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出産後、働き方を変えたら、「成長したい」の意味が変わった

「オレ、今日何も成長してない」

「新しいこと何もなかったー」

夕方、夕飯の支度をしていると、9歳息子がそんなふうに呟いた。

現在、42歳のワタクシ。最近、同じように感じていたので、心底ハッとしてしまった。

「えー、お母さんも、最近そんなふうに感じてるよ。で、一体どうした?」

と聞くと、「マインクラフト」(※以下マイクラ)というゲームをやっていて、急にそんなふうに感じたらしい。息子は現在、夕方に私が仕事を終えたPCで、マイクラに取り組むのにはまっている。毎日、何かしら新しい技で敵を倒したり、建造物を作ったり、新しい挑戦をしているようだ。いつもは、その成果を生き生きと語ってくれるのだけど、その日は、めずらしく語るべきことがなかったようだ。

ソファに無気力に寝転がっている。

「9歳でもそんなふうに思うのね…、でも、向上心があって偉いじゃないか」と、感心した。

で、ふと最近、私も「成長してないな」と感じて悶々としていたけれど、もしかしたらそれは喜ばしいことなのかも?という気がした。

なぜなら、上の息子を出産して復帰して働いた数年は、日々の生活を回すことで精一杯だったからだ。ラクになりたいと思えど、「成長したい」なんて、全く思うことができなかったのだ。

それに、出産後に数年たち、会社員から個人事業主へと働き方を変える中で、「成長したい」というその言葉の意味もかなり変わった。

昇進や他者からの評価を追い求めることや、人と比べることをやめて、純粋に自分の中に起こる変化として「成長」を捉えるようになったのだ。それが、私がここ数年で身につけることのできた良い変化な気がしている。

そういう意味での「成長したい」なら、今は苦しくてもウェルカムなのかも。ここ数年で変わった「成長」の意味の変化が自分にとって大事な気がして、そんな変化について書いてみたいなと思う。

出産後の職場復帰、省力モードに切り替えてみたら…?

新卒で入社した会社で9年目になった年に出産し、息子が1歳3ヶ月のときに職場復帰した。子どもは2週間に一回は熱を出して中耳炎になったり、お腹を壊したりした。私もそのたびに、早引きして病院に連れて行った。日中に終わらない仕事を、夜中にやることもあった。休みの日も仕事のことが気になって、ゆっくり休めない日が続いた。

そんな日々を続けていたら、私も体調がガタガタになってしまった。職場の上司の期待はうれしかったけど、産後も期待に応え続けるのは心底難しいと悟った。

私は期待されないほうが、自分や子どもの健康のためにもいい、何より心身の健康が一番だなと思うようになった。できるだけ会社の中で、自分のペースを保って穏やかに働くにはどうしたらいいか考えるようになった。そして、そんなペースを少しずつ掴んでいった。

その後、2人目の出産をして、相変わらず、子どもたちが崩す体調には気を配りつつ、病児保育の体制もすっかり整えて安定的に働けるようにもなった。数年の間に、組織も変わり、自分も変わって、以前よりは心身健康で働けるようにはなったけれど、仕事と子どもの用事で、毎日がめまぐるしく終わっていく日々は相変わらず続いていた。

上の子は小1になり、さらに日々のタスクは増えて、もう少し息子たちに気持ちを寄せる時間も欲しかった。ゆっくりと自分のための時間をとることや、新しく自分をアップデートする時間も欲しくなった。

それに、会社で毎年のように掲げられる目標が、利益を伸ばし続けることというのにも違和感を感じていた。なぜ、そんなに毎年、成長し続けなければいけないんだろう?という素朴な疑問も抱いた。それは資本主義の原理ではあるけれど、なぜもう充分なところで満足できないのだろう。正確に言えば、毎日の生活はとっくに充足しているし、会社が目指す目標に、自分の行動を合わせて、生活をなんとかやりくりするのが辛くなったような感覚だった。会社で言うところの「成長」に違和感を感じたのだ。

ここで再び、私の中に立ち現れたのは、「この生活は、私の理想とは違う」だった。長く同じ会社にいすぎたために、少し仕事に飽きたかもというような気持ちもあった。もう少し自由になる自分のための時間を増やして、自分の心理的な負担を減らしたいと思うようになった。

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「働き方」を変えて、変わった「成長」の意味

そして、上の子の職場復帰そして下の子の出産を経て、6年ほど経った春に退職。ずいぶんと迷いながらも、フリーランスの編集者兼ライターとして独立することにした。

安定志向で石橋を渡るような性格の私にとっては大きな決断だった。でも、現状の生活に満足できず、何か変化を起こしたいという気持ちでいっぱいだったのだと思う。

そして、ここで大きく変化したのは、振り返ってみると「成長」の意味だったと思う。

会社では事業の成長のための数字があり、それは、なぜだか不思議と毎年増え続ける必要があった(それは株主のためだとも頭では理解できるけど、どうしても腹落ちがしなかった)。そして、その目標に自分がどれくらい貢献できるかで、自分の成長が測られていたように思う。会社にいた頃は、そんな他者からの評価が当たり前だったけれど、それがどんどん私の中で形骸化してしまっていたように思う。

フリーランスになって、一番嬉しかったのは、自分で自分の「成長」を決められることだった。

今までしたことのない種類の記事の編集に携わり、それが沢山の人に読んでもらえた時。今までやったことのなかったインタビューに初めて挑戦した時。取材記事を書くことが、自分の仕事になったとき。取材を通して、今まで出会えなかった沢山の人の話を深く聞くことができたとき。初めての経験が私の世界を広げて、「成長した」と純粋に感じられたのだ。

そして、その仕事が誰かに喜んでもらえるとまた素直に嬉しかった。それは、初めて社会人になって仕事を覚えて、ヨチヨチと歩きながらもなんとか一人前の仕事ができるようになった頃に感じた喜びに、とても似ていたように思う。

純粋に、自分ができる事が増えたときの喜び、自分自身の内面が変化したことの喜び。そういうことを、すっかり、しばらく忘れていたなと思った。自分の中の「成長を感じる」アンテナを取り戻したような気持ちだった。

家で働くようになったことで、息子達との関わりも増えた。宿題を時間をかけて見てあげられるようになり、どこが苦手だとか、ここはもう少し一緒に練習してあげたほうがいいなとわかるようになったのも嬉しかった。(その中で、随分、忍耐も覚えたけど…笑)

成長を、他社からの評価や、人と比べることで測らなければなかったころから比べると、今は、過去の自分と、今の自分の比較で「成長」を純粋に感じられている。そうすることで、すごく気持ちがラクになることも知った。

そして、それは子ども達の成長を見るときにも役立っている。あまり他の子と比べず、今と過去の彼らをしっかりと見られるようになった気がしている。

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「成長したい」と思えるのは、良い兆し?

そして、フリーランスになって3年目、ふっ…と気がつくと。

仕事も慣れてきた反面、出会った仕事に新鮮さを感じて、食らいついていくような挑戦的な要素が少なくなって来た気がしている。

私は、「成長していないんじゃないか。このままでいいのか」再び迷い初めてしまったのだ。(単に飽きっぽいからだけかもしれないけど)

そこへ息子が、「オレ、今日何も成長していない……」なんていうから、思わず相槌を打ってしまった。

また、迷ってジタバタしている。

2年間一人で働いてみて、少人数のチームでいいから、もう少し共通の目標に一緒に向かうような働き方もしてみたいと思うようにもなった。つくづく自分は、ないものねだりだな……と思って呆れたりするけど、また会社員になってみてもいいかもしれないし、どこか大学院のようなところで学び直しをして、個人事業主として、キャリアアップをしてみてもいいかも。さっそくキャリア相談に申し込んでみたりしている。

状況に応じて働き方はどんどん柔軟に変えて行けば良いと思う。

多分、「働き方」よりも私にとって大事なのは、自分が変化している、成長していると感じられる実感なのかもしれない。

これから先、どんな働き方をするとしても、私は、なんとなく「だいじょうぶ」と思っている。

なぜなら、自分の中での「成長」のアンテナをまた取り戻したからだ。

たとえ、今後、会社で勤めることになっても、これまでのように会社の価値観の中にどっぷりつかって、自分の「成長」を見失うこともないように思う。きっと、うまく自分の大切にしたい「成長」と、折り合いをつけて過ごしていけるような気がする。それが、「働き方」を変えて、私に起こった変化だ。


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