マガジンのカバー画像

【歴史】【岡田峰幸】のふくしま歴史再発見

55
おかだ・みねゆき 歴史研究家。桜の聖母生涯学習センター講師。1970年、山梨県甲府市生まれ。福島大学行政社会学部卒。2002年、第55回福島県文学賞準賞。著書に『読む紙芝居 会津… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

宇津峰の決戦|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載123

 南北朝時代の西暦1352年(南朝・正平7/北朝・文和2)3月24日、奥州の南朝大将・北畠…

1

宇津峰の決戦|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載122

 南北朝時代の西暦1351年(南朝・正平6/北朝・観応2)12月、奥州の南朝大将・北畠顕信…

1

吉良貞家の逆襲|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載121

 南北朝時代の西暦1351年(南朝・正平6/北朝・観応2)春、南朝の皇子である守永王が奥…

2

南朝の国府奪還|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載120

 南北朝時代の西暦1347年(南朝・正平2/北朝・貞和3)秋、奥州北朝を指揮する奥州管領…

6

観応の擾乱|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載119

 南北朝時代の正平元年(南朝元号/1346)1月、北朝の奥州管領(司令長官)として畠山国…

2

霊山と宇津峰の陥落|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載118

 南北朝時代の興国4年(1343/興国は南朝の元号)6月、奥州南朝の重鎮であった白河の結…

3

結城親朝の離反|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載117

 南北朝時代の興国元年(1340)7月、奥州の南朝大将として北畠顕信が石巻(宮城県)に入城した。  顕信は南朝勢力を結集し、北朝大将・石塔義房を陸奥国府の多賀城から追い出そうとする。しかし白河の結城氏や守山(郡山市)の田村氏など福島県勢の参戦を得られないまま2年が経過。しびれを切らした顕信は興国3年(1342)10月、石巻の領主・葛西氏の軍勢のみを率いて出陣。結果、大軍を擁する石塔義房に三迫(宮城県栗原市)の合戦で敗北した。この敗戦で葛西氏が北朝に降伏し、居場所を失った顕信

新たな南朝大将|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載116

 延元3年(1338)5月、奥州南朝の総大将・北畠顕家が石津(大阪府堺市)で討死。残され…

5

結城宗広の最期|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載115

 奥州南朝の総大将・北畠顕家は、北朝の総帥・足利尊氏と雌雄を決すべく延元2(1337)年…

17

北畠顕家の死|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載114

 延元2(1337)年3月。南朝の北畠顕家は、吉野(奈良県)に逃れた後醍醐天皇を救うべく…

2

五百川の凶徒と御春の輩|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載113

 延元元年(1336)11月、京を占領した足利尊氏は新たに光明天皇を即位させ、その下で武家…

月刊 政経東北
11か月前
6

陸奥国府の移転|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載112

 建武3年(1335)1月、足利尊氏が後醍醐天皇の建武政権に叛旗をひるがえし京を占領。し…

芦名盛員の妻・笹谷御前|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載111

 建武3年(1336)1月、足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻し、京を占領する。しかし直後に…

顕家の帰還―岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載110

  建武2年(1335)7月の北条時行による反乱から、後醍醐天皇による〝建武の新政〟の崩壊が始まった。まずは経緯を順に説明していこう。  建武2年7月   北条時行が鎌倉占領    同年8月   足利尊氏が鎌倉奪取  建武3年1月11日 尊氏が入京    同年1月30日 尊氏が京から敗走  1月30日の戦いで足利勢を京から追い払った最大の功労者は、奥州から駆けつけた北畠顕家だった。600㌔という距離をわずか20日で走破、そのまま足利勢と交戦し勝利している。さらに顕家と奥