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スリランカ 清涼山 大白蓮寺

妙深寺にとって、私の生涯にとっても、昨日は特別に意味のある一日となりました。

本山宥清寺ご宝前において、ご講有 髙須日良上人よりスリランカ教区 妙深寺コロンボ別院の寺号公称の允許証、併せて住職任命辞令を拝受いたしました。

妙深寺コロンボ別院は、妙深寺所属のスリランカ宗徒1049戸(うち正宗徒181戸)を割譲して、末寺「清涼山 大白蓮寺」となりました。

妙深寺の山号は「清光山」、末寺 法深寺の山号は初代日博上人の院号である「清照山」、スリランカの新寺院の山号は先住松風院日爽上人の僧名である「清涼」から「清涼山」といただきました。

そもそも「清涼」とは法華経の見宝塔品第十一「清涼池の蓮華荘厳せるが如し」、薬王菩薩本事品第二十三「清涼の池の能く一切の諸の渇乏の者に満つるが如く」にある至上の語です。

この山号を頂戴したことは、法華経に由来する尊さはもちろん、師匠への報恩ご奉公の一分になると存念し、感涙抑え難いところです。

寺号については先日まで「スリランカ佛立寺」と思っていました。「佛立」という言葉にこそ、本門佛立宗が余宗余門と水際を立てる真骨頂、アイデンティティが詰まっています。「Primordial Buddhism」とは「後世の人間が立てた宗」であってはならず、「仏陀が立てた宗」でなければなりません。そのことを最も大切にしていることが条件です。

ですから、世界中に「人立宗」ではなく「佛立宗」が必要で、「佛立」であるならば人間の拙い智慧や卑しい欲得から離れ、人びとを導く場所であると分かるはず。少なくともそう信じているので、「スリランカ佛立寺」が一番いいかと思っていました。

しかし、いざ寺号を申請する段階になって、現地スリランカの人びとを最優先することにしました。寺号をシンハラ語やパーリ語に翻訳した時、すぐに「あぁ、ここは法華経の教えを説いているお寺なんだ」と。

そこでたどり着いた名前が、諸経中王 最為第一、根本経典である「妙法蓮華経」、『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ( सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma-Puṇḍarīka-Sūtra)』=「白蓮のように最も優れた正しい教え」というタイトルから寺号を選ばせていただくこととしました。

また、スリランカでは由緒ある名の前に「大(マハー)」と付ける慣習があるため、「大白蓮寺」を寺号とさせていただきました。

「清涼山 大白蓮寺」

スリランカの言葉では「マハー・プンダリカ・ウィハーラ」となります。Maha Pundarika Vihara, මහා පුණ්ඩරික විහාරයとして、世界最古の仏教国 スリランカでのご弘通ご奉公、菩薩行が展開されてゆくことを切望します。

またもや、決して選んだわけではないのですが、ピッタリとディリーパ良潤師が日曜日の第二座に出座することとなっており、寺号公称の允許証、住職辞令を拝受する際、横に立っているようにしました。総務局にもご許可をいただきました。

永遠の時間の一瞬、一瞬の中の永遠。瞬間に見えることが、実は永遠に大切なことになります。今回の寺号公称は私の終活の一つ、しっかりとスリランカ弘通を現地に根付かせ、良潤を立派な後継住職に育てることが第一義です。良潤を立たせていたことが大事なのでした。

思い返せば1997年1月、妙深寺は日本語・英語のホームページを開設。国内外から多くの反響、問い合わせをいただきました。

海外からのお便りはファックスで福岡日雙御導師にお送りし、福岡御導師からお返事をファックスで受け取って妙深寺からメールで返信する作業を繰り返しました。

その中にスリランカの法華経研究グループがあり、福岡御導師が内戦中の現地へ飛んでご弘通が始まりました。

2004年、私もスリランカを訪問し、ご奉公に加わることとなりました。直後のスマトラ沖地震・津波の支援活動も大きな契機となりました。

妙深寺がご奉公に携わってから19年、何度も壊滅的な事態や出来事もありました。法難、怨嫉、分離、独立、たくさんの苦難や困難がありました。

転機はディリーパ君。最高学府を卒業予定で前途洋々。そのディリーパ君に来日して本格的に日本語を勉強するように薦めました。そして、妙深寺に住んで日本語学校へ通う日々が始まりました。

さらなる転機はディリーパ君の出家得度。これを逃せば現地教務の誕生とスリランカでのご弘通は続かないと思い、2010年8月5日、ボーイスカウトの日本ジャンボリーでご奉公している際、朝霧高原のキャンプ場から福岡御導師にお電話をして「ディリーパ君を得度させたい」とお話をしました。目の前に広がるキャンプ場の景色と、福岡御導師にお伝えしている内容、鮮明な記憶が残っています。

2010年、ディリーパ君は「良潤師」となりました。あれから13年。佛立教育専門学校を卒業し、ケネカちゃんという最高の伴侶を得て、申し分のない佛立教務となり、今や佛立アンバサダーとして活躍しています。

そして、ハシャーン清嵐師という二人目のスリランカ人教務も誕生しました。すでに2017年の得度から7年、毎月立派な日本語での御法門を作成し、ビデオを送ってきてくれています。

ご弘通は一日にして成らず。経営者には経営手腕が問われるように、住職には弘通手腕が問われると教えていただきます。

まだまだ分かりません。これからも苦難の連続だと思います。ただ、なんとかここまで来ることが出来ました。感無量です。

清涼山 大白蓮寺
マハー・プンダリカ・ウィハーラ
Maha Pundarika Vihara
මහා පුණ්ඩරික විහාරය

住職、代表役員は長松清潤、責任役員はディリーパ良潤、妙深寺から執事長の岩澤清従、事務局長の伊藤晴康、そして現地のドダンゴダガマゲ・アベイ・グナワルダナ。大白蓮寺の事務局長はドダンゴダガマゲ・アベイ・グナワルダナ氏になっていただきました。

まだ、大白蓮寺は本寺 妙深寺に大きな借財があります。これまでも妙深寺の皆さまから想像を超えるご有志をお預かりしてきましたが、地所の取得費用などはコツコツとお返ししています。まだまだ妙深寺とは切っても切れないご奉公を続けて参ります。本当に、妙深寺のおかげをいただいて、寺号公称できたのです。永遠に忘れられない、忘れてはならない事実です。

福岡日雙御導師はスリランカ教区にとって不変の絶対的な存在で、これからもスリランカ教区長、私たちの御導師としてご奉公いただきます。今回の寺号公称を心から喜んでくださっていました。本当に、ありがたいです。

これで、私に何かがあっても、スリランカのご弘通は前進してゆきます。長い長い歴史を、大切に守って、頑張ってくれると思います。今生人界のご奉公の、一つのクライマックスでした。

スリランカ清涼山 大白蓮寺、よろしくお願いいたします。

南無妙法蓮華経
Namu Myo Ho Ren Ge Kyo

ありがとうございます。

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