地震のこと 20240102

別に楽しい正月を過ごそうという気はさらさら無い。
そもそも正月らしい事は何もしていないし、せいぜい正月特番をダラダラ眺めながらちょっといい物を食べようかくらいのスタンスなので。

しかし、今年はそうもいかなくなった。
テレビもネットも地震のことで持ちきりになった。
東京も揺れはしたけどなんら生活に影響する様な震度では無い。
はずなのに緊急放送をずっと凝視し続けてちょくちょくスマホをチェックする夜だった。
画面から飛び込んでくる映像は東日本大地震を彷彿とさせる緊急事態のそれで、安全圏にいながらただただハラハラし続けていた。
福島で震災を経験した身にとってとても人ごととは思えず夜を過ごしている。

自分の弱い所で、こういう異常事態に対峙する事になった時、視野狭窄になり情報の波に溺れてしまう。
先程と重複するが東京の揺れはなんら大した事はない。
それでもテレビやスマホの画面から飛び込んでくる情報や映像に頭がまるっと持っていかれてただただ無力感に苛まれる。
この無力感に一体何の価値があるのだろう。
冷静になって考えればほとんど無意味だ。
今自分にできる事はせいぜい不用意に情報に踊らされない事、粛々と生活を続ける事、被災地への募金活動、恐らくこれらが関の山だ。
変に気落ちして自分にできる事を手放す事の方が余程無責任な事だとようやく頭で考える余裕ができた。

とは言え被災者の方々が不安な夜を過ごしている事も確かだろう。
ただでさえ正月のこの時期だ。
まさかこんな形で新年を迎えるとは想像もしていなかった人がほとんどだろうし気落ちしている人が多い事は想像に難くない。
避難所で過ごす人も多いだろう。
経験則で分かるが寒いのは身体だけでなく心にも負担が大きい。
どうか少しでも心の休まる時間がある様にと今日は祈るしかない。

こんな風につらつらと文章を書いたのは自分の為でしかない。
芯の弱いメンタルで生きているので考えを整理しないと自分が今どうすべきなのか見失ってしまいそうになるのだ。
見ようによってはお気持ちの表明と取られても仕方がない。
それでもこそこそと備忘録をここに残しておく。

ほとんど誰も読むことのない文章だと分かっているが最後に一つ付け足しておく。
以下のリンクから募金ができる様になっている。
私の様に何をしてよいか分からない、だけども何とかしたいと悩む人がいるとしたら選択肢の一つとして募金という手段がある事を知って欲しい。
先立つものは金という言葉の通りだ。
遅かれ早かれ復興には金が要る。
別に世のため人のためと考える必要はないと思う。
ただ、あの時何もできなかったと後悔しそうな人がいるのだとしたら、募金をする事で将来の自分に担保してやるのだ。
少なくとも募金はしたなと。
自分のためにするで全然構わない、結果それが人のためになっているのだから。

それでは粛々と生活を続ける。

今日はここまで。

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