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「存在のすべてを」って見た瞬間、心を射抜かれた気がした


産後の一時期、本が全く読めなくなった。小説も、軽めのエッセイもだめだった。

開いても頭に入ってこない。そもそも書いてあることに興味が持てない。数少ない趣味の一つを失ったと思い、とても焦った。

寂しい気持ちになった。


落ち着いてくると、少しずつ本を読めるようになってきた。以前のように早歩きのように素早く読むことは難しかったが、ゆっくりと、時にページを戻ったりしながら、本の世界に入っていけるようになった。


体が回復して、頭にゆとりが出てきたのだと実感した。子どもが、小さい頃からよく寝てくれる子だったことも味方した。

回復期に読んだ小説は体にしみわたった。
表現力に感動し、描かれた光景を想像して胸がいっぱいになる。

この体験を手放したくなくて、読書する習慣が戻ってきたことに感謝した。

子どもはもうすぐ5歳で「見て見て期」真っ最中であるため、子どもと一緒にいるときは自分の時間はない。

そんな中にも細切れの時間を見つけて、今年はよく読書ができた。年間読んだ中で心に残っている本のトップは「存在のすべてを」で間違いない。

塩田武士さんの小説。ほかの作品も大好きだけど、これは良かった。


横浜で起きた連続児童誘拐事件。
連続して起きたことから、捜査にかかる人員が手薄になった二つ目の方の事件は未解決だ。

被害にあった男児は、なぜか数年たって祖父母の家に帰ってきた。
帰ってきた彼は健康で、行儀作法を身につけ、絵を描けるようになっていた。

長い歳月をどうやって、誰と過ごしたのか。祖父母も本人も決して語らない。


長い間わからなかった答えを、自分の宿題として定年後も探し続けた事件を担当した元刑事。

刑事の志を継いで、何としても解き明かそうと心当たりを訪ね当たる記者。
答えを探すうちに、想像もしない事実が少しずつ明らかになっていく。

見事だった。

事実に迫る様子が一つひとつ地道で、人間くさい。
ほかの塩田作品にも共通してある、人間のすばらしいところが丁寧に描かれる。ひとってこういうものじゃないかという、自然なふるまい、衝動、希望。

信じる
助ける
探す
知りたい
を実直にしてしまう登場人物たち。

主人公の真っ当さにホッとし、応援したくなる。
約束は守る。
骨惜しみしない。
犯罪を憎む。
働き者。
礼儀正しい。

そして、塩田作品といえば必ず出てくる、どうしても自然に面白いことを言ってしまう関西弁のおじさん。
ここで言う面白い、は受け狙いのそれじゃなく、関西人のDNAに染みついた自然発生のユーモア。あれがたまらなく懐かしくていい。

うちにも男の子がいるため、小さな男の子の愛らしい様子には胸が詰まった。この描写だけでも読む価値があると思う。

塩田さんはインタビューで、連続誘拐というネタを思いついたことと、自身に小さな男の子がいることが執筆の契機になったと語っていた。日常で見つけるいろんな忘れ難い場面が、小説家の原動力になるってすごくないですか。。

また次も、読み終わった本をぎゅっと抱きしめたくなるような小説を届けてくれることを信じる。

ところでタイトルの意味をずっと考えていたのだけど「これだ!」という答えにたどりつけなかった。芸術の解釈は受け手の自由なのだから、知りたいけど、うっすらわからないくらいが丁度良いのかもしれない。



#今年のベスト本

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