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日本版ジキル&ハイドを観たら韓国版が気になり出した話



Mの娘です☺︎

遡ること3月に東京で観劇したミュージカル
『ジキル&ハイド』。

推しである柿澤勇人さん×真彩希帆さんがプリンシパルときたらもう、行くしかないでしょということで観に行きました🏃‍♀️


かっきーときいちゃんに、これでもかと歌で殴られる感覚…!柿澤ジキルは特にハイドが真骨頂で、劇場に響き渡る、低いのにハリのある強烈な歌声にやられました。鳥肌が止まらず、ラストは号泣していました。


…しかーし!
ん…?ここはこの演出で良いのか…?
この芝居で、この解釈で、良いのか…?と
ハテナが浮かぶシーンもちらほらちらほらちらほら…ちらほら…


ジキハイ初心者🔰すぎて、意味不明なことを言っているところもあると思いますが…
初心者から見た純粋な疑問点を、つらつらと正直に書いていきたいと思います。



ジキル博士の実験の動機は?

まずは、実験のそもそもの動機について。


ジキル博士が危険な実験に没頭してしまう背景には、お父さんの存在があると思うのですが、日本版の演出の仕方だと、お父さんの影響も受けてはいるものの、どちらかというとジキル博士が元々もっている"知りたい"という欲求によって突き動かされているように見えました。

「知りたい…」と歌うジキルの一曲目のソロが、お父さんに対してというよりは、自分の欲望をそのまま歌に乗せて表現しているように見えたからです。


柿澤ジキルはこの1曲目から欲望と狂気に満ちている感じがして、すでにハイドの素質がすごいな…と思いました。


真っ直ぐで真面目で堅くて誠実すぎる故、"善と悪を分離して悪を消したい"という思考になってしまったのかなと、観る前は、勝手にそう思っていたので、かっきーの役作りとギャップがあって驚きました。


今回初めてジキハイを観たので、何が王道なのかはっきりわかりませんが、色々なアプローチの仕方がありそうだな…と想像しています。


思ったより明るい実験室

見せ場である実験室のシーン。

ジキルがやろうとしている実験はかなり古典的で、古い時代の話だからこそ、リアリティがあるというか、色々な情報にアクセスしやすい現代であれば絶対こんな実験しないだろう、という内容だと思うのです…

が、全体的にキラキラしていてカラフルで、なんというか、地下室の暗くて古いヤバめな雰囲気を、あまり感じなかったなぁと。


ジキル&ハイドで描きたかった世界感は、これでいいのかしら?という気持ちに(*´-`)


日本と同様に、版権を買って上演しているであろう韓国版がどうなっているか、とても気になります…噂によれば、韓国版は試験管から液体を飲むのではなく、注射器を使っている…らしい。ということは、各国に演出は委ねられているのではなかろうか。


他のバージョンも是非観てみたい…!



ルーシーの描かれ方


真彩ルーシーもキラキラ明るい印象。
純粋無垢な若い娼婦、という設定が一貫してブレなかったので、スッと受け入れられたのですが、思ったより笑顔が弾けるシーンもあって。

柿澤ジキルとの相性も良くて、なんだかお似合いな二人だな…!??なんて思ってしまって。(逆にエマよ、いいのかこれで、となった😅)


きいちゃんルーシーの作り上げた人物像も、もちろん素晴らしかったのですが、いやいやどう考えてもジキルを好きになっちゃうのは無理だろう、諦めなさいよ…と、哀れんでしまうような人物像もありかなと考えてみたり…


ルーシーの描き方、ジキルとの関係性がどうあれば自分に刺さるのか、今ひとつまだ自分の中でポイントが見つかっていないです。




ハイドが人を●してしまう理由


ハイドが現れてからは、まさかの怒涛の人●し_:(´ཀ`」 ∠):

ここの解釈としては、聖職者や政治家のような潔白であるべき人たちが、実は裏で汚いことやいかがわしいことをしている、これは悪だ、許せない、●そう(←ハイドの人格だと歯止めが効かない)という思考回路なのかなと、思っていました。
正義が度を越してしまっている、というか。


でも、今回のような演出だと、聖職者や政治家がしている悪事の重大さがあまり感じられず、さすがにハイドさん、やりすぎでは??という気持ちが大きかった。


ただただ、自分の実験を否定した偽善者たちを●していってるだけに捉えることもできてしまう。

とはいえ原作のハイドはただひたすらに残酷な人物としてしか描かれていないようなので、ハイドの解釈の仕方は無限なのかなとも思ったり。いやしかし、深い動機が感じられればもっと入り込めるのでは?とも思ったり。


ぐるぐる色々考えてしまったポイントでした。



これが日本オリジナルのバージョンなのだとすれば…


母いわく、昔に観た海外版のジキル&ハイドでは、まさかのラストシーンが今の日本版と全然違っていたようで。(オチが違うってどゆこと)

つまり上演時期や上演される国、役者さんによって、結構違うテイストになっているのでは…!?と思うのです。


となると、やはり一番気になるのは韓国版。
M!の創り方が日本版とあまりに違って衝撃を受けたこともあり、どういう演出になっているか非常に興味があります。


配信とか…ないかしら…


一つの作品をこうして考察するのも、観劇の醍醐味ということで…
よくわからない感想になってしまいましたが、お付き合いいただいた方、ありがとうございました。


では☺︎





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