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お姫さまじゃなくても

物心ついてからずっと不思議に思っていたけど、いつもいつもお姫さまが王子さまの訪れを待たなくてはならないのはなぜだろう。

もし王子さまが来なかったら、お姫さまは待ち損じゃないのか。

いつ現れるかも分からないような知らない相手を待ち続けるだなんて、ある意味とても無謀なことなのに、なぜいつだって、お姫さまは甘んじてそれを受け入れるのだろうか。それがお姫さまがお姫さまたる所以なのだろうか。

ならば私はお姫さまになんてなれっこない。

私には恋人がいて、毎晩おやすみの電話をする。遠距離恋愛を続けてきた私たちにとって、それは顔を合わせて話をすることと同じくらいの重さを持っているから、決しておろそかにすることはない。

最近、夜の電話をしている流れで彼とほんのすこし将来のことを話した。
将来の話はときどきするけど、今回のはいつもみたいにふんわりとしたものではなく、すこし差し迫ったものだった。

簡単に言ってしまえば、もしかすると私と彼の遠距離恋愛の期間が延びるかもしれないということ。

私の恋人は東京の大学で医療関係の勉強をしている。高校2年生のときに彼と知り合ってから5年くらい経つけど、どうやらもう遠距離恋愛が始まってからの期間の方が長いらしく、その事実は私をしょっちゅう驚かせる。

前にもnoteで書いたことがあると思うけれども、私は彼に「東京の大学へ行くかもしれない」と言われたとき、何も言えなかった。あんまり驚いたせいで、どんな顔で何を言ったらいいのか分からなかったのだ。

だから平気な顔をして「へぇ」(「ふぅん」だったかな)と言った。それ以外に何ができただろう。

漫画みたいにすがりついて「行かないで」なんて言葉を投げかけたところで、それが的外れなことは高校生の私にさえ分かり切っていた。そんなことで彼の将来の可能性を奪うようなことは私はしたくなかった。

たとえ距離が離れたことが原因でいずれ別れることになったとしても、彼の人生は私のものではなく、あくまで彼のものなのだ。

私はそこをはき違えたくなかった。その後はなればなれでいることがどんなさびしさを私にもたらしたとしても、彼の人生は彼のものなのだから。もちろん私の人生だって彼のものではない。

それに、恋人に「(さびしいから)行かないで…」と言われただけですんなり東京へ行くのをやめてしまうような男の子の一体どこが魅力的だろう。そんな意志薄弱な男の子ではとてもだめだと、心のどこかでそんなふうに感じていたのも事実だ。

自分で決めたならば、たとえ泣いてすがろうが私を置いていくべきなのだ。

だから高校生だった私はなんとか彼の意思を尊重しようと努力したし、私たちふたりは大学4年間を離れた場所で、互いを思いあって過ごすことを決めた。

そうして私たちはようやくいま大学4回生の夏まできた。正直に言うと私は4回生になってから「あと1年だ…」と思ってようやく肩の力が抜け始め、さびしくて泣いて過ごす夜が減ってきたところだけれども、現実はそうとんとん拍子にはいかないのだなあ。

彼がいま住んでいる東京で就職する可能性が出てきている。

その方がスムーズなキャリアを積めると、実習先のひとや学校の先生など、周囲の大人たちに言われているのだという。私たちの地元は田舎で病院の数も少なく、就職口を見つけるのが大変だけど、東京で就職して数年間働き、そのあとでこちらに戻ってきたらすんなりとうまくいくのだという。

私はこの数年間、彼にこう言い続けてきた。

「私はたぶん東京には馴染めないし、今のところ住みたいとも思わない。私はあなたと生きていきたいけど、一方では自分が生まれた土地で死にたいから、大学生活が終わったら地元に帰ってきてほしい」

彼は進学するときからいずれ地元に帰ってくる気ではいたようだけど、私のこの言葉はおそらく彼にぎゅうっと巻き付いて、離れないのだと思う。おまじないのように。呪いのように。

だからこそ私が電話越しに「さびしい」と言って泣くたび、彼は私をすぐに抱きしめられないことをふがいなく思ってきただろうし、何もできないから何度もくりかえし「ごめんね」という言葉を口にしてきたのだと思う。

そして私が胸のどこかで「置いて行かれた側」であると感じているように、恋人の中にも自分があくまで「置いて行った側」だという意識があって、それをすこし後ろめたいことだと感じているはずなのだ。

だからこそ言いにくかったのだと思う。もう数年間東京で過ごすとなると私のぎりぎりの夜がぎりぎりでは済まなくなると彼は心配しているのだ。

たしかに、もし今後数年間まだこの日々が継続するのなら、私は「いやだ!だってさびしいよ!早く私のところへ帰ってきてよ!」と大きな声で叫びたい。

でもあなたの将来の選択肢を奪う権利は私にはない。そんなつもりもない。だから「あなたが後悔しない方を選んだらいいと思う。もしあなたが東京に残ることを決めても、ここまでこれたなら大丈夫だよ。きっと何とかなる」と言った。

高校生の私にも言えたのだから、大学生の私に言えないことはない。

「そう言ってもらってすこし楽になった」と、恋人は電話の向こうで安心した声を出した。どんな顔をしているのかは分からなかったけど、その方がいいような気がしたから、夏ぶとんにくるまって彼の声を聞いた。

私はそのあとで、

「でもね、今のところは大丈夫だけど、もしあなたが東京で就職したら、その追加された数年の間でお互いの前にとびきり素敵な異性が現れる可能性もあるでしょ。私は最近大学があまりに楽しいから、なんとかごまかせているけど、本当に本当にさびしいときに魅力的な誰かにアプローチをかけられたら危うくなってしまいそうで、それがすこし自分でこわいんだよ」

と伝えた。

こんなことをハッキリ言ってしまう彼女もなかなかいないのではないかと自分で思ったけれども、口から転がり出てしまったのだから仕方がない。

それにこういうことをハッキリ言っているうちは、私をひとりで地元に置いておいても何の問題もないと、彼は分かっているのだ。彼は「そんなにさみしいって言うくせにずっと俺を好きだなんて、あなたはへんな子だね」とつぶやいた。

私が彼を好きで好きでたまらないことはとっくにばれているんだな。私には駆け引きなんてできっこないから。彼もそうだろうけど。

恋人に簡単に会えなくて、触れられなくて、そのせいで死にそうなほどさびしくて、でも恋人を愛しているからこそそんな夜を泣きながらひとりぼっちで越えなくてはならない。

私から言わせれば遠距離恋愛とは相手が浮気をするかもしれないとかいうのではなく、純粋に会えないことが何よりもつらいのだが、でも私は、彼と離れている間はずっとそこにあり続けたい。

そのつらさにとどまっているうちは、私が彼を心から好きだということの裏付けになる。しかしそこを1度でも超えてしまったら、もうきっと2度と元には戻れないのだから。

彼は私の言葉を聞いて「俺はね、もし本当にあなたが無理だと思うならすぐ地元に帰ってくるよ。だって大事なひととの関係性を犠牲にしてまで仕事を優先させようと俺は思わないから」と言ってくれた。

私は彼に甘やかされて、とびきり素敵な言葉をたくさんもらってきているけど、この言葉はきゅんとなった。単に好きとか、愛してるとか言われるよりしっくり胸に落ちてきたからだと思う。乾いた地面に雨がしみていくように。恋人と歩いていて上を向いたら彼の口づけが落ちてくるように。

そして彼が私と同じように惜しみなく言葉を使うひとで、決して嘘を言わないからだと思う。

そんなこんなで私は夏を感じながら、彼が東京に残る場合を想像して、心の準備をし始めているところなのだ。お姫さまが王子さまの到着を待つように、彼の帰りを待ち続ける覚悟を決めている。童話に出てくるお姫さまたちの苦労をここで讃えたい。彼女たちはすばらしい。

(私なんて、どうせ待たなくてはならないなら、眠り姫みたいにいっそのことずっと眠って待てたらいいのになどと能天気に考えている)

やわらかい桜の花を、初夏のぴかぴかの若葉を、雨に濡れた紫陽花を、青空に映える向日葵を、甘い香りをまきちらす金木犀を、真っ赤に染まった紅葉を、雪をかぶった冬の木々を、私たちはまだ簡単には得られないかもしれない。

この夏だって、彼のやすみは8月の頭から中盤までの10日だけだから、私と彼はその間しか夏を共有できないのだ。正直に言って、そんなのかなしいではないか。でも仕方がない。私たちはこうやって適度にあきらめたり、学校のカリキュラムに文句を言ったりしながら、この季節をこうして3度も乗り越えてきたのだ。

きちんと、ひとつずつ、ふたりで越えてきたのだ。

私はそれを誇りに思っている。あなたとだからここまで来られたのだと本気で思ってるよ。

だからあんまり悲観的にならないで彼との未来を描いていたい。いつかではなくて近い未来に必ず叶うように、強く鮮やかに思い描いて、そこへ向かってまっすぐ歩んでいくのだ。

私はお姫さまではないけど、お姫さまではないからこそ、単に王子さまの到来を待つだけでなくて、自分から会いに行くことだってできる。

笑っちゃうかもしれないけど、こういうときほど自分が典型的なお姫さまじゃなかったことを幸運に思う日はないのだ。


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