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アクシデントは人を強くする

こんにちは。
TOWNの長澤です。

TOWNアドベントカレンダー2023と題して、今年も社内でアドベントカレンダーを書き連ねることになりました。僕は8日目(12月8日)を担当します。今年は1日分だけ担当しますので(去年まではだいたい2日分書いてました)、一点集中・天元突破の心持ちで書きたいと思います。

今年は何を書こうかなと、なんとなく(iphoneの画像を見ながら)今年1年を振り返ってみたところ、そういえば今年は色々アクシデントに見舞われたな、、というのを思い出したのでそれをネタに書きたいと思います。その中のエピソードで特にインパクトのあるものを1つご紹介します。

会社の中でアクシデントという言葉が出てくると、もうそれだけでアラートが鳴り響く感じですが、そこはそれ、あくまで個人的なものですので面白おかしく読み飛ばしていただければと思います。

今年もたくさん旅をした

休みの日を利用して今年もいろんなところに行きました。去年はひとり旅が中心だったのですが、今年は妻と旅行したり、友人と日帰り旅行したりなど、いろんな人と旅に行った年だったなと感じております。そういえば去年はひとり旅に関する記事を書いておりまして、仕方ないな読んでやってもいいぞという方は寄り道してお読みください。

話を戻すと、、

そんなわけで、今年は去年に比べるとバラエティに富んだ旅や遊びを楽しんでいたのですが、味をしめて雪山へスノボしに行ったのがアクシデントの始まりでした。毎年シーズンになると雪山にスノボしに行っている友人たちに誘われたのがきっかけでしたが、せっかくのお誘いだし久しぶりにやってみようと思い立ったわけです。

数えてみましたが、スノボに行くのは5年ぶり3回目、かつ雪山でスノボするのは22年ぶり2回目というステータスでした。要するにとんとご無沙汰な状態だったと。

どんより曇天の湯沢高原

5年ぶりのスノボ

行ったのは新潟県の湯沢高原スキー場です。
2月下旬に行ったのですがかなり降雪しておりまして、天候のコンディションはあまり良くなかったかもしれません。しかしながら、今までスノボに行った時はいつもなんとなくうまく滑れていた、という都合の良い記憶にも後押しされ、友人たちについていく形で結構攻めた角度のコースにも果敢にチャレンジしました。

人の記憶とは全く当てにならないもので、チャレンジの甲斐なく結構な回数転びまして、阿呆みたいなコメントで恐縮ですが、こんなに転んだのは人生で初めてだなと思うくらい転びました。で、転びすぎたのか、そのうち左腕の感覚がなくなってきて、そのあとダメ押しで胸を強打したところでギブアップしました。スマホを胸ポケットに入れていたのも良くなかったのだと思います。板をつけた状態では自力で動けなくなり、人生初のスノーモービルに乗せてもらってリタイアするという体験をしました。情けない限りですが、スノーモービルに乗れて楽しかったので良しとしよう。そう思うことにしました。

その後、普通に滑り終えた友人たちと合流して、みんなでトンカツを食べに行ったり、温泉に入ったりしました。スノボも含めて、日帰りで新潟の旅を満喫したと言えるでしょう。しかしながら、この時からすでに腕が動かなくてリュックサックがうまく背負えなくなり、くしゃみをすると胸全体に散弾銃で撃たれたような激痛が走るという異変が起きていたのですが、周りの友人たちに気を遣わせてはいけないという一心で平静を装いながら遊び続け、終電の新幹線で家に帰りました。日帰りで本当に良かったなと思いました。

日本酒立ち飲みのお店にいたクマジロウ

翌日は日曜だったので自宅で静養していたらだいぶ動けるようになり、月曜からふつうに会社に行きました。が、どうも様子がおかしい。笑うと身体に激痛が走るし、通勤電車で立っていると全然踏ん張れないのです。会社の同僚からは、「それ絶対骨いっちゃってますよ!」と言われたのですが、腕の方はだいぶ動くようになってきたし、痛いことは痛いけど打身かもしれないしなー、と呑気に構えてそのまま金曜まで仕事をして、土曜の朝イチで近所の整形外科に行って診察してみたところ、

「折れてますね。左腕と肋骨が」

やっぱりそうでしたか。。。

というわけで、4歳以来の骨折、しかも人生初の2箇所同時という特大のアクシデントをかましてしまったのでした。

整形外科の先生からは、「何をしたらこうなるわけ?」と呆れられました。
そりゃそうだ。

骨折するといろいろと大変で恥ずかしい

骨折を治すには、とにかく固定して骨がくっつくのを待つしかありません。腕はギプスで固定し、肋骨のほうはサポーターみたいな固定具をずっと巻いて生活しておりました。とにかく不便でしたが、自業自得ですから仕方ありません。

また、腕の包帯巻きや固定は自分ひとりでは難しく、頻繁に妻の手を借りておりました。ふだんから生活の節々で感じることではありますが、この時も妻が一緒にいてくれて良かったと心から思いました。感謝です。

当然ですが、会社の同僚からはどっちも折れていたという話をしたら爆笑されました。ほらみろ、と。しかし、捨て身で笑いを取ったと思えば悪くない気持ちです。そういえば、会社には腕の三角巾をつけずに行っていたので(先生ごめんなさい)、会社の大半の人は骨折していたことにすら気づいていなかったのではと踏んでいます。

ぱっと見長袖のインナーに見えないこともない包帯

それから、固定を余儀なくされて不便な生活にやっと慣れたころ、健康保険組合の求償課というところから会社宛に封書が届きます。保険組合によって対応は少々異なるかもしれませんが、要するに怪我して整形外科を受診しまくっているので、労災かどうかを確認するために問い合わせが来るわけです。まったくもって労災ではないということを説明するために、「休日に遊びでスノーボードをしているときに複数回転倒したため」と理由をストレートに書かねばなりませんでした。わたくし、会社では労務を担当しておりますので、労務担当が自分で自分の傷病について説明することを余儀なくされ、さすがに顔から火が出るかと思いました。しかし、これも良い経験ですね。

無事に治りました

基本的に先生の言いつけを守って生活していたので順調に回復し、2ヶ月くらいで固定は外してもOKとなり、そこからリハビリを経て今はもうすっかり治りました。(逆に固定しすぎると骨が固まってしまってそれはそれで大変なことになるみたいです)

妻からは、スノボはこれで卒業するようにとのお達しを受けたので、残念ながらもう行くことはできなくなりましたが、まあ仕方ないですね。もう若くはないということで、無茶なアクティビティにチャレンジして寿命を縮めるのは避けたほうが良いということなのでしょう。でもスキーに転向するっていう手もあるしな、、とか密かに考えています。(懲りてない)

タイトルの通り、骨折というアクシデントを経て僕は強くなれたのでしょうか。
それは自分でもよくわかりませんが、身体の2箇所を骨折していても我慢して生活できたというのは、強さと言ってもいいのではと思っています。単に鈍感なだけかもしれませんが。

皆様も怪我にはくれぐれもお気をつけて。。

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