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思考のトレースと生の脳みその皺

「作家はいい人たちだが、あまり気前はよくない。どんな知識があろおうが、ほとんどの場合、それを他人に教えようとはしないのだ。大方の作家は、そうした知識を本のカバーの中に閉じ込めてしまう。」(『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』中里京子訳 新潮文庫)

今朝、ある方のツイートでこれを見かけました。もちろん本は読んでいないので私が正しく解釈しているかどうかはわからなのですが、文字を追う中では私もこれを思うのです。


私は以前、大学の学部で建築のデザインを学びました。私が建築を学ぼうとした意図(私はそれが2度目の大学で以前は工学部の別学科で建築も工学だと考えていた)とは無関係にそこでは芸術としての建築デザインを学ぶ事になりました。なぜそうなっていたかというと、部長を務めていた先生が建築家(建築士ではない)だったからで、氏が集めてきた先生たちもそれぞれ特徴ある建築家ばかりだったからです。聞けば誰でもよく知っている巨大な建築のデザインに加わっていた先生や時代の先端を行く技術を生かして尖ったデザインをされている先生、米国の大学院を英語もできないのに首席で卒業してきた変わった先生他が全て建築家だったのです。

最初はかなり戸惑いました。なぜかと言いますと、彼らが言っている言葉がそもそも理解できないのです。別にフランス語やスワヒリ語で話しているわけではなく、ちゃんとした日本語なのですが、全く通じないのです。それでも何とかしないと単位が取れませんので仕方なく自分で本を毎日たくさん読んで勉強しました。近くに産業図書に強い公営の図書館がありましたので毎日数冊借りてはマクドナルドに入り、当時1杯100円のコーヒーを買って長居して読んでいました。読んではブログに自分の考えた事を毎日書き付けました。

そうして数か月、やっと建築家達の言葉をなんとなく理解するようになりました。私が最初、彼らの言葉を理解できなかった理由もその過程でよくわかりました。彼らの中ではいつも誰かと対話していて、その言語を使って建築のあらゆる事が定義されていたのです。その「誰か」とは誰かと言いますと、世界中で建築をデザインしている全ての人々です。(実際にデザインしていない人もいますが。)

彼らが何をしているかをとても簡単な言い方で表現すると、思考過程のシェアと批判です。(批判は悪い意味ではなく、評価のような意味も含みます。)

建築家は作品を形として発表します。それは直ちにお金になります。しかし、同時に言葉でもそれを表します。それはどんな風に出来たか、どんな考え方が含まれているか、そして過去や別の建築家の作品への批判を含む事などです。この事は建築を学んだ方にはよくわかると思います。建築は建築家の勝手な発想やアイデアから独善的に生まれて来るのでは無く、必ず対話の中から生まれて来ます。必ずです。

つまり、私の先生達は私をその輪の中に引き入れてくれていたわけです。単にCADができるとか間取りができるとか法規を覚えているとか、そういう事から建築は生まれないのだと教えてくれたのです。


そこで話はいきなり元に戻りますが、何らかの作品を作るには思考過程と対話や会話が必要だと考えるのです。

通常、多くの方は思考過程を隠してしまい、完成品を見せようとします。もちろん完成品の中にそれが透けて見えるのが一番良いのですが、多くの場合そこにはその作家の持っている前提条件がありますから、鑑賞する側にはそれが無い場合、分かり辛いのです。文章であれば、ショートショートのように短くて全文を一望できる場合にはそれでもマシです。長くなって「つづく」になって次から次へとも読まなければならないなとかなり苦痛を強いられます。(ゲームの中継をするような展開重視の作品ならそれでもOKと思います。)そんな場合、なかなか深くまでは読めないのです。読めないと自分の感覚との共通点をなんとなく見つけてふわふわとした理解だけで済ませてしまいます。普通にある事です。

ですから、読んでいて「こうちょっとヒントが欲しいなあ」と感じる事が多いです。


noteでも、Twitterでも、「書き方はこうした方が良いですよ」と教えてくれる方が多くいて、嬉しい事です。ですが、それとは別にその下のレベルの思考過程や、もしかしたら思想のようなもの、考え方、理由等は指南してくれる人はいません。当たり前で、そこは自分自身でしかできないからです。そこはメタ領域の問題で、なぜその人がそれを書きたくなったのか、どんな他人と違った思いや感じ方があるのかは個人持ちです。

私としては、文章の上手い下手よりはその作者のメタ領域の方がより読みたいものです。そしてメタ領域の思考は、その個人の脳内だけにあるもののようで、実は誰かとの対話、会話の中にあるはずのものです。なぜなら、思考は必ず外部からの刺激に対する反応だからです。

生の脳みその皺が緩衝したいのです。

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