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アニメ『ヴィンランド・サガ』を観て


今週末、土曜日曜で、『ヴィンランド・サガ』シーズン1と2を、アマゾンプライムでイッキ見した。
noteで相互フォローさせて頂いている方のオススメだったので、観てみた。

11世紀初頭のバイキングの話だ。とても面白かった。
テンポがややゆっくりかもしれないが、ハイボールを飲みながら観るにはちょうど良かった。
中世が舞台だが、魔法使いもドラゴンも出てこない。シリアスな大人の話だからだ。


工夫


北欧を取り巻く国際関係史の、かなりややこしい説明を必要最小限に抑え、主人公たちの行動に焦点を合わせている点が良かった。凡庸なひとが作ると、国際関係史の説明を〈ちゃんと〉挿入しようとするものだから、やたらとナレーションが長くなる。しかし『ヴィンランド・サガ』はそのような点がまったく無かった。歴史のお勉強ではなくて、なによりもまずエンターテイメントなのだという確認が、スタッフのなかにあったのだろう。

また主人公たちの行動のなかには、戦闘アクションだけではなく、権謀術策が、ちょうど良い配分で両立している点も良かった。アクションだけでは観ている者が疲れてしまうし、権謀術策だけでは作中人物が動かなくなって退屈だ。しかし『ヴィンランド・サガ』は緩急のつけ具合が実に上手だった。

またクヌート1世という、歴史の中心からやや外れたところにいる実在の人物に焦点をあてたのも見事である。想像力を膨らませる余地が多々あるし、固定観念がないから〈期待はずれ〉も起こらない。

歴史の効用と思想


『ヴィンランド・サガ』では、物語が何年に何処であったかにこだわっている。
それがリアリティ(ほんとうらしさ)を生む。
そしてもしかしたらほんとうに昔のひとたちは、相次ぐ戦乱の中で、暴力のない理想の世界をつくろうと頑張っていたのかも、と妄想することができる。
そのとき、そんな昔のひとたちの歩んできた歴史の延長線上に、現在の自分たちもいるのかもしれないと妄想できる。
(もしも歴史に夢があるとしたら、そのような意味においていでしかないだろう。)

実際『ヴィンランド・サガ』では平和な世界の建設に悩みつつ、悪戦苦闘する人々の姿が捉えられているのも魅力である。
クヌート王は軍事力と陰謀を用いて、戦乱の世を平和な世につくりかえようと頑張る。好敵手(ライバル)の奴隷トルフィンは、新大陸を探して、そこにゼロから平和な理想郷を建設しようと頑張る。トルフィンによれば、そこにクヌートの支配から逃げてきた者たちの国をつくるのだそうだ。
つまり前者が「上からの改革」を望むならば、後者は「下からの革命」を望むわけだ。
〈ありがち〉な二項対立だが、観ている者に、自分はクヌート派だろうか、それともトルフィン派だろうかと考えさせるという教育的効果もある。

感涙


いずれにせよこのアニメは僕を感動させた。
最も良かったのは、トルフィンとクヌートの変貌ぶりである。
あどけない幼児トルフィンが、少年殺人鬼に変化して現れたシーンには泣けてきたし、愛らしいクヌートが、頼もしい若さまに成長して現れたシーンにも感動した。
殺人鬼トルフィンが罪の重さを自覚して廃人となって、その後、平和主義者トルフィンに変化したところも良かった。
若さまクヌートが暴力に溺れて、また理想を思い出して立ち直るシーンも良かった。

とどのつまり、僕は「変化」が好きなのだ。
だからその「変化」に参加したいと思うのだろう。
だからいつも歴史と革命と教育にアンガジェしたがるのだ。

このアニメは久しぶりに僕自身がどのようなものなのかを、僕自身に思い出させてくれた。
感謝である。

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