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フレンチ・ポップスのレジェンド、ルノー・セシャンRenaud Séchanの魅力


とことん反体制

ルノーはつねに左翼的立場からプロテストソングを歌ってきた。
だから21世紀から見ると、「いっけん」古くなってしまった楽曲もある。
例えば「六角形Hexagone」は1975年の発表。
そのなかでルノーが批判した死刑制度は、フランスでは1981年に廃止された。
それゆえ「六角形」はもはやアクチュアルな歌とは言えない。
けれどもジャーナリズムにこだわるルノーの姿に、ある種の普遍性を感じることはできなかろうか。

例えば「ボボLes bobos」は2006年の発表だ。
「意識高い系」の新興ブルジョワをカリカチュア化した歌である。
メディアや情報産業で働き、四輪駆動は持っているけれど、自転車を使って移動して、有機農業のマルシェに出かけ、古風なビストロの常連で、服はDieselやKenzoで調達して、家のリビングにはIkeaのカタログが置いてあったりする、そういうブルジョワを風刺している。
つまり時代の流れにつれて、体制の表象は変化する。
するとそれにあわせて、ルノーも批判の矛先を変えていくのだ。
けれどもいつも「反体制」であることにかわりはない。

父性愛

そんなルノーだが、おそらくフランス人がいちばん好きな彼の楽曲は、1985年発表の「ミストラル・ガニャンMistral gagnant」だろう。
政治色は無い。
30歳前後の若いパパが、娘にむかって、自分の子供の頃を物語る歌だ。
自分が好きだった駄菓子ミストラル・ガニャンについて話しながら、でももう売っていないんだよねと、寂しそうに物悲しく歌う。
「人生を愛さなくてはいけないんだ。たとえ時間が殺し屋で、子どもたちの笑い声とミストラル・ガニャンを奪い去ったとしても」というフレーズは、フランス人の人生観にマッチするのだろう。
 
ちなみにルノーとまったく音楽的方向性は違うクロード・フランソワClaude Françoisが1974年に発表した「涙の電話Le téléphone pleure」も、フランスでは大ヒットした。
あれは離婚した若いお父さんが、自分の幼い娘と電話をする歌だった。
「電話が泣いている。だめ。電話を切らないで。声で、君のすごく近くにいるから」というリフレイン、とても良かった。

「疲れたFatigué」

さて今回、紹介したいのはルノーの1985年の作品「疲れたFatigué」。
彼はときに意地悪に、ときにアイロニカルになる。でも優しい。そして自然を愛している。そんな彼の側面がよく表れているのがこの楽曲だ。

1番と4番だけ訳してみよう。
 
Jamais une statue ne sera assez grande
Pour dépasser la cime du moindre peuplier

(全身像は、最も低いポプラの木のてっぺんを超えてはならないのだ)
Et les arbres ont le cœur infiniment plus tendre
Que celui des hommes qui les ont plantés

(そして木々はそれらを植えた人間の心よりも、ずっと優しい心を持つのだ)
Pour toucher la sagesse qui ne viendra jamais

(決して訪れない賢さに触れるためだ)
Je changerai la sève du premier olivier

Contre mon sang impur d'être civilizé
(私は若いオリーブの樹液を、文明化された私の不純な血と替えるのだ)
Responsable anonyme de tout le sang versé

(流された血には匿名の責任があるから)
Fatigué, fatigué
(疲れた、疲れた)
Fatigué du mensonge et de la vérité

(嘘にそして真実に疲れた)
Que je croyais si belle, que je voulais aimer

(真実を、私はとても美しいと思っていた、愛したかった)
Et qui est si cruelle que je m'y suis brûlé

(けれども真実はあまりにも残酷で、私はひどいめにあった)
Fatigué, fatigué

(疲れた、疲れた)

Je voudrais être un arbre, boire à l'eau des orages
(私は木になりたい、雷雨の水に乾杯したい)
Pour nourrir la terre, être ami des oiseaux

(大地を養い、小鳥たちの友であるよう)
Et puis avoir la tête si haut dans les nuages

(それから雲のなか、とても高く頭を伸ばしたい)
Pour qu'aucun homme ne puisse y planter un drapeau

(だれも旗をたてられないよう)
Je voudrais être un arbre et plonger mes racines

(私は木になりたい、そして根を伸ばしたい)
Au cœur de cette terre que j'aime tellement

(私がかくも愛する大地の奥まで)
Et que ces putains d'hommes chaque jour assassinent

(下劣な人間たちが毎日踏みにじる、この大地)
Je voudrais le silence enfin et puis le vent

(さいごに私は沈黙が、それから風が欲しいね)
Fatigué, fatigué
(疲れた、疲れた)
Fatigué de haïr et fatigué d'aimer

(憎むことに疲れた、愛することに疲れた)
Surtout ne plus rien dire, ne plus jamais crier

(なによりも、もう何も言わないことに疲れた、もう叫ばないことに疲れた)
Fatigué des discours, des paroles sacrées

(演説に、神の言葉に疲れた)
Fatigué, fatigué
(疲れた、疲れた)
Fatigué de sourire, fatigué de pleurer

(微笑むことに疲れた、泣くことに疲れた)
Fatigué de chercher quelques traces d'amour
Dans l'océan de boue où sombre la pensée

(思想が消え失せる汚辱の大海に、幾つかの愛の跡を探すことに疲れたのだ)

※巨大な全身像に対する批判は、人間を神格化する政治に対する批判ではなかろうか。

※※ルノーは「文明化された私の不純な血mon sang impur d'être civilizé」と歌う。「文明化」はフランス第三共和政の国是である。「不純な血」は国歌「ラ・マルセイエーズ」に出てくる言葉で、専制主義者の血をそう呼んでいる。
深読みずれば、「たしかに自分=フランス人は文明化されているかもしれませんが、そんな自分だって例えば植民地では専制主義者として振舞ってきたのです」と自己申告しているのかもしれない。

※※※「神の言葉に疲れた」とあるのは、左翼の立場からのキリスト教会(=保守の牙城)批判だろう。

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