見出し画像

記念日

私と恋人には記念日というものがない。
ないというか、そもそも記念日がいつなのかよくわからない。

私と恋人は高校2年生の9月に付き合って、その1か月後に1度別れたのだ。

私たちは高校2年の夏ごろから、生徒会役員として顔を合わせるようになり仲良くなった。夏の終わり、LINEの連絡先を交換してわずか1週間ほどで彼が告白してくれた。

比較的知り合ったばかりの彼に告白されたとき、このひととなら大丈夫かもしれない、安心して隣に立っていられるはずだと思ったのは事実だったし、今まで誰かに真剣に告白されたことがなかった私の心が揺れ動いたのは事実だった。

でも彼と付き合う前、私にはちょっと気になる別の男の子がいた。そのひとも同じ生徒会役員で、しかも恋人と同じクラスの男の子だった。私は恋人と付き合ったあとでその男の子が私を好きだったという話を耳にしてしまい、胸が痛くてどうにもできなくなった。


見ているだけで満足、話せたらラッキーというくらいだった。

このひとが私のことを好きになるわけないと思っていたからこそ「気になる」程度で済んでいたというのがそのときよくわかった。相手も私を好きでいてくれたという事実が判明した瞬間から私の胸は甘く痛み、もう歯止めが効かなくなっていったのだ。



言い訳めいて聞こえても仕方がないけど、私は生まれて初めての恋人と別れてその男の子とどうこうなりたかったわけではなかった。私のことをひたむきに好きでいてくれる男の子の心をわざわざ蹴り飛ばし、別の男の子を追いかけていったその先で幸せになれるはずないからだ。

このまま恋人と関係性を続けることが最も賢いと分かっていた。親友にも妹にもそう言われたし、私もそう思った。しかし別の男の子のことばかり考えながら恋人と付き合ったままでいるのは不純だと思った。

ひとというのは、どうして自分が間違っていると自覚していても恋心を止められないのだろうか。

気になっていた男の子と両片思いだったと知ったとき、私が恋人に対してできるのは噓偽りなく自分の気持ちを正直に打ち明けて別れることだけだった。そのときはそれが恋人に対する最大限の誠意だと思った。

たとえ彼を傷つけることになるとしても嘘をつくことだけはできなかった。その気さえあれば私には、それらしいきれいなことばを並べ立てて彼を欺くことができただろう。それだけの言語能力を私は持っていたからだ。

しかしたとえどんなに最低な女の子だと思われても、このひとにだけは嘘をついてはいけないと思った。へんなところでいい子ぶっていると思われていたとしても。



だから10月に入った放課後、彼を呼び出してありのままを伝えた。

私は別れを告げられた人間がどんな反応を示すかまったく想像がつかなかった。そんな経験は今までなかったからだ。だからもし泣かせても怒らせても、静かに受け止めるより仕方がないと思っていた。

でも私が「別れてほしい」と言ったとき、彼は私の目をまっすぐに見つめて「いやです」とだけ言った。泣きも怒りもせずに。

私は驚いた。

そんな答えがあり得るのかと震えがつき、その直後にこのひとはそんなにも私を好きなのか、と打ちのめされた。彼の方がよっぽどつらいだろうに、なぜだか私が泣きそうだった。

結局そのあと何度か話をして、私たちは恋人関係を解消した。



ただ私は昔から男の子を見る目がないのだ。
私から好きになったひととの恋がうまくいったためしはほとんどなかった。加えて笑えてしまうほどに無茶苦茶な中学校後半の恋が、男の子を信じ切れない要因のひとつになっていた。

そして高校生の私は、気になる男の子がいたら自分から仲良くなろうとするのに、いざ告白するかされるかというところまで来ると逃げ出してしまうような少女になってしまったのだった。自分に自信がないから、相手をまっすぐに見つめる覚悟を決められないのだ。

その後も実に多くの事件があった。
結論だけ言うと、私は気になっていたその男の子と付き合うことはなかった。自分で想いを伝え、傷つけ合ってから自分で振った。私が好きだった彼は、私のことを好きだと言った少年とは違い、誰とでも軽く付き合えるような男の子だった。私の持っている「好き」と、彼が持っている「好き」は本質的になにかが異なっていた。それが分かっただけでも十分だった。

別れてからもずっと私と連絡を取り続けることを選択した今の恋人は、私がその話をするとお腹を抱えて笑っていた。ひときしり笑った後で「俺、やっぱり性格悪いわ」と言い、「でももし付き合っても絶対に長続きしなかったと思うよ。明らかに合わないもん」と率直な気持ちを付け加えた。

私は彼の性格が悪いだなんてちっとも思わなかった。それよりも彼のそのタフさがどこから生まれ出てくるのか、不思議でたまらなかった。馬鹿正直に自分を振った女の子の話を別れた後に聴くだろうか。私は聴かないと思うのだ。

だから私のどこにそんなに魅力があるのかも、なぜ彼が私のためにそこまで心を砕くのかも分からなかった。周りから見れば私は彼をうまく利用しているに見えているだろう。そのつもりがなくても。

そのとき、もし仮に彼が私のことを許して受け入れてくれるとしても、私は1度振った相手と再び付き合うなんてことは絶対にあってはならないと思っていた。うまくいかなかったからと言って甘えて元の恋人のところに戻ってくるなんてありえない。そんなことは私に言わせれば最低な人間のすることだったからだ。

しかし私たちは高校2年生の冬、身体ではなくことばを使って関係性を築いた。
夏よりもっと丁寧に慎重に。

その過程で私は彼のやさしさや強さ、尊敬できるところを数えきれないほど見つけた。私はゆっくり時間をかけて彼を知った。

そして決意した。

私をこんなに思ってくれる男の子はきっともう現れないだろう。最低なやつだと軽蔑されたっていい。彼の友人や、この一連のいざこざを知っているその他のひとびとに言われているであろう悪口にも目を瞑る。それらは事実だからだ。

それでもいい。私は私として一生かけて彼を好きなことを証明すればいいのだ。中途半端に彼の隣に戻ってきたのではないことを、ことばだけではなく態度で示せば、最後には誰も文句など言わないだろう。それくらいの覚悟をもって気持ちをあらわせば、彼に信じてもらえるだろうと。

高校2年生の2月に入ってから、私は彼に思っていることを伝えた。
彼が夏に私に告げたようにはっきりと「付き合ってほしい」と言ったわけではないので、彼も直接「うん、付き合おう」と言ったわけではない。

しかしそれから私たちはようやく恋人として振る舞い、数年経った今でもそれは続いている。



だから私たちにはっきりした記念日はないのだ。

付き合ってどれくらい経ったんだろうね、と私たちは言わない。出会ってからどれくらい経ったんだろうねと言う。毎月Instagramにストーリーを載せたり、贈り物をしたりもしない。1年に1度、同じ日にデートしたりもしない。

そういうことがなくても、私たちの関係は続いている。

気が向いたときにふたりで出かけて、お誕生日やクリスマスには(会えないときはその日が過ぎ去った後で)プレゼントを交換して、でも毎晩の電話だけは決して欠かさない。そのことをお互いにあたりまえだと思っているし、でも特別だとも感じている。

私はときどき自分がしたことを思い出す。

そしてそれでも私の隣にいてくれる彼の恋人の存在と、離れている間の不在を思う。彼は「思い出すなんてことしなくていいのに」とやさしく笑う。「あなたが過去のことを引け目に感じなくなって、そのうち俺に文句を言えるくらい余裕のある女の子になればいいのにね」と。

今では私は彼が東京にいるさびしい夜は泣くし、彼が意識せず無神経なことを言ったらすねて彼を謝らせる。ちょこっとしたことに文句を言うことも増えてきた。

けれどこうしてときどき思い出すと、私のしたことに比べたら、彼のしていることなんてなんてことはないのだ。私の恋人はやさしくて大人びているのに、やんちゃな少年のようなところもあって、笑顔が最高にまぶしくておひさまみたい。

そして他者を許すことのできる本当に格好いい男のひとだと思う。

記念日は私たちには必要ない。そんなものあったってなくたって続くカップルは続くし、別れるカップルは別れるのだ。それを私は知っている。

それにこれからどうなっていっても、私は今、彼を1番に好き。
だからたとえば彼に「幸せにするね」と言われても、「してもらうだけじゃいやだ!ふたりで一緒に幸せになるの!」と言い返すことができる。

記念日とそれに付随する数字はひけらかさない。
ただ今日という日を積み重ねていきたい。

そうやってたどりついた場所で、彼と一緒にいられますように。

彼を笑わせられる私でいられますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?