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「幸せな日」の新しい定義

皆さん、こんにちは。
今日も読んでいただきありがとうございます^^
【言葉で心をつむぐ旅人】mariです。

皆さんは夜寝る前に、どんなことを考えていますか?

今日あったよかったことを思い出してみたり

はたまた失敗しちゃったことを思い返して一人反省会。。

なんて、それぞれ、いろんな過ごし方があると思います。

今日は、そんな一日の終わりにちょっと思い出してほしい、「幸せな一日」についてのお話です。

ポジティブ変換で「幸せな日」にする。

一日の終わりに、今日という日を振り返ったとき

楽しいイベントや友達との予定がない、なんの変哲もない普通の一日。

特段に楽しことがあったわけでもないけれど
ひどく嫌なことがあったわけでもない。

そんな可もなく不可もないような「ふつうの日」もたくさんあります。

そんないたって「ふつうの日」の中にも

自分をいたわってあげたり、心がキラキラするような瞬間を見つけていく。

それが「ふつうの日」を「幸せな日」にしていくということ。

そして、自分を幸せにするために「ふつうの日」であっても、なにか素敵な瞬間を見つけていかなくてはいけない。

そんなふうに漠然と感じていました。

心が動かない日もあるよね。

しかし、心の元気がないときは、ものごとにポジティブな面を見出そうという気すら起きないもの。

できごとというのは、自分の見方一つで変わるということは分かっていても、積極的にそうしようと思えない日だってあるのです。

特別な予定もなければ、キラキラとした瞬間も見つけられない。

心が動かない、低空飛行の一日🛬

そういう日ってないですか?
(私はけっこうあります😂)

ポジティブ変換もできないようなテンション低めの日は、なんだか自分を幸せにしてあげれなかったような気がして、いつも以上に自分を責めてしまいがち。

楽しい予定をつくれなかった残念な自分
キラキラを見つけられない残念な自分

『幸せ=ポジティブ』という定義があると、ポジティブ要素のない「ふつうの日」は、幸せの定義から外れる残念な日に、自動的に降格なのです。

ポジティブ変換は必須じゃない。

でもそれって、真実なのでしょうか?

たしかに『幸せ=ポジティブ』だとすると、ポジティブなことが見つけられないと、それは「幸せな日」ではなくなるのかもしれません。

そうなると、私たちは自分を幸せにするために、なんでもない日常の中から、常にポジティブを見つけ続けなくてはいけなくなってしまいます。

もちろん、小さなことにもよい面を見つけられると、ワクワクしたり心が穏やかになったりする瞬間が増えるのも確か。

でも心や体が疲れていたり、とげとげしたりしているときは、そういうポジティブを見つけようとすること自体が、心の動きに反した、意図的な(ときには不自然な)行動になるときもあります。

心が落ち込んでいるときは、落ち込んでいる心にそのまま寄りそってあげる。

ネガティブを無理にポジティブに変換せずに、低空飛行をそのままOKにしてあげる。

そういうスタンスで自分の心に寄り添えれば、別にポジティブなことが見つけられなくっても、その日が幸せだったかということとは、関係なくなるような気がするのです。

ポジティブでもネガティブでも幸せだと決める。

「私の一日は幸せだった。」

そう自分で決めてしまえば、

ポジティブなことがあろうと、なかろうと
ネガティブなことがあろうと、なかろうと

実は私たちの幸せには、影響はないことなのかもしれません。

なんだかややこしい話になってしまっているかもしれないけれど、

『決める』ということの力は意外と強く

自分の意志で決断すると、現実はその方向に向かっていきます。

だから、別に楽しいことがあってもなくて、嫌なことがあってもなくても

他の誰でもない私自身が「今日は幸せな日だった」と決めてしまえば、それが事実なのです。

そう考えてみると、もしかしたら、私たちはどんな一日でも、自分で自分を幸せにできるのかもしれません。

もちろん、その中でも、自分が心地よいと感じることを選んだり、不快な刺激から自分を守ってあげたりすることも、大切な自己コントロールの一つです。

自分のことを幸せにできるのは、世界で唯一、自分だけ。

そんな自分の中にある『自分を幸せにしてあげられる力』を信じて、

「今日も別になんにもなかったけれど、私の一日は幸せでした」

そう宣言して、眠りに落ちてみるのはいかがでしょうか😌?

実践してみられたら、ぜひ感想を教えてくださいね😊

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最後までお読みいただきありがとうございます^^
誰よりも【心】について思いをよせるmariが複雑怪奇で形のない【心】について
正面から、横から、ななめから、ためつすがめつしながら考察していくページです。

私が【心】と向き合う日々が

読者の皆さまにそっと寄りそい、ときにははたと立ち止まって考える
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mari【言葉をつむぐ人】

▶36歳、3児の母
▶13年間の教員生活ののち、自分らしい人生を求めてフリーランスに転向
▶現在はライター、モデル、ソウルフル数秘術®プラクティショナーとして多方面に活躍
▶幼少期から生きづらさを感じていたことをきっかけに、心について学び、深く考察する日々を重ねる
▶機能不全家族で生まれた元こども
▶好きな場所は水族館。好きな魚はアマゾンの古代淡水魚「ピラルク」。


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