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父親の死を乗り越え人生を突き進む治療家 唐澤秀幸 〜物語〜


皆様初めまして 
治療家の唐澤秀幸と申します。

私は、自慢の娘を一度も会わせられなかった
父親の突然の死を胸に秘め
悲しみを乗り越えながら
今を一生懸命生きています。

現在、腰痛治療のプロとして
東新宿ソフィア整骨院を経営し、
併せて私のこれまで培った治療技術を
お伝えするお志事をしています。

私がどういう人生を歩み
現在に至ったのかどうぞご覧ください。

1、引きこもり、引きこもりからの脱却


私は温泉町で有名な
群馬県草津町にて生まれ、
自然豊かなところで育ちました。

子どもの頃から好きなことは
トコトンやり込むタイプの人間で、
好きでないものは一切やらない性格です。

ファミコン、漫画本、裏山で沢蟹探し・・・
誰よりもトコトンやり込んでました。

しかし学業成績は・・・
正直、残念ながら下から数えた方が早かったです。


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※左下が私です。

なぜ、学業が疎かになってしまったのか。
これには深い理由があります。

実は、高校卒業まで
両親の仲が不仲でした。
毎日口喧嘩が絶えず、
私はこの環境が苦しかった。

原因は父親のお酒が原因で、
しつこくネチネチと同じことを
何度も言って、周りから
くどいと言われ口論になるパターンです。

今思うと、
そのしつこさはきっと、
不安、心配が強くあったのだと
思います。

そんな環境の中で、
お酒を飲んでは頭ごなしに
勉強しろの一点張り。

勉強しないと良い大学、
いい就職は出来ないことは
わかっていました。

しかし、
酒癖が悪い父親は同じ話を何度も
繰り返ししつこい毎日。

しつこい親父に対して
刃向いたい気持ちが強くなり
勉強はしたくありませんでした。

私にはひたすら勉強しろでしたが、
母親とは、酒を飲んでは
しょっちゅうちょっとしたことで
喧嘩してました。

高校一年の時です。
両親の喧嘩に限界を感じた私は、
1ヶ月に渡り家出をします。

家出といっても親戚の家に
お世話になりました。

親戚の方々は、私が家出したことを
理解してくれていて、
私はそれに甘え
毎日ダラけてTVゲーム三昧の日々。

親戚は黙って優しく見守っていました。
段々、親戚の優しい気持ちが
私の苦しい心を和らげてくれました。

1ヶ月を過ぎた頃
このままじゃダメだと立ち上がります。

理由は、
親戚みんな仕事や家事を
頑張っている姿を間近で見ていて、
自分の行動を振り返ります。

他人の家にお世話になっている身分で、
引きこもり、現実から逃げている自分。

何やっているんだろうオレ。。。
逃げてるだけでは何も解決できないし
前に進めないことを
ここで知りました。

家に帰って、現実に向き合い前に進もう。

家に戻ると、
なんと両親は温かく迎えてくれました。
きっと両親も私の行動に何かを感じ取り
態度が変わったのかもしれません。

そこからです。
自分自身に向き合い始めます。

苦手な勉強を真剣に始めて
学年最高7位になれました。

また、マラソンの練習をがんばることで
初めてマラソン大会で
10位以内に入賞できました。

「自分自身の現状に向き合いチャレンジすれば結果がでる!」


この経験が人生において
やれば出来るという
大きな自信になり無事に高校を卒業します。

高校卒業後は、専門学校に通い
フィットネスクラブでアルバイトを始めます。

2、三つの大きな経験と親への葛藤


フィットネスクラブでの仕事は
とても厳しかったです。

厳しいと感じた理由は、
体育会系の職場で
とにかく先輩後輩意識が強い。

ユニフォームを着た時点で、
新人もアルバイトも社員も関係ない。
そのつもりで仕事をすること!

その環境の中で負けじと頑張りました。

スポーツクラブで得られた経験は
今でも私の中にあります。
その経験を3つほど挙げさせて頂きます。

①言われたことをやるのは作業であり
自分からやることが仕事

言われてから動くのでは遅い、
自分から積極的に動くことが
仕事だということを教わりました。


②誰が正しいかではなく、
何が正しいかを考える

物事の判断を他人に委ねるのではなく、
何が一番お客様の為になるのか、
常に考える習慣を持つということを
教わりました。


③向上心を常に持ち続けること

向上心無くして成長なし。
人から先生と言われる立場の人間は、
常に見られているという意識をもって
行動しなさいということ。

この3つの教えを忠実に守り続け、

私の仕事に向き合う姿勢が周囲に認められ、
三年後ついにスイミングチーフを
任せてもらえるようになりました。

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スイミングチーフになれたことを
意気揚々と親に報告しました。

一生懸命頑張って
チーフになりましたからね。
それだけに頑張ってるぞって
見せたかったですから。

しかし、親はこの仕事に対し
理解を示してくれず、

「そんなことしてないで公務員になる勉強をしなさい」

この一言で終わりです。

しかし私は、
この仕事に誇りを持っていたし、
何より自分が成長できた。

だから絶対親に認めてもらうまで
この道を突き進み、
もっと上を目指そうと決意します。

3、挫折と反骨精神


人生において順風満帆とは行きません。

22歳の就職活動の時、

先輩から、
「うちのスポーツクラブに来ないか?」
とのお誘いがあり試験を受けます。

しかし、これが不合格 

これはとても悔しかったです。
どうしてもあきらめきれなかった私は
アルバイトで雇ってもらい
一年で結果を出し採用をもらいました。


2回目の転機です。
社員になり24歳の時、

肩が痛くて上がらないおばあちゃん。
あの手、この手で泳ぎ方の指導をします。
おばあちゃんも上手になりたいから頑張ります。

しかし、肩の痛みを改善しない限り、
泳ぎは一向に上達しません。

当時の私は、
痛みに関する知識がありませんから、
指導の限界を感じはじめます。

この体験をきっかけに、
痛みに対応できるようになりたい!
と強く思うようになり、
医療の道へ進むことになります。

公務員の道へは進まず、
迷惑をかけた両親に頭を下げ、
実家に戻りJA(農協)で働き
学費を稼ぎました。

このとき、両親はまだ
私が医療の道へ
進もうとしていることに対して
賛成してくれませんでした。

両親からしたら、
「訳が分からん水泳のコーチして、
そっから医療?何言ってんだ!」
こんな風に思っていたでしょう。

しかし、私の中では
私のことを否定してくる親に
言っても理解はしてくれないだろうと思い

「いつか行動で見返してやる」
この気持ちが常にありました。

4、はじめて認めてくれた親


数ある医療の学校の中で
興味を持ったのが
カイロプラクティックです。

色々調べると、
本場アメリカでは医師よりも
解剖学を深く勉強するということを知り、
衝撃を受けました。

何故なら、医師が一番医学や解剖学を
勉強するものだと思っていたので。

しかしこれは、
本場アメリカだからという部分があると
思いますが、ピンッときた私は
これは行くしかないと思いました。

そこでアメリカでカイロプラクティックを学び、
日本でカイロプラクティックを広めた
第一人者「塩川満章」先生のスクールで
学ぶことを決めました。

実際に学んでみると、
カイロプラクティックは
背骨、骨盤のゆがみを改善させて
神経を調整する専門家ですから

解剖学はもちろん、
実践的な矯正テクニックを
徹底的に学べました。

さらに私は、
日本の怪我の治療や医学についても
しっかり学びたいと思い、
柔道整復師のスクールへ入学を決めました。

柔道整復師とは、
整骨院や接骨院(同じです)が、
開業できる医療系国家資格です。

当時は午前中、柔道整復師のスクール
昼は、パーソナルトレーナー勤務
夜は、塩川カイロプラクティックスクール

さらに土日は、
トレーニングセミナーに参加していました。

トレーニングセミナーでは、
コア(お腹、腰、胸、背中)と言われる
体幹を中心に、ゆがみを運動で整える
トレーニングセミナーへ参加していました。

周り(同業の方々)からは、
「何を目指しているんですか?」
こう突っ込まれることが多かったです。

私は患者さんを本気で治したい!!
その為に必要と感じたものは積極的に
学びに行く性格なので、
時間があれば学びに出かけていました。

運動指導者と治療家この違い
わかりますか?

運動指導者は、
運動指導に重点をおきます。
自分のカラダを自分で改善させる
セルフケアの指導が得意です。

治療家は、
手技に重点をおきます。
怪我を含めたケアが得意です。

活躍の場を広げたいのであれば
両方勉強した方が強みになります。
私は両方必要だと思ってましたので、
徹底的に学びました。

学校を卒業し、
国家資格も取った私は両親に報告しました。

両親もまさか私がここまでやるとは
思っていなかったらしく
驚いていました。

そして、はじめて進路に対して
褒めてくれました。

今まであれだけ私のやってきたことに
理解を示そうともせず、
否定ばかりしていた親父。

なのに初めて褒めてくれたんです。
それがとても嬉しかった。
今でも褒めてくれた顔を思い出します。


「あとは地元の病院へ就職して、早く結婚しろ」
とのこと、

親は独立開業よりも
安全な道を選ばせようとします。

公務員の話もそうですが、
今思えばそれだけ
愛されていたのかもしれません。

5、現実の医療を知り、転機が訪れる


まずは経験が何より大切だと思い、
はじめは整形外科医院で働きました。 

しかし、
その整形外科では思わぬ現実に直面します。

リハビリと言う名のマッサージ、
電気、牽引、痛み止め、 
この決められた作業のループです。

なぜループになっているのか
それは治ってないからです。

この決められた作業のループは
本当にツラかったです。

そんな環境の中でも
整骨院でも中々お目にかかれない
手術を要するような患者さんを
沢山見ることが出来ました。

例えば、
ヘルニア、すべり症、癒着性関節炎、
椎関関節症、リウマチなどの
重度の症状がメインでした。

整骨院でもよく、
「病院でヘルニアって言われました」
など言って来られる患者さんはいますが、

そこで実際見て見ると
本当にヘルニアなのかと
思えてしまうケースが多いです。

そうではない本物のヘルニアの方々を
見る機会がありました。
本物のヘルニアの方々に関われた経験は、
とても価値のあるものでした。

多くの経験や学びを
得たタイミングで、
知人から介護予防事業の仕事の
依頼を頂きました。

介護予防事業の仕事とは、
日常生活動作が困難な方々に対して
運動指導、施術を介して日常生活動作を
送れるようにするお仕事です。

まず多くの患者さんは、
日常生活動作が困難ですから

・立てない、歩けない、座れない、眠れない
・排泄が困難
・精神的に不安定

といった方々を日常生活動作が出来るまで、
改善させていく仕事です。

そこでは、
今まで勉強してきた運動指導はもちろん
カイロプラクティックや、
柔道整復師で学んだ基礎医学など
私の学んできたことが、全て生かせる職場であり
ブラッシュアップすることができました。

働いていて、気づいたことがあります。
手技や運動療法はもちろん大切ですが、
その前に『ライフスタイル』や『姿勢』を
見直す必要があるということ。

『ライフスタイル』の見直しが必要な
分りやすい例は、
重度の糖尿病患者さんです。

その患者さんは、
毎朝ケーキを食べていました。

糖尿病は、運動機能の低下を起こしますので
これでは、私が治療を行ったところで
食生活の見直さない限り治りません。

もう一つ、
『姿勢』の見直しが必要な例は、
重度な猫背で肩が上がらない患者さんです。

猫背になると肩の位置が前にズレ、
肩に負担がかかっているので
肩を調整しても一時的にラクになりますが、
姿勢を治さない限り完治できません。

つまり、
猫背を治すと、肩の位置がもとに戻り
肩がスムーズに上がるようになるのです。


このような経験を機に、
『ライフスタイル』や『姿勢』に
目を向けて治療をしたところ
症状が改善される方々が増えていきました。

これは、軽度の痛みや症状を
お持ちの方に対しても
同じことが言えます。

ちょうど治療におけるビジョンが、
見えてきたタイミングで、

東新宿ソフィア整骨院で
働いてみないかという
お話しをいただきましたので、
働くことを決心いたしました。

6、念願の城を手に入れる!整骨院での紆余曲折


整骨院では、
研修中の頑張りが認められ、
早い段階で院長を任せられました。

院長になって、
いきなり女性スタッフ2人を
抱えての船出でした。

人をまとめる力というのは
本当に大変で、
私は院長という立場になりますので、
スタッフからすると見る視点が変わります。

どう見る視点が変わるかというと。
「院長なのに」という比較視点になります。

つまり院長としての行動をしないと
指示しても素直に聴けないということ。
これでは会社崩壊になります。

当時の整骨院は、
痛み改善というよりリラクゼーション向けの
マッサージ屋さんに近い経営方針だったため、
対応にとても苦戦しました。

そもそも痛いところにマッサージをしても
治りませんし、整骨院でマッサージは
やるべきではないというのが私の考えです。

結果、
マッサージ希望の患者さんの
要望には応えられず
患者様はドンドン離れていきました。

そして過去最低の売り上げを叩き出し。
マッサージが出来るスタッフ2人との温度差が
大きくなり、2人はやめることになりました。

そんな時、見兼ねた
オーナーからお呼出がかかります。

「ワンコインマッサージをやれ」

これは絶対にやりたくないことでした。
しかし「お前とスタッフの給料、誰が出してんだ」
この一言に返すことが出来ず、
新しい3人の男性スタッフを入れて再開です。

結果、ワンコインマッサージを
ただやるだけでは一時しのぎの集客にしか過ぎず、
長くは続きませんでした。

その状況を打破するためには、
その場しのぎのマッサージ屋さん体質を
変える必要がありました。

オーナーを説得するために、
新たなメニューを考え、
『痛み改善に特化した本格的な治療院に変えたい!』
意志を伝えると、オーナーも熱意に負けて
賛成してくれました。

これを機に、
東新宿ソフィア整骨院は生まれ変わります。

毎日の技術鍛錬はもちろん、
『ライフスタイル』『姿勢』を軸とした
密なカウンセリングを行い、
治療を続けた結果、
多くの患者様に頼りにされる治療院になりました。


今回の成果が認められ、
オーナーから整骨院の営業権を
譲渡させていただくことになり、
ついに、念願の城を手に入れました!!

権利譲渡



このことを両親に報告!!

父親はとても喜び、
「頑張ったな。凄いじゃないか!」
と言われた時は

父親にやっと認めてもらえたという
安心感からか
涙が止まりませんでした。

7、信じられない突然の父親の死


東新宿ソフィア整骨院では、
私が今まで学んだこと全てが活きています。

例えば、
カイロプラクティックのテクニックだったり、
週末学びに行った整体の技や、
パーソナルな運動指導はもちろん

病院で培った重症患者への対応だったり、
介護予防で学んだライフスタイルの
アドバイスや、姿勢指導などを活かし
患者さんに徹底的に向き合っています。

また、『姿勢』だけではなく、
普段どのような『動き』をしているかを
知る必要があります。


動きの癖を見極めることで、
負荷がかかる原因が分かり、
癖を意識的に直すことで
早期回復につながります。

動きの癖は、
思考の影響を非常に受けやすいです。
思考を分析するためには、
より高度な傾聴スキルが必要になるため
新たにカウンセリングも学んでいます。

施術は強い刺激であればあるほど
カラダを固くすることが分かりました。
そこで出来るだけ刺激を減らす施術を
行っています。

さらに、運動指導は出来るだけ
すぐ変化の出るものを追究しています。

常に向上心を忘れずに、臨床と勉強を続け、
21年の歳月を経て、
治療体系が形になりました!


そんな中、プライベートなことですが
結婚もし、子供にも恵まれました。

親父は、電話で三日に一回は
電話をかけてきて

「ヒデ、本当によかったな」
「家族を大切にしないとダメだぞ」
「ヒデ、本当に、本当によかった」

毎回この電話でした。
酒を飲んでなくても
どうやらしつこい癖は
治っていませんでした。

親父はずっと
娘に会いたがっていました。
会わせたかった!!

そしてついに会う約束をして
1週間前の出来事です。

私は名古屋で整体セミナーを受けた
その夜、一本の電話がなりました。

「親父が酒を飲んで、
風呂場で意識不明になり死んだ」

あの頑固で、
体も丈夫な親父が、
酒を飲んで風呂に入ったまま
死ぬなんて。うそだろ。。。

結局、
親父に娘の顔を見せることは
残念ながら出来ませんでした。

娘の顔を見せて、
俺も頑張ってるよって
見せたかったな。。。。

私の人生を振り返ってみると、
常に親父の存在が
あったなと思います。

手は出さなかったけれど、
酒癖が悪く、お酒が入ると、
家族愛が強すぎるため
ついつい言い過ぎてしまう親父。

その死を乗り越え親父に天国でも
安心してもらえるよう

私は家族を守るため
しっかり前を向いて進んで行こうと
心に決めました。

8、亡くなった親父が残してくれたもの


父親の死を経験した私、
まだ親父は若かったのに、生きていれば
娘に会えたのに・・・

なんでこんなタイミングでと、
悔やんでも悔やみきれません。

親父は私が思うにきっと、

「人生何が起きるかわからない。
後悔するな!早く動け!やり残すな!」

これを教えてくれたのかもしれません。

少々強引かもしれませんが
そう思うようにしました。



親父の死をきっかけに
命の尊さについて改めて考えました。

今生きていることに感謝するとともに、
今この時を大切にしなくてはいけない!と
思うようになりました。

亡くなってしまったら、
その人が築き上げたものは、
もう伝えることができなくなってしまいます。

やりたい事に挑戦せずに
迷っている時間はもったいない!!

私の夢は、
患者様の痛みに本気で向き合える、
真の治療家を増やすことです。

だからこそ、
私が経験し得た知識や技術を伝えることで、
一人でも多くの治療家の皆さまの
お役に立てたらと考えております。

失敗は成功の母と言いますが、
時間は限られています。

私は失敗したからこそ、
時間の大切さを身に染みて
感じています。

ですから、
私と同じ失敗はして欲しくありません。

私が今まで学び経験してきたことを
私と同じ志をもつ治療家の皆様に伝え、

仲間とともに一人でも多くの患者様を
救って行くことが私の使命です。

唐澤様健康ものさし-300x278


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