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リモートワーク生活を送ってみて「富士日記」を追体験した気分になった話

3月半ばから6月末までのフルリモートワーク生活のことを書こうと思う。

緊急事態宣言の発令を受けての会社判断ということで、図らずもという感覚で始めたリモートワークだった。せっかくなら楽しみながらやった方がいいだろうということで、自分でリモートワーク監視員を置いて仕事してみたりした。

幸い、自宅にデスクワークできる環境は整っていたので、特に大きな問題もなく仕事をこなすことができたと思う。仕事の割合としては、主に採用業務に充てる時間が多かったが、オンラインでのカジュアル面談や面接実施についても違和感は全くなかったし、得たものの方が多かった。

良い機会だから内省に耽ろうと思った

で、今回のテーマはその手の実務に対する課題のあれこれを論じるのではなく、もうちょっと内省的な話をしたいと思う。

リモートワークというか、自宅で仕事をするようになってすぐ意識するようになったのが、「仕事とそれ以外の生活との境界が限りなく曖昧になる」という感覚だった。そして、境界が曖昧になるという感覚から僕が想起したのが、この「富士日記」だったのである。

富士日記とは

既読の方も多いだろうから詳しい説明は省略するけど、本作は純文学作家武田泰淳の妻である著者が、東京の自宅と富士山の麓にある別荘を行き来する生活の様子を書いた日記形式(というか日記そのもの)の随筆だ。本当に普通の日記なので、その日買い物した物のリストや食べたご飯の内容、夫の執筆を手伝う仕事をする、家のガラス戸に激突した野鳥を見て死について考える、病気で入院することになった夫のことを想う、といった内容がそれぞれのエピソードに大きく一喜一憂することなく、全て連続した日常としてドライに描かれているという点が、個人的にはすごく印象に残る作品だ。

移動しない生活がなぜ富士日記を想起させたのか

上述したように、富士日記は自宅と別荘を行き来する生活のことを書いている。それなのに、なぜ自宅に籠もるリモートワーク生活と感覚がリンクしたのか考えてみた。

理由①:非連続な思考から連続した思考になったから

最初に思い至ったのは、仕事のために移動をしなくなったことで、仕事が日常から切り離された存在ではなくなったから、ということだった。

例えば、仕事の合間に家事ができて便利だとか、昼ごはんは家で家族と一緒に食べられるとか、そういうことをリモートワークの利点として挙げる人は実際多いんじゃないかと推察するけど(僕もそうだ)、そういう発想を自然にしていること自体がその証でもあるだろう。もちろん、良い悪いの話ではない。これは、「仕事とプライベートを分ける」というような非連続的な思考から、「全部ひっくるめて今日の自分の時間」というような連続的な思考への移行が起きたからだと考えられる。だから、境界が曖昧になったというよりは、いちいち区分けする必要がなくなり、人間としてよりプリミティヴな状態に回帰しているということなのかもしれない。

富士日記の描写は、一貫して連続的な視線で語られている。自由に使える別荘がある暮らしは、それ自体が遊興のようなものかもしれないが、仕事とプライベートを分けるみたいな感じで思考が分断されることがないのだ。だから同じように感じたのかもしれない。

理由②:自然動物とのつき合いが生まれたから

2つ目はこれだ。自宅の周辺が結構静かな住宅街で人の往来が少なく、地域で面倒を見ている保護猫をはじめ自然動物がかなり身近にいる環境ということで、単純に富士日記の舞台と近い生活環境だったからというわけだ。幸か不幸か、その保護猫たちの何匹かは我が家の庭をいたく気に入っており、毎日くつろぎにやってくる状態だったので、オンラインで打ち合わせをしていると外から物凄い勢いで呼ばれたり、構ってくれないと網戸を引っ掻いて抗議してきたり、という攻撃を受けながら仕事をしていた。オフィスでは中々できない経験だろう。

ちなみに、こちらが毎日やってくる猫たち。こんなの仕事にならないでしょ。。(耳はサクラになっていて、ちゃんと保護猫)

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猫を飼っている人なら経験があると思うけど、猫は基本的に野生の本能を残したまま人間と生活しているので、可愛いだけではなくて結構ショッキングな場面に遭遇することがある。詳しい表現は避けるけど、狩りをしている場面や、狩られたものの成れの果てを自宅の敷地内で目の当たりにする機会が何度もあった。朝起きていきなりああいうのを見せられたら、誰だってちょっと吃驚するだろう。たまたまではあるけど、自宅で生活する時間が長くなって、意外と自宅のすぐ近くでも生命のやりとりが行われていることに気づいたわけだ。そのうち、生き物の死骸を見てもあまり動揺しなくなってきて、富士日記の作者の感覚がちょっとわかったような気がした。

おわりに

40年くらい生きてきて、文学作品を追体験したのは初めての経験だ。これだけでもリモートワーク生活してみて良かったなと思っている。リモートワークはビジネスの文脈で語られるトピックではあるが、単に利便性とかそういう話だけではなく、思考実験的に自分にとってどのような影響をもたらすのか、ちょっと内省に耽ってみても良いんじゃないかと思ったしだい。

富士日記はとても面白い作品なので、細かいことを抜きにして未読の方はぜひ一読ください。


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