見出し画像

「鎌倉学び舎」ができるまで①〜はじまり〜

私は現在学童保育施設「鎌倉学び舎」を経営していますが、

昨年の3月までは大学で専任講師をしていました。

そんな私が「鎌倉学び舎」を構想し、実現し、

現在に至るまでの道のりを何回かに分けて

綴っていきたいと思います。


私は鎌倉生まれ、鎌倉育ち。

生まれてから今日まで1度も一人暮らしをしたことがありません。

つまり、大学へも鎌倉から通っていました。

当時の大学は片道2時間半。

「毎日遠足だね♡」と友人たちに半ば同情されながらも

4年間通い続けたのでした。

その理由はとってもシンプル。

「鎌倉が好きだったから」

以上。


根っからの鎌倉好きで、大学の友人と遊ぶ時も

理由をつけては鎌倉に呼び寄せ、

鎌倉案内をしながら、

共に過ごす時間を楽しんでいたのでした。


そんな私なので「鎌倉で働きたい」という気持ちを持ったのは

自然な流れでした。

鎌倉の大学で働くことを目標に

大学院では黙々と研究し、

大学院生の時から鎌倉の大学にお手伝いに通い、

念願叶って、就職することができたのでした。


ちなみに私の専門は教育社会学。

2016年に出版した

『幼児の性自認ー幼稚園児はどうやって性別に出会うのか―』

は博士論文を元にしたものです。

社会学的に幼児を分析したもの。


そこで、大学では幼児に関するいろいろな科目を担当しました。

児童文化、子どもと教育環境、社会学、子ども社会学、ジェンダー論、

教育社会学、保育内容演習人間関係、保育実践指導、児童学、幼児指導

…などなど。


他にもいろいろありましたし、

これに加えて実習巡回でたくさんの施設、学校、園に伺いました。

そんな日々の中で、「子どもを育てる」ということについての

考えが深まっていきました。


そうして、ひたすら幸せな数年が流れ、第一子を出産。

自分の子どもが生まれると、ますます真剣に

子育てや、子育て環境について考えるようになりました。


そんな中で自分の育ってきた道のりを振り返ることが

多くなりました。


私は鎌倉で育つ中で、

「鎌倉にはたくさんの文化人、一流の大人、面白い職業の人がいるらしい」

ということは、肌で感じてきました。


でも、大人になるまで直接出会うことはありませんでした。


もしかしたら、隣にいるかもしれないのに。

すれ違っているかもしれないのに。


ただそれだけでは出会えないのだということを

強く実感しました。


そして同時に

「もったいなかったな」

と思いました。


大人になってから

私は鎌倉の文化人から

短歌と墨彩画を

習うようになりました。


そして、その先生方と繋がったことで

人生がより豊かに、深く感じられるようになりました。


同じ鎌倉が全然違って見え、

今まで自分が見ていた鎌倉がいかに表面的な物だったのかを

実感するようになりました。


同じ道を通っていても、行く場所や、見る物や、繋がる人が

全然違うのです。


そんな体験をしてみて、

「子どもの頃からこういう魅力的な大人と出会えていたら

もっと人生が豊かになるのではないか、

選択肢が広がるのではないか」

と、思うようになりました。


そこで、こうした

「鎌倉の文化人と子どもが出会える場」

を創りたい

と、考えるようになったのです。


せっかく鎌倉という土地で育つのだから

一流の人々と人間的な深い関わりを

持ってもらいたい。


講演会のような1対大勢というような出会い方ではなく、

少人数で、

文化人も子どもも

互いに良い影響を受け合うような

人間らしい出会いの場を創りたい。

そう思うようになりました。


そして、その舞台は「古民家」がいい。


そこまで考えて、

ノートにアイディアを書き込み…。

「でも、どうやったら創れるんだろう?」

と思っていたのが10年ほど前。


その時のアイディアが「鎌倉学び舎」の元になったのでした。


(つづく)


鎌倉学び舎
http://kamakura-manabiya.jp





子育てにまつわるあれこれを綴っていきます。専門知識に基づいたことから日々の中で感じたことまで。保育系大学専任講師を経て、現在は、学童保育施設代表、子育て支援施設主宰、教育研究所所長、保育園理事。博士(教育学)。小学生の一男一女の子育て中。