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死にかけたパート2

こちらを読んでからどうぞ。


20歳の時、個人経営のケーキ屋さんで働いていた。
当時はまだまだ労働基準法などと言うものはあってないようなもの。1日16時間は働いていて睡眠時間は5時間ほど。

5時間と聞くとまあまあ寝てますね!
けれども忙しい日が続くと3時間睡眠の時もあったので毎日全然疲れがとれない!

でもそれ覚悟で入社したのでどうってことない!

若さでどうにか乗り切れており、気合も意気込みも充分だったので早く仕事を覚えたくてがむしゃらに働いていた。

暑い日が続いていた。
アイスクリーム屋さんをオープンした年だった。

私はアイスクリームの仕込みと販売の担当になり
1日1000人くるお客様のアイスの仕込みを終えてから
お店へ行き接客。
疲れすぎて笑顔もない鼻くそような接客をしながらアイスを盛る。

盛りまくる。

山奥にあるお店とは思えないほどのお客さんの数。

朝オープンしてから閉店1時間前まで行列が絶えず
近隣住民からの苦情、車の違法駐車でパトカーが来たり
てんやわんやの日々。

そんな忙しい中シェフの配慮で
みんなでご飯を食べに行こう!と、元気づけてくれる為であろう。近くの居酒屋へ行く事になった。

仕事終わり、連日ヘトヘトの身体と睡眠不足。
お酒は一杯だけにしておこう。

早く家に帰って布団へダイブしたいが前々から今日の予定は決まっており私だけ来ない選択肢は無い。

居酒屋のコワモテなそっち系のお兄さんが言った。
『うちはレバ刺しあるよ。』
その一言でみんな『食べたーい!』と声を揃える。

生のレバ刺しを食べた事なかった私は一切れだけ食べてみる事にした。けど食べる前
死にかけたパート1でも感じたあの、嫌な予感がしていた。

だったら食べなきゃいいのだ。けれど好奇心が勝つ。

食べた感想は美味しくも不味くもなく食べても食べなくても良い。レバ刺しは一切れだけで食べるのをやめた。

だがお酒が進む。私は職場の中では酒豪と言われていた。そんなつもりはない。ただ飲み始めると一杯では
我慢できないだけで、眠い、早く帰りたい!と思いながらも自分の気持ちとは裏腹に進むお酒。

なんとかこの日を終え、とっとと寝た。
だって次の日も朝6時30出勤。

朝起きてからなんだか少し熱っぽい。
けれど行く。行ってから、お前帰って良いよと言われれば帰れる。あの頃の飲食店はそうゆう世界。

その日は熱っぽく、風邪気味で終わったが、ご飯が食べられなくなっていて、下痢もしている明らかにおかしい。

2日目。熱が上がっている。

まだ平気。と思いながら仕込みを進めるが体調は悪くなるばかり。猛烈な腹痛で、10分に一回はトイレへ駆け込む。

下痢も出し切り、何も出ないがとりあえずトイレに行かなければなんらかの液体が出そうになる。けど出ない。

ついには水すらも飲めなくなり、胃液が上がってくるのがわかる。そのせいか唇が白くガッサガサになっていた。

立ってるのも辛く、作業台に手をつき突っ伏しながらも
仕込みはやめられない。やめて終えば1日分の売り上げが無いも同然。
私がいなくなれば誰も変わりがいないので今日に限って誰も声をかけてくれない。なぜだ。

何故!

なぜぇええええ!

なんとか仕込みを終わらせて、勝手に小休憩をとる。

お店の仕込み場を見渡すとあれ?なんか私ほどじゃないけど具合悪そうな人いるよね。と気づいてその時にやっとあのレバ刺しを思い出す。

あまりにも私がつらそうなのを見て
仕込みが終わってからついにシェフが声をかけてくれた。ちょっと、病院行こうか!と、病院へ行かせてもらい点滴を打ってもらった。

2日何も食べていないプラス寝不足だったので
横になったとたんすぐに寝た。一瞬で『点滴終わりましたよ〜』と看護師さんに起こされ、重だるい身体を起こし無理やり店へ帰る。

全然良くなってはいないが点滴でカロリーが入ったおかげでさっきよりはマシだ。


とにかく今日を終わらせるべくほぼ死んだ顔で接客。
クレームなんて知らん!と言うかそこまでの配慮などできない。

何時に帰れただろうか。
覚えていないがこの日もあと何時間寝られるか数えた。
数えなきゃ良いものを。変わるわけない。5時間ほどだ。

家についてソファーへ横たわる。

お腹も痛い、ご飯も受け付けない。水分も飲めない。

死ぬ。このままだと死ぬ。

ニュースで最近見たことがある。

焼肉屋でレバ刺しを食べて食中毒になった家族の話。
娘さんだけ亡くなったらしい。可哀想に。食中毒って、具合悪いと気づいたら病院行って、何とかならないものだったんだろうか。。。と思ってそのニュースを見ていた。


私が間違っていた。病院へ行っても助からないこともある。死ぬ前って、こうやって成すすべ無く死ぬのか〜…。

やべー。遺書書いておかないと、携帯、ケイタイどこ…

視界が狭くなる。
ぼやっとして目の前が白っぽい。

何とか携帯らしきものを手に取ったらしい。
画面を開いて、メモ画面を探す。
どれ、どれ?メモ画面。見えねぇ!!!
閉じようとする瞼と抵抗。
なんとか気合いで薄目を開きながら、メモ画面を開く。

ああ、お母さんに連絡が先だったか…?
と思ったところで私の意識がフェードアウト。瞼が落ちていったと同時に

死…     ぬ  …。


バッ。


と目が覚めた。

生きてる!!!!

今何時!?あぶねー!

朝を迎えた。
何とあと10分で家を出る時間だ。

やばい。遅刻するところだった。

しかも生きてる…



この数日後に完全回復。この2日目の夜がピークだったらしくそのあとは自然に食欲が戻りご飯が食べれるようになっていた。最期は母の顔が浮かぶようです。
まじで遺書を書こうとしたのは初めてでした。
母に話すと『連絡くれたら行ったのにー!』と言ってくれたのは驚きと、嬉しさがあった。片道2時間、免許の無い母。家に引きこもりがちな母がそんなことを言ってくれるなんて。
いや〜まじで死ぬかと思った。
今日も読んてくださりありがとうございます!

追伸

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