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会いたいというだけの男と冷めたコーヒー(1/21)

小雨になった隙を狙って、朝活ウォーキングを兼ねながら最近ちょこちょこ伺っている喫茶店に向かう。コーヒーとマフィンを注文した瞬間、ラジオからひろしま男子駅伝の中継が流れてきた。野球の中継でしか耳にすることのない独特な口調とざらついた空気が心地良くて、読書しながらところどころウトウトとする。途中で犬がちらっと見てくるので得意げにマフィンを頬張ってみせた。大人の対応で黙って寛ぐ犬は私よりよっぽど洗練されているようだ。木造の小さな喫茶店は入り口のストーブの頑張りで何とか冬を凌いでいたが、コーヒーは二杯ともすぐに冷めてしまった。

襷が次の走者へ渡される度に広島の景色も走っていた。そういえば知り合いに何度か会おうと誘われるも度々持ち越しになり、やっぱり東京滞在中に会いたいと言われ結局何の連絡もなかったことを思い出した。確か昨日くらいまで東京にいたのではなかったか。もう広島に帰っている頃だろう。

会いたいと言いながら会い続けない人というのはとても不思議だ。私は時間を何より重要視しているタチで(山羊座の特徴らしい)すなわち同じくらい他者の時間にも敏感である。そんな私からすると「そもそも連絡なんてよこして来なきゃ良いのにカッコわらい...」と相手を不憫にすら思うが「いや待てよ、そんな相手からの連絡で時間を無駄にしている私の方が不憫か。また意味のない返事になるなぁ」と思いながら、万が一にもラリーが続く可能性がある以上、お互い最も合理的に目的達成(具体的な日程を決める)ができるように都合がつく日程を全部と「いいよ、じゃあいつにする?」という短い言葉を送る。勿論こういうタイプの人は具体的な返事になると連絡が途絶える。当然こちらも分かってやっている。

世武の生き方ルールブックには"お手つき7回システム" というのがあり、それを越えたら問答無用のシャットアウトと例外は作らない。(時間の代表格 "遅刻"に関しても同様に!私は何度も遅刻する人が大きら...大の苦手である)
しかし普通3回くらいが相場と思えば7回なんてかなりフレンドリーな設定だ。友人たちに世武はやさしすぎるとよく言われるが、私のやさしさは多分"やさしさ"っていうより"優しさ"って感じで、少なくとも愛や温もりの類ではなく真面目さの発露でしかない。だから「やさしい」はいつだって辛辣で怖い。後ろめたい。

帰りはスーパーでアボカド、豆腐、納豆などを購入して簡単な夕食を済ませた。
無心で演奏しないと右手のパッセージがゲシュタルト崩壊しそうな新曲に再び取り組むと決めていたからだ。続きを書くための下地として、ここまで作った土台を身体に叩き込む作業をしていた。この作業は突発的に付着した数々の余計な要素を削ぎ落とし微調整するのに有効なので、時間をかけるようにしている。
それから、来月久し振りに福岡で弾き語りをするので、そのための声の出し方をひとつずつ確認したり、次なる改良の余地=課題を探ったりする。

同じ音楽でも、作曲(前者)と演奏(後者)とでは消耗量が全く違う。私にとって前者の方がはるかにプレッシャーがかかる作業であり、椅子に座る時点で緊張感がある。4歳からずっとこれをやっているが、いつか飽きる日は来るのだろうか。飽きたらどうする?と自分に訊ねるけれど、大抵の場合真剣に取り合う気もなさそうなので今のところ放っておく。

さて、熱めの湯船に浸かって今日も早めに眠ろう。

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