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閑話休題(4)――私の師匠

先日、私の中国語/中国の師匠の一人でもある愛大の加々美光行教授がお亡くなりになりました。

ご冥福をお祈りすると同時に最近は、私のこれまでの中国語/中国の師匠について思いをはせるようになりました。

◇◇

私自身中国語/中国の「師匠」と呼べる先生はこれまでで数えるほどしかいません。その多くの方は既に鬼籍に入っていらっしゃるのですが、やはり私に最大の影響を与えた先生は、高校の漢語の先生でしょう。


その先生は私に中国語との出会いを下さった方です。閑話休題(2)でもお話をしましたが、一番最初の授業で壇上でいきなり中国語で私たち生徒に話しかけて唖然とさせた、あの先生です(仮名としてF先生とします)。私は衝撃を受けたのと同時に、その日に友人Aと共にF先生の元に行き、中国語の門をたたくことになりました。

F先生はこれまでの先生とは一風変わっていました。いわゆる「威厳のある」「厳しく」「生徒をしかる」ような先生ではなく、生徒とは気軽に接する「近づきやすい」先生でした。

その証拠に当時中二病で、洋楽にはまっている私を見たF先生は、「これ聞いてみなよ」とBruce SpringsteenのThe "Live" 1975-1985U2WAR(闘)Bob MarleyNatty Dreadといった洋楽のアーティストのCDやカセットを貸してくれました。私は自分はリベラル志向だと思っていますが、多分先生のこれらの音楽に強く影響を受けたからかもしれません。

中国語については、以前の記事でも紹介しましたが、一緒に始めた友人とともに先生のご指導の下、「bo」「po」などピンインの発音を徹底的に頭に叩き込みました。

その一方で、高校2年生や3年生になるとピンインの学習だけでは物足りなくなってきます。そんな私たちのために、F先生は別メニューを用意する時もありました。とはいっても今と違ってその当時読める記事や文章などは非常に限られていました。そのなかからF先生は「国际歌」「我爱北京天安门」などの歌や「毛沢東選集(!)」などの教材を用意してくださいました。この他にも当時名古屋の今池にあった「崑崙書房」に連れて行ってくれて、当時まだ珍しかった中国語の書籍を紹介してくれたりしました。

今から思えば、「かなりイデオロギー色の強い教材だな」と思ってしまうのですが、当時は中国の共産主義とはなんて何にも考えなかった私はすんなり受け入れていたように思います。

とはいっても、私自身は共産主義に傾倒したというわけでもなく、「三国志」や「項羽と劉邦」を読みあさったりして中国の歴史好きの高校生として、普通の高校時代を過ごしました。

ほどなくして私たちは高校を卒業。私はF先生に感謝しつつ、中国語を続ける決心をしました。その後の私の経歴は閑話休題(2)にある通りです。卒業後はF先生との直接の交流はなくなりましたが、お正月に年賀状を時々いただいていました。

◇◇◇

そして2000年代に入ったある日、高校時代の中国語仲間の友人A、高校時代の別の友人Bと飲みに行く機会がありました。その席上、友人Aの口から、F先生が亡くなったことを知らされました。

友人Bは大学卒業後、教員免許を取って市の教員になっていました。

その友人Bから、F先生が実は日教組のメンバーだったことを聞かされました。友人Bは教員になった数年後、F先生と同じ高校(私たちが卒業した高校とは別の高校)に異動しました。当時F先生はその学校で教頭を務めており、友人Bとは上司と部下の関係になりました。

本来学校の指導者に教員待遇の改善を要求しなければならない日教組のメンバーなのにもかかわらず、教頭という指導職の立場であったF先生。加えて教え子である友人Bとは教員の待遇面を巡ってその学校で度々衝突し、常に葛藤していたそうです。そのことがF先生の寿命を短くしてしまったかも、と友人Bは後悔の念を口にしました。

◇◇

当時既に東京に生活の拠点を置いていた私にとっては、F先生の死は衝撃的であった一方、お悔やみに行けなかったことにとても後悔しています。

どんないきさつがあるにせよ、F先生は私に中国との出会いを下さった師匠であることには変わりはありません。

先生という職業の尊さと理不尽さを思いながら、F先生のご冥福を今一度お祈りしたいと思います。


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