駅メシ(表現としてどうなんだ)を食して博多を満喫できた。
 しかし何回も観測だけはしていてこのように暖簾を潜った事がない…というのは何を思ってだったのか分からなかったが、今回はようやく決断して正解だったように感じる。次回の福岡訪問でも抑えたいスポットだ。

 博多駅といえば、やはりこうして昼夜問わずに多くの多彩な特急列車が出入りする姿…は駅の名物になっていると思う。それは九州が特急商売に特化し、特急列車への誘導が露骨(どうなんだろう)な証拠でもあるように感じる。
 そんな待ち時間に、1人の親子に出会った。ホークスのサインが多く入った帽子を被っている少年が父とソニックを待っている。
「おぉ、それどうしたの?」
少しアタックしてみた。
「これ見せていい?」
父が子どもに確認をとっている。子どもは「うん」と言って見せてくれた。
 サインは何人かの選手があったが、帽子に入っていたのは「明石健志」コーチと「川瀬晃」選手、そして育成選手…とまた何名かの選手が入っていた。
「おぉ、川瀬って1軍でも活躍してる花形の…」
「宮崎でキャンプやってるんでねぇ、つい最近も行きましたよ」
「あぁ羨ましい!!!」
どうやら更に話を聞いていくと親子でのホークスファンらしかった。
 そして、ユニフォームにもホークス選手のサインがあり、その方には「高田知季」コーチのサインが入っていた。
「あとは筑後の方でサインとかしてくれる時あるんですよねぇ」
「あぁ、らしいですね。YouTubeとかで見ましたけど、サイン色紙持っていったら束が殆ど無くなったっていうの見ました…」
「というかもう福岡はスポーツ=ホークスなんですよねぇ」
「なるほど。こちらもたまにテレQのYouTube見てるので選手情報は確認してますよ。」
親子との会話は微笑ましく進んでいった。今日、親子はホークスのOP戦を観戦に来たのだという。家族は男子2人の子どもがいて…という状況だったが、次男がホークス好きなようだ。
「それでこのストラップなんだ」
「あぁ…そうなんです。オリックスが好きで笑」
中村勝のストラップを見ての反応を返してくれた。自分としては「パシフィック」のチームが好きな人との会話自体が新鮮だったので、この時間は本当に嬉しかった。そして、少年が非常に羨ましく思えた。こんなに対応してもらえたらもう一生忠義を尽くして応援する以外の選択肢がないのではないか。

(話の後半戦)
 そして、話は自分とホークスについて。
「僕はホークスの事そんなに知らなくて、去年は優勝をオリックスと争ったくらいなんですけど。それでもホークスは柳田選手が好きですね」
「柳田選手格好良いですよね!」
「(次男名)お兄ちゃん柳田選手が好きなんだって!」
「分かる人がそんなに居ないんですけど…」
「うんうん」
「あとはもう個人的な話なんですけど。僕は京都出身で京都から来てるんです。」
「京都から?!」
「んで京都の学校で、中高一貫なんですけど。ホークスの大隣憲司投手と母校が一緒で。その事実を知ってから凄く親近感が湧いてて、応援してましたね。」
「あぁ、大隣選手か。懐かしいなぁ。」
「んだから、大隣投手は当時母校総出で応援してて、日本シリーズ?だったかCSだったかでの活躍があった時は朝の全校集会で「母校の大隣憲司君」って言われてたんですよ(汗)」
「大隣投手は前半の活躍が本当に良かったんだけど、後半は病気で失速しちゃったからね…」
「でもなんでしょうね。本当に福岡の方々が今でも大隣投手について褒めてくださってるのが嬉しくて、去年に「鷹の祭典名場面集」ってのに出てきたんですよ。もう感激しちゃって…」

「九州は何しに?」
「えーとですね。さっきまで長崎の方にいて、青春18で帰ってきました。」
「青春かぁ…昔は博多からだと夜行快速が出ていて、大阪には今からでも出られたんだよなぁ、懐かしい。よく使ったもんだよ」
「羨ましいです。非常にその時代を体感してみたかったですね。」
「今日はどうするの?」
「バスで本州の方に行けるらしくてそれに…」
「今は移動手段が少ないもんね、昔は色々あったけど…」
感慨深そうに語る姿と声が印象的だった。
 そして、ソニックがもうすぐ入線との事で自分は乗り口付近を挨拶して離れた。
「今年はホークス優勝して欲しいね!」
と声をかけ、自分はその場を離れてこの1枚を撮影。自分が九州上陸初の乗車特急であると同時に、母校の先輩の活躍の息吹とその功績を教えてくれた大事な列車になった。

玄界灘の直流線

 題記事登場。
 というか帰ってから今、「最もアツい」九州の鉄道に勝ち上がった鉄道である。自分の中でココまで高圧電流を流されたかのように痺れる体験を一気にした経験など、あるのだろうかというくらいには。
 福岡市営地下鉄〜筑肥線に乗車する事にした。
 今から乗車しても姪浜から北での距離は稼げない位の時間であったが、それでもという気持ち。というか時間の潰し方が分からず飛び込んだような感覚で乗っていた。
 この福岡市営地下鉄は「JR九州唯一」の直流電化路線なのである。(下関〜門司を除外すると)
 先ほどまで乗車していた長崎本線・鹿児島本線・そして前日に乗車した日豊本線など、JR九州の電化路線は全て交流電化で電化されており、その電圧は「交流20000V」となっている。
 しかし、ここから乗車する福岡市営地下鉄は直流電化で電化されておりその電圧は「交流1500V」となっている。
 それ故、他のJR九州の車両はそのままでは入線できないようになっており車両も独自の進化や独自の開発をされたもの、そして地下鉄としての運用効率に割り振った存在の車両が多い。
 そのまま、福岡空港までの電車を見送って姪浜まで乗車していこう。中学生の時に阿蘇火山見学を終えて福岡から伊丹への空港に乗って戻る時
「これが日本最南端の地下鉄か」
と思っていたものに今乗車しているのは実に感慨深い。

 姪浜まで乗車すると、福岡市営地下鉄の自社車両が並ぶ姿を目撃した。
 N1000形(右)と2000形(左)である。福岡市営地下鉄の自社車両は基本的に空港線・箱崎線にてこの2形式が採用されている。だが、そろそろ新車の投入が…という話も聞こえ始めそろそろ怪しい。
 車内は2000形で確認したが木目調の少し117系を思わせる壁作りだ。何かこう、「地下鉄」という存在が都市交通の先端を歩き始めた時代のようで市民の看板、そして交通と観光の宣伝役に大々的に抜擢された隔世の時代を感じてしまう。
 地下鉄はこうして、少し暗めというかダークでもあり明るい方が全体的に格好が付くかもしれない。コレは駅でもというか地下鉄の全てにそう例えられるかもしれない。

 姪浜からはJR筑肥線に代わる。青春18きっぷに持ち替えて筑肥線に入る事にした。
 JRの車両は303系だ。
 JR九州がはじめて自社開発した直流電車であり、それまではなんと直流電車が全く存在していなかった。その為、筑肥線の直流電車は「103系」にて運用されており、しかも103系で地下鉄にも乗り入れていた時期があった。
 しかし103系時代は「抵抗器の発熱」だったかは定かではないが、地下鉄運用…大都市での地下鉄運用に対してはランニングコストが掛かりすぎた為303系に順次交代。そんな中で現在も303系が活躍している。
 そして、そんな303系に地下鉄乗り入れを譲った103系については「驚く事に」西唐津・唐津〜筑前前原の区間で未だに現役を張っているのだ。
 非常に驚愕の事実でしかないが、九州の果てに103系が今もその命を灯している。3,000両以上が製造されて東京・大阪とその勢力を張った103系だが、余生は玄界灘の海を眺めて静かに走っているのだろう。会ってみたい…気持ちは高鳴るが、唐津に向かうと帰ってこれず、今回はお預けになってしまった。

 筑肥線区間については「今宿」で下車する事にした。全然進まなかったが、自分にとって進む限界の範囲まで行けたような気がする。姪浜から本数はかなり減って「筑肥線」としても分離されているイメージは多少あるが、こうして筑肥線に乗車してみると更に「ローカル線」としてのイメージが強まった。
 下車してからも直感的に思ったが、このような区間と空港に向かう都市地下鉄が区間を共用しているというのだから非常に驚く事実でしかない。「九州唯一の直流線」は「衝撃と驚愕の直流線」でもあったのだ。
 そして、ホームについては(これは今宿だけ)何となく地下鉄ではなく何処か民鉄の支線のような空気を漂わせている。コレがまた非常に奥深いのだ。こんな区間を、地下鉄電車がゆく。鉄オタなら何かと心に刺さる風景ではなかろうか?

 今宿の駅員さんに質問すると、
「姪浜から精算して下さればそのまま青春で地下鉄通れますよ」
との事。杞憂に思っていた事実がまた吹き飛んで安心した。
 しかし待っていて思ったが、こんな設計というか空気感の駅に可動式の柵が設置なのも珍しいと思う。自分としては本当に、この路線の1駅1駅を回ってアイデンティティを確かめに行きたかった。
 やって来たのは303系。再びのJR車だ。実はここまでの流れで
・博多〜姪浜 JR303系
・姪浜〜今宿 福岡市営車
となっており、博多までの引き返しは綺麗にJRの車両となった。筑前前原まで行けた列車も少ないだろうに…そういえばこの時間でも「唐津行き」なるものが走っていた。随分と長い距離なんだなと教えられてしまった。
 今宿からは、座席も割と空いている…というか少し埋まる、というのか微妙な空気だった。顔を熱らせた人が見送りに来ていて、「じゃあな、じゃあな」とフラフラしながら別れを惜しんでいた。飲み会帰りだったのだろう。非常に楽しそうだった。
 さて。ここでどうしてこのJR筑肥線が「直流電化線」として開業したのか。その経緯を記しておこう。
 筑肥線はかつて、現在の姪浜ではなく「博多」まで乗り入れるターミナル路線だった。また、利用者も非常に多い路線であり都市路線としての機能も充分に保持していた…が、筑肥線には43ヶ所のクロス点が存在していた。コレが沿線発展と大きく衝突するのだ。
 この「クロス点」とは「踏切」の事であり、沿線の都市化によって障害となってしまうのは明らか。どう解決していくか?
 昭和50年。福岡市に地下鉄構想が浮かび上がる。そのルートは「博多から天神を貫いて姪浜へ向かう」というものであった。このルート計画に対し、昭和52年に正式合意。博多〜姪浜の踏切解消という計画の元、地下鉄開業が決定した。
 昭和58年、福岡市営地下鉄の博多〜姪浜が開業。この際に筑肥線・姪浜以西も電化され、筑肥線も地下鉄に相互直通する形になった。筑肥線は「地下鉄に合わせた」形での交流電化での出世を果たしたのだ。
 現在でも筑肥線がJR九州独自の道を歩み、地下鉄との都市連携を図る特殊な路線になる事が出来た経緯にはこうした話が存在している。

 と、そんな経緯に話を逸らしているうちに博多に到着した。慣れない九州言葉や訛りとも暫く別れか…だったり、本州に戻る自分を考えていると少し何か気が休まらなかった。
 写真は前回に福岡市営地下鉄に乗車した際に撮影した305系車両だ。この車両は筑肥線の最新鋭形式であり、少し地下鉄というよりかは「九州の電車」としての主張が濃くなった感触がある。
 303系の地下鉄と九州らしさを折半折衷したスタイルは本当に乗車していて格好良いと感じたが、この電車は少し先を行ってしまった時代にモノを思わざるを得ない。
 今回は乗車・確認すらできなかったものの、また青一点張りの福岡市営を飾る存在として出会いたいものだ。
 そして出札については「青春18きっぷ」にて実行。
「すいません今宿から入ったんですけど…」
「姪浜からのですねぇ、運賃はぁ」
結局こうして姪浜からの運賃計算を軽く。唐津線からのそのまま乗車も多いのか、めちゃくちゃに慣れた手付きだった。
 福岡市営地下鉄ではJRからの快速電車も受け入れている。自社線内では各駅に停車…という大阪の堺筋線や京都は烏丸線との類似が感じられるが、この地下鉄はともかく自分にとってアトラクションに感じる何かだったのは間違いない。さらば福岡。次は地下鉄から玄界灘を見つめて爆笑するまでがセットだろうか。

終わりに・次回の話

 さて。本州への旅立ちがやって来た。さよなら九州。
 まず一言…となるが、ここまでの写真に一部過去の写真を挿入して代用した事実を詫びたいと思う。特に福岡市営地下鉄パート。この部分は密かに時間ない中で急いでいたのもあり、特にであった。
 そして福岡市営地下鉄と筑肥線の話には続きがある。(コレはもう個人的な話です)
 筑肥線には一部区間で玄界灘…というか唐津付近で海に接近していると地図上で判明する区間があった。
 その為、「もしや?」と勘を手繰ってTwitterを中心に福岡市営地下鉄や唐津線の玄界灘付近を走る写真や海バックの写真を探したところ、地下鉄車両とは思えぬ走行区間が出没し半ばの爆笑と驚きに包まれた。正に先ほど…ではないが、「電流を体に流された」気持ちで見つめていたとでも言おうか。一瞬にして検索の手が止まらなくなり、色んな画像を気付けば探し回っていた。コレは京都に帰還してからの話である。
 さて。ここで次回の話に移ろう。「さよなら、九州」が指し示すように九州の離脱は確定的だ。そして、ある事情から本州のある県に立ち寄って時間を潰す事になる。
 その際は様々な出会いと偶然の経験、そして抱腹の病寸前…な体験にも陥るという、若者経験にして早速のハプニング尽くしな道になってしまうのだった。
 俺は今から博多バスターミナルへ行って、南福岡駅前での支払い話済ませた分のケジメを付けに行くとしよう。

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