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自分に合うものと、好きなものは違う?

私は高校生、大学生の頃、洋服が好きで、デパートの洋服売り場に足しげく通っていました。

通っていた高校に制服がなく、私服で通学していたので、何を着ていくか、毎日悩むわけですね。天気はどうか、今日の気分はどうか、今日の学校の行事は何か、などなどを考えて決めていきますが、やっぱり一番は自分が素敵になれるかどうか。

その頃には 「mc Sister」というファッション雑誌があって、好きでよく買って読んでいて、こんな風なコーディネートがいいのかなあとか、こんな風に組み合わせられるんだねえとか、いろいろ試行錯誤していました。

雑誌の中で、素敵だなあと思ったものがあれば、お店に行って、実際に見てみる。試着してみる。

そうして、いろんなお店をまわって試着することを繰り返す日々を過ごしていたわけですが、そうするといろんなことに気づきます。

たとえば、雑誌で見て素敵だなあと思ってお店に行って見てみると、そんなでもなかったりとか笑

お店で見て素敵だなあと思って、試着してみたら、なんだか合わなかったりとか。手に取って見ていた時にはそれほどにも思わなかったけれど、実際に着てみたら、ラインがすごく綺麗に出ることに気づいたりとか。

そうやって、どういう服が私にはいいのかというのがだんだん分かってくるのですが、そうして気づいたことの1つは、お店や雑誌でぱっと目立って素敵に見えるものは大体、一年くらいで着なくなってしまうということ。なぜか飽きてしまう。

でも、だた黒一色とか白一色とかシンプルなんだけれど、少しデザインが変わっていたりとか、ボタンにこだわりがあったりとか、素材が上質であったりとか、そういうものはいつまででも来ていられる。

実際に、私がもう20年くらい着ているカシミアのセーターはそういう感じのもの。

一瞬で惹かれるものと、長く自分に寄り添うものは違うんだなあと実感したのでした。

もう1つは、自分が好きなものと、自分に合うものは違うということ。たとえば、私が幾何学模様の原色のデザインの服が気に入ったとしても、それはどう考えても私の雰囲気には合わない。私がボディコンスーツみたいな服が気に入ったとしても、それは私の体型には合わない。

好きなものと、自分を素敵に見せてくれるもの、自分に合うものは違う。

それは、言い換えれば、好きな表現と自分に合う表現は違うということ。

私にとって大切な「表現する」ということの1つに洋服があって、そこから私は「表現」に関するいろんなことを学んでいたのでした。だから、同じことが歌にも当てはまる。私がたとえば、どんなにラップの歌が好きだとしても、それはどう考えても私の声、私の雰囲気には合わない。

私の声、私の雰囲気に合うのは手嶌葵さんみたいな歌。

そして、論文みたいな表現も私には合わない。合うのは音楽とか絵とか詩とか、そういうカタチの表現。

あなた自身に合う表現はどんな表現ですか?

ちょっと考えてみてくださいね♪

Xもやっています。


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