桃源の誓い

※このnoteは北方謙三氏著角川春樹事務所発刊の文庫版「三国志」を元にあくまで個人的にストーリーや登場する人物や経営的な観点から三国志の世界観に置き換えた推察を綴っています。

北方三国志はいずれ蜀漢の初代皇帝となる若き日の劉備玄徳が雇われて馬群を送り届けるエピソードから始まります。
その雇われたメンバーの中の諍いから劉備を助け馬群を襲う賊に獅子奮迅の活躍をする同じく若き日の関羽と張飛との出会いを描いています。

壮大な三国志の物語の中でも最も有名なエピソードのひとつ「桃源の誓い」。
桃園の宴会の席で義兄弟の契りを結び生死を共にする宣言を行う、史実に基づいた逸話と言われています。北方三国志では桃園の中ではなく、劉備の家での会話から三人の志がひとつに結ばれて当時国を揺るがす問題となっている黄巾賊討伐の義勇兵に参加することとなります。

苦難の道のりを歩みながら三国志の中心人物となる三人ですが、なぜ関羽と張飛は劉備を選ぶのか。田舎の村で質素に筵を織って生計を立てている劉備に、当時から向かうところ敵なしの荒武者のような生き方をしていた関羽と張飛が惹かれていくのか。
この奇妙な縁の心理描写が北方三国志の根底であると思います。

あくまで謙虚で、心に秘めた「志」という言葉と想いで、野心や野望や大望を超越する劉備の姿に最初に惹かれたのは関羽と思われます。恵まれた体力がありながら張飛よりも知見を持つ関羽が劉備のより深い洞察力に興味を持ち、関羽を慕う張飛が自分たちの将来により意味を持つ道筋を作ってくれるのは関羽だけではなく劉備が必要だと本能的に悟ったのでしょう。

関羽が劉備との義兄弟という名の師弟関係を迫らなければ、このタイミングで劉備が黄巾賊の討伐に参加することもなく、後の諸葛亮孔明が世に出ることもなく、曹操との生涯の関係も生まれることもなく、むしろこの時の3人にそんな将来を知るよしもありません。

馬群を信都まで運ぶ途中に参加している男たちから馬をそれぞれ奪って分け合おうと惑わされた時に劉備は「届ければ礼金がもらえ信用も得る」と一蹴し、それが「信義」と貫きます。
その「信義」こそが劉備がいずれ「徳の将軍」と呼ばれる所以であり、物語の冒頭から深く描かれています。
その「信義」に劉備たちは乱世に遠回りをして多くの困難に立ち向かうことになるわけですが...

(一の巻 天狼の星より)

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