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翻訳・通訳で原文にない言葉を付け加えるのは善か悪か

先日Xをつらつらと見ていたら、次のようなポストが目に入りました。

ポスト主の尾形さんは、先日開催された大谷翔平選手の釈明会見で通訳を務めたウイル・アイアトン氏が、大谷選手が発した「僕自身は何かに賭けたりしたことがない」という言葉を、「野球だったり、何かに賭けたことはない」と英訳し、「野球だったり」という大谷選手本人が発していない言葉を付け加えていたことを問題視しています。

これに対して、後になって「いや問題ない」というコミュニティノートがつきました。このあとのポストで尾形さんはコミュニティノートに対して、「それは違う。取り下げてくれ」と再度ポストし、これがちょっとした論争になりました。

このやりとりは私たち翻訳者、通訳者にとって非常に示唆に富んだものであると私は考えています。

大リーグでは賭博について、野球以外のスポーツ賭博ならばOKであるが、野球ならば厳しい処分を下すという規定があります。

ウイル・アイアトン氏の通訳で「野球」という言葉が付け加えられたことにより、通訳の英訳を聞いた人は、大谷選手が「野球」という言葉を強調して「かけ事をしていない」と話したのでは、という印象を持つ可能性があります。それは明らかに印象操作であり、その点で、ポストした尾形さんは「問題があった」と主張したのでしょう。これに私も100%同意します。

翻訳・通訳の側からするならば、通訳が恣意的な解釈で、訳出の際に本人が言っていない言葉を付け加えるのは「完全に悪手」です。

一方でこれを中日・日中の翻訳・通訳に置き換えてみたらどうでしょうか。

私が今携わっているニュース翻訳というのは、他のジャンルの翻訳・通訳以上に「ありのままに」がシビアに要求される世界です。

でも正直言うならば、中日・日中の翻訳・通訳においてスピーカーが言ったこと「のみ」を訳して相手に完全に理解してもらうのは、かなりきついといわざるを得ません。なぜか。中国語は日本語以上に「察してくれ」言語だからです。この「察してくれ」は中国語ネイティブには通用するかもしれませんが、日本語ネイティブに通用することはほとんどないのです。

例えば複文において、「主語の省略」「主語のすりかわり」といった現象が日常茶飯事に起こり得ます。

この点については私も以前のnoteで紹介しています。

これらの記事でも説明しましたが、中国語の文章において、主語が明示されていないことはかなり頻繁にあり、その大半はそのまま訳せば違和感しか残らない日本語文になってしまうのです。

ただこれは裏を返すならば、そのまま日本語訳した時に日本語として相手に伝わらない、伝わりにくい中国語の原文個所。この個所は主語が変わっていると判断できると言えます。私は実際に、これを「主語を付け加える」「文を加工する」判断基準の1つにしています。

ではこの「日本語に訳した時に違和感を感じる部分」は具体的にどこなのか。

日本語においては人や国、団体などは、他動詞の主語になることができます。しかし物、現象などが他動詞の主語になることはありません。

先のnoteの記事「中国語文はSVOとは限らない」でご紹介した例文で説明しましょう。

「因为众所周知的原因,这项决议草案在一些重要方面做了不少调整」

この文を日本語訳した場合に、「決議草案は調整を行った」とはならないわけです。なぜか。「決議草案」は人や国、団体ではないため、日本語においては主語にしてしまうと、日本語文を読んだ多くの人は違和感を覚えてしまうと予測されます。このため翻訳者は文を加工するなど一工夫する必要があるのです。

このように、中日の翻訳者、通訳者は中国語の原文を日本語の原文に翻訳した際の違和感を、他言語の翻訳者さん以上に敏感に察知しなければならないのです。

そしてやむを得ず(あくまでやむを得ず・・です)主語を付け加えたり、文を加工しなければならないない場合は、全ては「翻訳者の責任で」判断し、付け加えるしかありません。このため、われわれ中日翻訳者は常に緊張感を持って翻訳をする必要があります。

もちろん、付け加えたり、加工したりする作業は必要最低限で行う必要があり、もし「なぜこういう処理を行った」と他人から聞かれたときに、誰が聞いても納得できる説明を用意しなければなりません。

以上、例として主語の変化の問題を出しましたが、台湾や大陸メディアの記事ではこのほかにも、「言葉を付け加えるべきかどうか・・」と悩む場面に数多く遭遇します。そのたびに、自分も頭を悩ませているわけですが・・・やっぱり付け加えるにしても必要最低限ですよね。

◇◇

さて、最初に戻って考えてみましょう。もし大谷選手の会見にあなたが日中の通訳として同席して、中国語の通訳を任せられたとしたら。

「僕自身は何かに賭けたりしたことがない」というコメントに、「野球とか」という言葉を付け加えますか?

私なら多分やらないですね。「我本人从来没有打过任何形式的赌博」と訳すでしょうね。なぜならこれで1つの中国語文として成立しているし、十分中国語ネイティブに伝わるからです。「包括棒球」とか付け加えたら、たぶん大問題になるでしょう。

繰り返しになりますが、付け加えるなら必要最低限。これを肝に銘じておきましょう。

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