マスターに会った時のこと

マスターといってもバーのじゃありません。覚者と呼ばれる方のほうです。

その昔、文京区に住んでいたとき、完全覚醒者と呼ばれている方の講演会が近くであることを知り、参加費が意外と安かったので、思い切って参加してみたことがありました。3500円くらいだったかな。

会場に着いてみると、大きくも小さくもないホールで、参加者たちは椅子に座り、皆一心に瞑想をしていました。スピリチュアルとか自己啓発に興味はありつつ、講演会などには慣れていない私は内心少しギョッとしました。外国人の参加者もいて、椅子に蓮華座を組み、慣れた様子で瞑想していました。

しばらくしてマスター登場。低めの落ち着いた声で話し出します。我、愛なり…ナントカカントカ…。心地よくて眠くなります。そしてマスターの講話の合間合間でまた、瞑想タイムが差し挟まれます。マスターのお話はいいけど、こっちは苦痛。暇過ぎてキョロキョロしている参加者は私くらい。何でもいいからマスターに今すぐこの現世から救ってほしい。3500円ぐらいじゃダメか。

最後に、希望者のみマスターからディクシャを授けてもらえます。ディクシャというのは、聖者から授けてもらえる祝福みたいなの?よく分かってないくせにもちろん希望。別料金でしたが、これもそんなに高くはありませんでした。眉間に何かのオイルを塗ったりして、祈ってくれたのかパワーを注入してくれたのか、とにかく何かしてくれました。

おバカな私は有り難いマスターのお話など殆んど覚えていませんが、唯一印象に残っているのは、「私はあなたであり、あなたは私である。ゆえにあなたがどんな悪いことをしたとしても、私があなたを嫌うことは不可能である」と言っていたことです。言い方は違ったはずですが、内容はそういう感じのこと。不可能ってところにグッときますね(そこはそのように仰っていたハズ)。

マスターに出会った後も人生が好転したとかいうことはなく、環境は多少変われど相変わらず朝起きるのも生きていくのもしんどいですが、年も変わり、この暇なお正月に何か書こうかと思った際ふとマスターのことを思い出しました。

そうだ。そうだよ。マスターは今この瞬間も、こんなしょうもない私のことだって受け入れてくれているに違いない。私がどんなに情けなくても、何も成し得ていなくても、漫画で10万散財したとしても(この間3万だと思っていたのは実はトータル10万だった)。

マスターはサイババのような風貌で、コンバースを履いていました。

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