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創作には、あきらめも必要

ある日、前職の上司がおもむろに私を呼び寄せて言いました。

「SDカード1枚、追加で買っといてくれる?」

「え、新しいものなら戸棚に予備が……」

「それが、ボクさ、この前あのSDカード……、

食べちゃったんだよね」

「食べ……っ?!」


「だから、新しいの頼んどいて」

動揺して、「食べたのは普通のSDカードですか、マイクロSDですか?!」って聞きそうになりました。

……マイクロSDでした。


(食べた。食べたってなんなん?!)

最高にモヤモヤしましたが、考えても謎は解けそうになかったので、さっさと思考停止して、SDカードをネットで買いました……。


人生は青天の霹靂、予期せぬことの連続です。

創作も同じ。

たくさん作品を投稿していると、「絶対イケる!!」と思った作品が全然読まれないってことがありませんか?

なんで???

思わず立ち尽くしたりするわけですが、こればっかりは忍者に弟子入りして分身の術でも覚えない限り難しい。自分の作品ほど、客観視できないものはないんですから……。

宣伝の方法とか、媒体とか、作風とか、細かい文体とか、突き詰めればいろいろ理由はあると思いますが、原因究明するのは難しい。

仕事だったら編集さんがいて、フィードバックをいただいて修正したりします。つまり、記事を公開する前に少なくとも自分を含め2人の目には触れます。

ところが、趣味の創作は、執筆・編集・宣伝をぜーんぶ1人でやらなきゃいけない。投稿ボタン押すのも自分なら、推敲も自分。投稿媒体も一つじゃないし、宣伝もTwitterで呟いとけばOKってもんでもない。

おぉ、自分で書いてて鬱になるくらいのめんどくささ……。

マーケティングの世界だったら、評判が良かった・悪かったを細かく分析して次に活かさなければならないと思うのですが、我々は創作者であってマーケターではないので、そこに時間をかけまくるのもなんか違いますよね。

過去に評判が良かった作品があったとしても、だからといってそれに似た作品を作るというのもどうなの、という感じじゃないですか。

ウケたからって書きたくもない恋愛ものを書いたりなんかして、それこそ「趣味なのに、なにやってんねん自分」「誰のために書いてんねん」ってなりますし。

じゃあどうするんだって話なのですが、

私は最近、「そっかぁ」とあきらめることにしています。

そっかぁ。ダメだったかぁ。
私は好きなんだけどなぁ。
でも、しかたないね。

そっと手を合わせて、次の作品に取り掛かる……。

昔はいちいち、「なんでや!!」と悩んでいたのですが、ちょっと考えてもわからないものは永遠にわからないと思うので、時間の無駄だと判断しました。

一瞬ショックを受けることもありますが、それでも創作意欲が残っているうちは、ちょっと休憩して次を書き始めれば、自然と切り替えができることに気づきました。

そもそも、ド素人が執筆から宣伝までを1人でやっているにもかかわらず、読者さんが1人でもいること自体が奇跡なんですよね。

過度の期待をしすぎず、ほどほどに楽しくやるのが大事。

なので、なんかモヤッとした時は、マイクロSDをAmazonで買った時のあのあきらめの境地を思い出して、「しゃあないな〜」と思うことにしています。



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