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誰かをアシストするデザイナー

■夢という名のヤケド

「何かを作りたい」
そう考えるようになったのはいつからだろう。

僕は昔から自分の中にある「カタチの無い何か」というものを抱えて生きてきた。
それは僕以外のみんなも持っている、と思っていたのだけれど、同じような思いを持っている人はそんなに多いわけではなかった。

小さいときはそのような「何か」というものを言葉にすることはできなかったのだけど、僕は少しずつ成長し、やがてそれが「自分だけの世界を創りたい」ということなのだと気づいた。

あいまいだった「カタチの無いもの」が「作品を創る」ということだと気づいた僕は、絵を描いたり、物語を考えてみたり、あるいはその両方を混ぜた表現である「マンガ」を描いてみたり、という行為に没頭した。

回りの友人達はゲームやスポーツなどにハマっていくなか、僕は少しズレた生き方をしていたようだ。
もちろん友人達が好きなものに対して全く興味が無いということでもないので、ある程度はお付き合いもしたし、それらのものも面白いと思うこともあった。

でも、やっぱり自分の中の「核」であり「もっとも楽しいこと」というのは「作品を創ること=世界のデザイン」なのだ。

世界のデザインはとても楽しく、時には没頭しすぎて学校の授業中に机に絵を描いたりして、先生に怒られるなどということもあった。(先生ゴメンナサイ)

このような形で世界作り=物語作りをしているうちに、
周りの友人達からは「お前の作る話は面白い」と褒められるようになり、中学になったときには文化祭のクラスの出し物では劇の企画と演出を任されるようになっていた。

最初は「自分が考えたもの」をアウトプットするだけで楽しかったのだが、成長するにつれ、アウトプットしたものを誰かに見せて「楽しんでもらう」ということに生きがいを感じるようになったのはこのころだろう。

こうして僕の中に大きな夢が生まれた。
そう「プロのデザイナー」になって自分の創造したものをいろんな人に見てもらいたいと。

それは一種の《ヤケド》のようなものである。
「はやくプロになりたい」「モノ作りの世界で活躍したい」「みんなに見てもらいたい」
この《ヤケド》は一旦自覚してしまうと、常にうずき、自分をせっついてくるのだ。

《ヤケド》に焦燥感をあおられた僕は、どうやったら「プロ」になれるのかを調べるようになった。

それこそ昭和よりも昔だったら、先人に弟子入りするなどという方法もあったのだろうが、平成の現在ではそういうこともなかなかできないだろう。

僕が調べることができたものは以下のようなものだった。

高校を卒業→美術系大学か専門学校で勉強→デザインプロダクションなどに入社、またはフリーランスになる。

まだるっこしかった。
このあと高校の3年間、普通科目の勉強だけをしていくというのは我慢できそうになかったのだ。

僕はさらに調べた。それもかなり必死になって(笑)
そうして見つけたのがデザイン課程のある高校だった。
この情報を見つけたとき、僕は歓喜した。これで実りある高校3年間になるだろう!と。

ただその高校は、当時の僕の成績からするとちょっとレベルが高かった(汗)
でも、3年間デザインに関することが学べる、という希望を励みにとにかく学力をあげることに全力を注いだのだ。

少なくとも僕が生きてきた中で、(美術・デザイン以外での)勉強という意味ではこれほど必死になったことは無かっただろうし、今後も無いかもしれない。

そこまで必死になった結果、僕はめでたく希望のデザイン課程がある高校に入学することができた。

人生最良の瞬間…というには早いか。
僕の目標というのは「モノ作りの世界で活躍するデザイナー」なので、通過点である高校入学でピークを迎えてしまっては話にならない。

でも、とてもうれしい事には変わりがない。
こうして僕の高校生活は充実するはず

…だった。

■希望と絶望

下調べが不十分だった僕も悪いのだが、なんとその高校は2年間は他の高校と変わらず普通科目だけだったのだ。

最後の3年生でデザイン科目が追加され、そこで実践的に学ぶのだそうだ。
納得はいかなかったが、普通科を希望していた両親の反対を押し切ってまで入学したわけだし、ここで辞めるという選択もなかった。

「3年になればデザインが学べる」
それだけを望みにして、僕は普通科目のみの2年間をたえぬいた。

そして3年になり、まさかの絶望を味わうことになる。
3年のデザイン科目では、デザイン担当の先生が授業を受け持っていて、僕もその先生の授業を受けることをとても楽しみにしていた。

そのために2年間を頑張ってきたのだ。

ところが、なんと、その先生は、僕が3年に進級するのと入れ替わるように定年を迎え、退職してしまったのだ。

後任の先生は、ちょっとこれは学校に文句を言いたいところだったが電気系統の技術の先生で、美術やデザインの知識は全く無い人だった。
そう、せっかく3年になれば実践的なデザインが学べる、と期待していたのにそういうことができる先生ではなかったのだ。

こんな状況でも学校側は「卒業制作」を企画・完成させて提出することを要求してくる。
クラスメートたちは知識も技術も覚えられないので、ちょっとカッコイイ、あるいはカワイイ絵であるとか、カンタンなWebページを制作・提出してお茶を濁そうとしていた。

でも、僕は、

かなり熱い思いを持ってこの学校に入学したのに、お茶を濁すような作品を作って終わりにしたくなかった。

だから僕は、結構な無茶をした。

「僕の卒業制作企画は、映像デザインです。短い物語の中で実写とCGがミックスされ現実には起きないことを表現したいと考えています」

今にして思えば、教えてくれる先生もいない中、よくこんなことをやろうと考えたものだと冷や汗が出てくる。
モノ作りの世界では「完成し提出できてこそ全て」である。
できなければ途中どんなに頑張ったところで無意味だ。

先生たちには無理やり企画を押し通したものの、やっぱり無理すぎた。
カンタンな編集までならなんとかできたのだが、CGの制作と合成がどうしてもうまくいかない。

ネットで検索もしまくったが、僕の悩みの答えになるような情報は見つからなかった。
おそらく方法がわかっていればすぐ終わるような事だったのだろうと思うが、他のクラスメートが提出に向けてどんどん進んでいく中、僕は2ヶ月ほどそこで停滞した状態になってしまった。

それでも提出期限はどんどん近づいてくる…。
焦った僕はTwitterでイラストレーター、フォトショップ、アフターエフェクト、3dsmaxなどを使っているプロのデザイナーさんを探し、質問のリプライを送りまくった。

多くの人は無視するか、軽く返答して終わる程度だったのだが…

■誰かをアシストするデザイナー

1人だけ親身に答えてくれる人が現れた。
それが僕にとっての《先生》と呼べる人だった。

僕の高校での状況、卒業制作の期限が近づいていることなどを話すと、

「それは大変だったね。定年退職なのは仕方ないと思うけど、美術もデザインもわからない先生を担当にする、というのは高校もひどいねぇ…」

と同情してくれて、解決策を教えてくれたのだ。
僕が2ヶ月悩んでいたことは、数回のリプライで終わってしまった。

ほんとうにあっさりだった。
《先生》によれば実はそんなに難しいことではなかったそうなのだが、そもそも知識ゼロだった僕には全てが難しいとしか感じられなかった。

卒業制作の問題の解決の目処がついたあと《先生》が教えてくれたのはそれだけではなかった。

いわば「デザインの本質」とも言えることだった。

「デザインはアートじゃない」
「いや、正確にいうとアートの要素も少しあったほうが良いけど、デザインの本質は《実用的になるように考えて設計すること》なので、機能性をまず優先しないといけない。だからアート性の方はあまり前に出すぎちゃいけないんだ」

この話は僕にとって衝撃的だった。
僕にとっては「デザインとアート」は同じものに思えたし、両方共センスが全てを支配すると思い込んでいた。

またデザインとアートを椅子を例えにして説明してくれたのもなかなかに興味深かった。

「椅子っていうのは座れることを前提として設計されるよね。これは椅子という機能を果たしているのでデザインといえる」
「アートの場合は例えば《座れない椅子》というのもアリなんだよね。座れないということに意味を見出そうとしたといえるわけ」

そう、こういう話を学校の授業で聞きたかったのだ。
それが実際の授業の中では、そもそも先生がその方面の知識がなかったので、最後まで聞くことはできなかった。

友人たちには「お前行動力ありすぎwすげえなw」と言われたが、こうして《先生》と出会えたことはとても良かったと言えるだろう。

《先生》が親身にしてくれた理由は、専門学校で講師をしていて基本的に教えるのが好きだということ、僕と年が近い高校生のお子さんがいるということで、親近感がわいたとのことだった。

「私はね、若い頃はとにかく名前と作品を売ろうと必死だったことがある。ただこれをやったことによる反動もいろいろあって、今は疲れちゃってるんだよね。
学校で講師をするようになってから、教え・育てるということにも楽しみを見出すようになってきてるので、今は《誰かをアシストするデザイナー》ってとこなのかな」

僕はまだまだこれからだし、もちろん僕自身も作品を作っていろんな人に見てもらいたいという望みはある。

けれど、僕がいまこうして次のステップである専門学校でがんばっていられるのも《先生》のおかげだし、僕もいつか僕のあとに続く頑張っている人たちが困っているのを見つけたら《先生》と同じようにアシストしてあげたい。

《誰かをアシストするデザイナー》

こういう存在もカッコいいよね。

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このお話は脚色が入っているものの、実話がベースになっています。
《先生》は私です。
《僕》は本当に全く面識がなかった当時高校生だった子です。
今現在は専門学校でさらに自分磨きをしているとのこと。

《先生》が話している内容はちょっとカッコ良すぎますが、私の師匠が話していたようなことを組み入れています。
《僕》の経験してきたことは、ご本人から聞いたことを元にしていますが、私自身が経験したことも結構重なるので混ざっています。

すっかり「おっさん」になってしまった私は、こうやって誰かをアシストすることに楽しみを見出しています。

それは後進のデザイナーの卵を育てる、というだけではなく、「思いをカタチにできない誰かに変わってカタチにする」というデザイン業務としてのアシストでもあります。
グラフィックデザイン、イラスト、アニメ制作などを行ってきましたので、何かお手伝いできることがありましたら、お声がけください。

教えることが好き、ということは私の特性の一つでもあります。
そのため、こういったnoteでもそのあたりのお手伝いができるのではないかと考えまして、先日動画講座を公開・販売開始しました。
「ゼロから学べるイラストレーター&フォトショップ初心者講座」
です。

よろしければ併せてこちらもご覧いただければさいわいです。

最後に、セッジが運営するブログ、セッジデザインもよろしくお願いいたします。イラストレーターの使い方を始め、アフターエフェクト、デザインの情報を公開しております。


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