結城親朝の離反|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載117
南北朝時代の興国元年(1340)7月、奥州の南朝大将として北畠顕信が石巻(宮城県)に入城した。
顕信は南朝勢力を結集し、北朝大将・石塔義房を陸奥国府の多賀城から追い出そうとする。しかし白河の結城氏や守山(郡山市)の田村氏など福島県勢の参戦を得られないまま2年が経過。しびれを切らした顕信は興国3年(1342)10月、石巻の領主・葛西氏の軍勢のみを率いて出陣。結果、大軍を擁する石塔義房に三迫(宮城県栗原市)の合戦で敗北した。この敗戦で葛西氏が北朝に降伏し、居場所を失った顕信