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短編小説 エンドロールはロマネ・コンティと一緒に。


 気が付くと僕は、映画館の席に座っていた。僕はちょうど真ん中の席で、観客は僕以外に誰一人いなかった。
「どうして僕は映画館に……?」
 思い出そうとするが僕がここまで来た記憶が全く無い。酒を飲み過ぎた翌日には良くある事なのだが、それにしては二日酔い特有の頭痛が無い。
「当劇場へようこそ」
 声が隣から聞こえた。
 
 隣を見るといつの間にか、女性が席に座っており、こちらに微笑を向けていた。
 その女性は真っ白な長い髪にタキシードとシルクハットという、正にクラシカルな白黒映画から飛び出してきたという印象だった。髪は染めているのだろうか? そんな疑問を浮かべながらも僕は尋ねる。
「君は?」
「当劇場の、支配人をさせて頂いている者です」
「なるほど、君みたいな綺麗な人が支配人だなんて、この劇場はきっと繁盛しているんだろうね」
 僕が軽口を言うと、支配人は手を口に添えクスクスと笑う。その言葉は言われ慣れている、といった感じだ。
「相変わらずお上手ですね」
「あれ、君とはどこかで会ったかな?」
 
 僕から出た言葉はいつもは女性を口説き落とす時に使うのだが、今回は素の意味で尋ねた。
 彼女の声からはどこか、懐かしさを感じていた。支配人はその問いには答えず、
「まもなく上映が始まります。お飲み物はいかがでしょうか? 当店はワインが自慢なのですよ」

いたずらっ子の様な笑みを浮かべ、いつの間にか席に置いてあるワイングラスを手に取った。彼女の服装といい、支配人というよりはマジシャンの様だった。

僕はワインに目が無かった。美人と飲む酒は、さぞ美味い事だろう。
「じゃあお言葉に甘えて」
 僕は彼女が持ってきたボトルを見た瞬間、驚いた。
「これはロマネ・コンティじゃないか! こんな高いワイン……いいのかい?」

 彼女が持ってきたワインの銘柄はロマネ•コンティ。
 最低でも100万円。高い時は何千万、何億とするワインの王様だった。
支配人はニコニコと笑みを浮かべながら続けた。
「お気になさらず、これはタダで分けて頂いた物ですので」
「タダか……いやぁ、世の中お金が有り余っている人はいるもんだね」

 美人は徳だと良く言うけれど……。
 僕が次に生まれるなら是非美人になりたいものだ。


グラスに注がれたワインを口に含む。
今まで飲んだことが無い、深海の様な深い味わいに吐息が漏れる。
そう……月並みだが、例えるなら天国に来た様な、感覚だった。
「お気に召しましたか? まもなく上映が始まります。ごゆっくりと、お楽しみください。」

 映画のタイトルは「ある画家の一生」
 白と黒の二色で、映像は流れ出す。


 主人公は画家を志す青年だった。
 彼の絵は素晴らしいものであったが、世間からは評価を得ず、生活は恋人の彼女が賄っている状況であった。

「まったく、甲斐性の無い奴だなぁ」
僕は酔っている事もあり、隣に座る支配人に少し怒る様に言う。
なんだかこの主人公は、見ていてとてもイライラするのだ。

「ですねぇ。ま、言ってしまえば彼、ダメ人間なんですよ」
 支配人は愉快そうに言った。
「やっぱり男は甲斐性が無きゃだめだよ。なんでこんな奴に可愛い彼女がいるんだ?」
 映画のヒロインはズバリ、僕の好みのピンポイントだった。
 家庭的で素朴な笑顔が印象に残る。芸術鑑賞が趣味だという女性。
 僕は映画をよく見たけれど、こんな女優は見たことが無い。新人俳優だろうか?


 物語は進み、主人公はついに成功。一躍有名になり、彼の絵は、驚くほどの高額な値段が付く。

「良かった良かった。」
 僕は、いつの間にか、映画に映る青年が、まるで自分の事の様に親しみを覚えていた。

 僕も、お金には縁の無い生活を送って来た記憶があるからだ。

 白い顔を紅潮させた支配人はチッチッチッ……と、わざとらしく指を振る。

「いえいえ、彼のストーリーはこれからです。映画とは波乱万丈であるから面白いのですよ?」

「僕は、ここで終わっても、良いと思うのだけど」


 映画は成功した主人公はどんどん増長し、家に帰って来ない日が続いた。
 元々女好きの彼は、お金に寄ってくる美女達に、溺れていった。

 僕は我慢できず、席を立ち、激怒した。
「本当に……なんなんだこいつは!」

「お客様、落ち着いてください。これは映画ですよ」
映画では視点が変わり、アパートで一人涙を流すガールフレンドが映し出された。
「分かっている! 分かっているけど……彼女が気の毒だ」

支配人は空になったワイングラスにワインを再び注いだ。
「……確かに、私もこの男には腹が立ちますね。ぬけぬけと浮気などと、私が彼女だったら、包丁で腹を刺してやりたいものです」

「君……のんびりしてそうで、意外とおっかないね」

「うふふ、そうでしょうか?」
支配人は微笑むが、目の奥が笑っておらず、僕は、寒気を感じた。


 そしてある夜、彼がいつものように酔いでおぼつかない足取りでアパートに戻って来た時、彼女の姿は無かったのだ。突然、電話が鳴り響いた。私立病院からだった。
 主人公が病院に駆けつけたとき、彼女は既に亡くなっていた。
 相手の飲酒運転による、人身事故だった。


彼は彼女がいなくなってから初めて、自分の愚かさと彼女のかけがいの無さに気づき、心の底から嘆いた。彼の流した嗚咽と涙は、本物だと、観客の僕には思えた。これが演技なら、主人公の俳優は凄い役者だ。

「まだまだ不幸は続きますよぅ」

 支配人はまるで喜劇を見ている様に言う。

 笑顔の彼女とは違い、僕は彼を哀れみ、とても悲しい気持ちになっていた。

 数年の時が過ぎ去り、荒んだ生活を送っていた主人公は、病に倒れ、救急車に運ばれた。
 結果は末期癌だった。余命は僅か。病名を告げられた彼は、乾いた笑い声を上げた。もうどうにでもなれ。そんな笑い方だった。

 ある日、病室で虚ろな眼差しで青空を見上げていた時、ふと、彼女が言った、とある言葉を思い出した。

 ――いつか貴方の絵が大成したら、二人でロマネ・コンティを飲みましょう。


 彼の瞳に一筋の光が灯す。その後、彼は病室で絵を描き始めた。一心不乱に。何かに取り憑かれたかの様に。


 その姿は、まるで残り少ない命という絵の具をキャンパスにぶつけているかの様だった。


 何日も取り組み、出来た絵画はとても鮮やかな色彩の中でグラスを合わせる男女の絵。
 タイトルは祝杯する男女。

 間違いなく、彼と彼女の絵であった。

 描き終えた彼は静かに目を閉じ、一人、語る。

 ――今の僕には、叶えられなかった夢を描くくらいしか出来ない。
 ――君は天使みたいな人だから天国に行っていると思うけど、もし僕も天国に行けたのなら、約束を果たしにこの絵を持って君に会いに行くよ。

 そう言い終わった瞬間、彼の手から握られた筆が落ち、カランと音を響かせた。

 ナースが急いで病室に入った瞬間。二人の絵は、窓から差し込む光に照らされていた。

 そこで、映画は幕を閉じた。

「……ご視聴、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?」
 僕の目から涙が一筋流れた。僕は何故、この映画にこれほど共感出来る理由に、気付いた。 
「この映画の主人公は……僕だ。」
「やっと、気付いたんですね」
 支配人は困った様に笑い、息を吐いた。
「となれば、ここは地獄かな。君は悪魔の支配人? 僕はきっと地獄行きだろうからね」
 彼女は目を閉じ、静かに語る。
「――それではエンドロールの時間といきましょう。」
 目の前に白い羽が舞う――。目が見開く。彼女の頭の上には、光輪が見えた。

「貴方はこうして、約束を叶えてくれたじゃないですか」
「君は……。」
 にっこりと笑う彼女を見て、僕はハッとした。髪の色が白くなっているが、彼女の笑顔は映画と同じだった。
「ここは天国にある人生を映す劇場、私はあれから、行いが非常に良いと言う事で、ここを任されたんです」

「――君なら適任だね。そうかあのワインは、天使の分け前だったんだ」
 ワインは製造工程で木製の樽で熟成させる時に水分、アルコールが蒸発し、目減りしてしまうらしい。人は、天使がこっそりワインを飲んでいるという事にして、その現象を「エンジェル・シェア」と呼んでいる。
 このワインは人間が天使の彼女に送った、プレゼントだったのだ。
「僕にとって君は最初から天使だった」
「……貴方のキザでロマンチックな言い回しが、とても好きでしたよ」
 天使の彼女は、瞳を濡らした顔で、頬笑んだ。

「じゃあ二人の再会と貴方の人生にもう一度乾杯しましょうか」
 
 彼女の言葉に頷き、グラスを持つ。長い年月を重ねたボルドー色の液体は、とても美しかった。僕の人生は彼女のおかげで、この色と同じであればいいなと思い、僕は笑った。
「君ともう一度出会えて良かった。ありがとう、乾杯」
「乾杯」
 
 ――グラスをカチンと合わせた瞬間、貴方は丸い魂の形となり、天に召されました。

 床に落下したワイングラスは砕け、ロマネ・コンティは床に飛び散ります。赤い雫は、人の生の輝きと似ているなと思いました。

 後片付けが大変ですが、ギリシャではお皿を割る文化もあるらしいですし、貴方の旅出の演出と思えば、可愛らしいものです。

 私は劇場の後ろに飾られた絵画を眺め、自然と笑みが溢れました。

「貴方の人生は、本当に素晴らしい映画でしたよ」

     


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