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映像翻訳者が厳選! グッドバイブスな洋画 #4 『ブロードウェイと銃弾』 (1994)【いまここの閃き】

◎「○○じゃないほう」のウディ・アレン作品

ウディ・アレンの映画と聞くと、どんなイメージが浮かぶでしょうか。私と同世代の映画ファンならこんな声が聞こえてきそうです。「小難しくてわかりずらい」「アレンの演じる主人公がいつも愚痴ばっかり言ってる」「とにかくみんなよくしゃべる」などなど……。

たしかに彼の作品には、自身がユダヤ系であることへのこだわりが見られますし、フロイトやニーチェ、カントなどの影響も色濃く出ています。そのため難解にみえるものも多く、それが敬遠される一因になっていました。

ですがもともとスタンダップ・コメディアンだった彼の作品は、ほとんどが喜劇です。普通に笑って楽しめるものもたくさんありますし、2000年以降は「小難しい」イメージもかなり薄まってきました。

なにが作品のイメージを変えたのでしょうか?

じつはとてもわかりやすい違いがひとつあります。それは、

「彼自身が出ているか、出ていないか」です。

アレン作品にとって、これは大きな違いだと私は思っています。

まだ1作も観たことがない友人にオススメのアレン作品を聞かれると、私はかならず、彼が主演「じゃないほう」を最初にあげるようにしています。そのほうが小難しさにとらわれることなく普通にコメディとして楽しむことができるからです。

アレンものに免疫がない人に面白さを実感してもらうため「じゃないほう」を紹介することが、私のささやかなウディ・アレン普及活動というわけです。

アレンは65歳を過ぎた2000年ころから自分で主演することはほとんどなくなりました。2022年の暮れには87歳になる彼にとって、年齢というのは大きいのかもしれません。でも2000年より前にも自身が出演しないものはありました。そのころの作品を並べてみると、彼が出るか出ないかには大きな意味があったように思えるのです。

2015年のカンヌ映画祭の記者会見でアレンは「いい映画を創るコツは素晴らしいキャストを揃えることだけです」と語っていました。

ということは、バンバン主役を演じていた80年代から90年代に自分以外の俳優を主演にした作品は「そのほうが面白くなる」と判断して創られたはずです。その読みが見事に的中したからこそ、笑える名作が何本も生まれたのでしょう。

1985年の『カイロの紫のバラ』や、これから紹介する『ブロードウェイと銃弾』がその代表といえます。

ただ、この「じゃないほう作品」の主人公の多くは、話し方もしゃべる内容も限りなくアレンとキャラクターが似ています。主演の俳優がわざわざ彼のように演じているものさえあるほどです。

どの作品にもアレンっぽい人が出てくるのに飽きることなく楽しめてしまうのは、アレン・マジックといえるでしょう。あえてそういう役作りをする役者と芸達者なほかのキャストとの絶妙なコンビネーションが「じゃないほう」独特の笑いを生み出していくのです。

画面の端々に散りばめられた細かい暗示や、ほかの作品へのオマージュと思われる台詞や小道具など、細かいことを読み解くのはさておき、まずは普通に笑って楽しんでしまえばいいんです。深読みなどしなくても十分に面白く観られる作品がたくさんありますから!

『ブロードウェイと銃弾』もコメディとして気軽に楽しめる作品です。そして1994年の米国アカデミー賞で6部門にノミネートされ、ダイアン・ウィーストが助演女優賞に輝いた名作でもあります。ストーリーの面白さから人気も高く、2014年にはブロードウェイでミュージカル化されて大ヒットし、2021年には日本語版も上演されました。

◎ノスタルジーとドタバタの影にいる実在の人物

『ブロードウェイと銃弾』はグランドホテル形式と呼ばれる群像劇の手法で描かれています。クセのあるキャストが次々に登場し、場をかき回すことでドタバタが増幅していく面白さがこの映画の魅力のひとつです。

物語は禁酒法のもとギャングが闊歩していた1928年の演劇界を舞台に繰り広げられます。この設定の背景にはオープニング・クレジットでかかる『Toot, Toot, Tootsie!(Good-bye)』という曲を歌うアル・ジョルスンの存在があります。

先ほど「細かいことを読み解くのはさておき」と書きましたが、この映画を紹介しようとする私としては、さすがに冒頭で流れる元ネタのヒントをスルーすることはできません。「これだよ、これ!」というアレンの心の声が聞こえた、ということにして少しだけ紹介しておきます。

ジョルスンはまさに禁酒法の時代に活躍したユダヤ系のエンターテイナーです。そして主演をつとめた世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』(1927年) でこの曲を歌っているのです。このシーンは、Youtubeでも観ることができます。

スタンリー・グリーン著の『ハリウッド・ミュージカル映画のすべて』という本に、ジョルスンがギャングの愛人だった女優に恋をしたエピソードが紹介されています。彼はギャングに脅されながらも彼女にしつこくつきまとい、見事に射止めて3番目の妻にしました。

ギャングに動じないところや、結局この女性とも別れて4度も結婚するところなど、なかなかの破天荒ぶりがうかがえる人物です。

また彼は黒塗りの顔で黒人をデフォルメして演じていたことでも知られています。いまでは信じられませんが、アメリカではまだ人種差別が法的に認められていた時代です。ジョルスンは観客に語りかけながら大げさな黒人っぽい仕草で歌を披露し人気を博しました。

この映画でギャングのボスが愛人に贈る「黒真珠」は、そんな彼を連想させるアイテムなのかもしれません。

この作品で演劇界を背景に描かれる脚本家と主演女優の関係や、ギャングとその愛人が繰り広げるドタバタなど、いくつかのエピソードのベースにジョルスンの実話があると思いながら観るのも一興です。

ほかにも、意外にあっけらかんと営業しているもぐり酒場に集う人たちや、楽屋で表と裏の顔を使い分ける俳優たちの絶妙な軽さも魅力です。彼らは禁酒法まっただなかの不自由な時代に生きながら、十分に自由を謳歌しているように見えるのです。そんな作品全体の空気が登場人物をよりいきいきと映し出しています。

◎未来に不安を感じる人たちのおかしな行動

ストーリーの中心となるのは劇作家で演出家でもあるデビッドです。彼は自分の作品にかなり自信を持っており、恋人や芸術家の仲間もそれを認めています。ですが、いまだヒット作には恵まれず、最新作は上演すら危ぶまれている状況です。

プロデューサーのマークスは、デビッドの才能をかってはいます。でも重いテーマをあつかう彼の作品になかなかスポンサーがつかないことに、頭を悩ませています。

そんなマークスの救世主としてあらわれるのがギャングのボス、ニックです。彼は自分の愛人を出演させることを条件にスポンサーになると名乗りをあげます。マークスは渡りに船とそのオファーを受けますが、デビッドは相手がギャングと聞いてビビりまくります。

さらに問題なのはその愛人、オリーブです。彼女はコットンクラブのダンサーで「役者になりたい」と言っているものの芝居の経験などこれっぽっちもありません。与えられた精神分析医という役のイメージにはほど遠いキンキン声で、演技のセンスもほぼゼロときています。それどころか自分がしゃべっている台詞の意味さえ理解できない始末です。

このオリーブというキャラクターは、往年の名作ミュージカル映画『雨に歌えば』に登場するキンキン声の女優リナを彷彿とさせます。トーキー映画という点でジョルスンともつながりますし、このあたりにもアレン監督のオマージュが感じられます。

そんな彼女を目のあたりにして、デビッドは頭を抱えてしまいます。しかも用心棒として手下のチーチが必ず稽古場についてくるのです。ギャングに見張られながら役者気どりのダンサーをおだてつつ芝居を創っていくなんて、やりにくいどころの騒ぎではありません。

ただ、オリーブ以外のキャストにはデビッドも満足できる面々が揃っています。なかでも彼がもっとも喜んだのは大女優ヘレン・シンクレアが主演を引き受けてくれたことでした。

彼女が出れば芝居に箔がつくし話題にもなります。でも、じつはこのオファーはヘレンにとっても願ってもないチャンスでした。自身のキャリアにかげりが見え始めていることを密かに自覚していたからです。この作品での復活を狙う彼女は、デビッドの脚本をほめつつも、もっと自分の思う通りの役に変えようとある行動に出ます。

脇を固めるイーデンとワーナーの2人も実力のある俳優です。ですがイーデンが稽古場に連れてくる愛犬のせいでヘレンがご機嫌ななめになり、現場はますますやりにくい雰囲気になっていきます。

一方、ダイエットに成功したばかりのワーナーは稽古場に用意される美味しそうなケータリングの誘惑とたたかっています。それ以外は呑気に稽古にのぞんでいるように見える彼ですが、稽古が進むなかでさらに危なげな誘いに惑わされることになります。

そして最後のキーパーソンが用心棒のチーチです。もともとオリーブの子守などやりたくなかった彼は芝居にもまったく興味がありません。毎回、劇場の後ろの席にいて、デビッドとオリーブがもめそうになると「彼女のやりたいようにやらせろ!」と脅すのです。

こうやって並べてみると本当にくせ者ぞろいです。ほとんどの登場人物が、なんらかの形で自分の「いま」に不安を感じ、思い描く理想の未来になるようあれこれ奮闘しています。

人は過去や我欲にとらわれたり未来に不安を感じたりするとおかしな行動を始める、とグッドバイブスにもあるように、彼らの行動はそのオンパレードといえます。

でも彼らが変なのかというと、そんなことはありません。私たちも普段から、物事がうまくいかないとイライラしたり、怒ったり、わがままを言ったり、相手を思いどおりに動かそうとしたりと、つい彼らと似たようなことをしてしまいます。アレンはそんな誰もがやってしまいがちな「おかしな行動あるある」を皮肉と笑いで見せてくれているのです。

◎「いまここの閃き」が発揮されるとき

そんな中、芝居にまったく興味のないチーチだけは「いまここ」にいます。彼はギャングの世界に身を置き、目の前で起こるあらゆることにその場で対処しながら生きたのでしょう。そんな彼にとって、すべてのことを「ほう、そうきたか」と受け入れるのは普通のことなのです。

ギャングとして常に攻撃モードだという点はさておき、デビッドをはじめ未来への不安にとらわれているほかの人たちよりも、いまにフォーカスしている彼のほうがずっと自由に見えます。

彼は劇場に来るといつも後ろの席に座り、新聞の賭けごと欄を眺めながら稽古を聞くとはなしに時間をつぶしていました。そんな彼がある日、理屈っぽい芝居に飽き飽きしてついに「台詞がばかげてる」と文句を言ってデビッドを怒らせます。

さらに稽古が進むにつれ役者たちまで脚本への不満を口にするようになり、デビッドのイライラは増すばかりです。そんなとき、スパっと誰もが納得する見事な修正案を出したのが、芝居に関してはズブの素人のチーチでした。

チーチはもともとデビッドの脚本をクソだと思っています。そしてこのときも自分の経験に照らして、普通の人間だったらこう考えこう言うだろうと、思ったことを伝えただけです。でもそのリアルな発想がまさにグッドバイブスでいう「いまここの閃き」だったのです。

このチーチの素晴らしい発想が、物語を妙な方向へと導いていきます。ここからの展開の面白さはアレン監督の真骨頂といえるでしょう。

そして、その流れの中でチーチもしだいに「いまここ」にいられなくなっていくのです。

それを象徴する彼のこんな台詞があります。

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これは俺の芝居だ!
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彼の心の中に「我欲」が湧きあがったのは明らかです。こうなってしまうと、彼もおかしな行動をし始めます。しかも彼はギャングです。おかしさも度を越していて、それが状況をさらにややこしくしていきます。

果たして芝居は無事に初日をむかえることができるのか?

あれこれ面倒なことになった人間関係はどうおさまるのか?

最後に「いまここ」に戻ってこられる人はいるのか?

この作品の原題 ”Bullets Over Broadway” には「ブロードウェイの上を飛び交ういくつもの銃弾」というニュアンスがあります。銃弾のごとく飛び交う会話、どこに飛んでいくのかわからないストーリー、文字どおりギャングが放つ銃弾など、この映画のエッセンスがギュっと詰まった最高のタイトルだと思います。

悲惨なできごとも「えっ!マジかっ!?」とツっこみたくなるような面白さで描いてしまうウディ・アレンのマジックをぜひ堪能してください。

☆『ブロードウェイと銃弾』 (1994)
原題:Bullets Over Broadway
監督、脚本:ウディ・アレン(『アニー・ホール』『カイロの紫のバラ』『ハンナとその姉妹』)
出演:
ジョン・キューザック(デビッド・シェーン)
ダイアン・ウィースト(ヘレン・シンクレア)
ジェニファー・ティリー(オリーブ・ニール)
チャズ・バルミンテリ(チーチ)

【配信サイトリンク】(2022年6月現在)
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【グッドバイブス関連】
書籍:『グッドバイブス ご機嫌な仕事
公式サイト:グッドバイブス公式ウェブ

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