日本のホワイトカラーの生産性

日本のホワイトカラーの生産性って?

(頭の中にあることを徒然に書き出します。 読み難いと思います。分かり難いと思います。 でも、段々書き出して行きます。)

日本のホワイトカラーの生産性の問題が取りざたされて長い。「日本の生産性が改善した!」というタイトルがメディアで踊ったことはまだない。
一方、外資企業で働いた経験と比較すると日本のホワイトカラーの生産性の問題は、巷で言われているものとは少し異なるように思う。

ホワイトカラーってなに?

ウィキべディアでホワイトカラーは以下のように定義されている。

ホワイトカラー(英語: white-collar, white collar; white-collar worker)とは、「白い襟」の意で、広くは事務系の職種一般、つまり企業の管理部門で企画あるいは管理業務などの事務労働に従事する労働者を指す
職業分類の概念であり、現業系の労働者を指すブルーカラーに対比される。雇用従業員の中でも、知的ないし技術的労働や事務、販売系の職に就いている者をいう。
具体的にいえば、専門的職業、技術的職業、中・下級の管理的職業、事務的職業、販売的職業、対人サービスが挙げられ、これら精神労働がホワイトカラーの特徴である。
ブルーカラーと比較すると、賃金水準は高い傾向にあり、生産に直接的に関わることのない非現業的な職種に携わっているため、業務が原因の労働災害が少ない。但し、業務内容の標準化の遅れから、業務量が偏重しがちで精神的負担が大きくなる傾向がある
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

気になるフレーズは、「雇用従業員の中でも、知的ないし技術的労働や事務、販売系の職に就いている者をいう。」    主観だが、純日本の大きな会社のオフィスで働く人たちの言動を見聞きしていると、このフレーズに強い拘りがあるように思う。  

オフィスの事務処理効率が低いので「生産性を上げる改善をしましょう!」と周りに働き掛けた時に返ってくる反応は、「我々の仕事は知的な仕事だから(頭を使う仕事という意味)複雑且つ様々なパターンがある。 だから定型化できない!」というもの多かった。 極端なケースだと「我々は創造的な仕事をしているんだ、工場で車を作るのとはわけが違う!」と露骨に拒否反応を示されることもあった。

もし、このような言葉を工場で働く人が聞けば「なにを言っているだ!」と炎上することは間違いない。 私自身が最初に就職した会社は日本のモノ作りのベンチャー企業だった。 営業、マーケティング、経営企画、情報技術、最後は工場で生産と品質の管理を経験した。 モノづくりの現場はとてもエキサイティングな世界だった。 モノ作りに真剣に携る人たちはとても知的で魅力に溢れる人たちだった。 1円の利益を必死に追いかけ、6シグマの更に先の品質を追求していく。  知的を通り越して「芸術」の世界だった。 だから、モノづくりの現場で働けることへの喜びと強い誇りを持っていた。 先のような言葉を浴びせられた時、心の中で「無知って恐ろしいなぁ」と呟きながら溜息をついた。

もし、このホワイトカラーの定義に忠実に従ったならば、日本のオフィスで働く多くの人は「ホワイトカラー」ではないと自分は考える。 勿論、定義どおりのホワイトカラーは存在する。 しかし、肌感覚で言えば恐らく2割弱の人口だろう。 
以前、このテーマで外資系で共に働いた友人と議論した時、申し合わせたように同じ結論に至った。 彼曰く「日本のホワイトカラーはブルー・ホワイトカラーだ」。 

生産性ってなに?

そもそも、ホワイトカラーの生産性とはなんなのか?  ブルーカラーの生産性と何が違うのか?  これらの疑問を長い間、頭の中で繰り返し現場の中で答えを探し求めてきた。 様々なことを考え試し思考が結晶化することを待ち続けてきた。   

数ヶ月前、肩叩きを食らって組織から離れた。 再就活をしながら、久しぶりに新しいことをみっちり勉強したり、これまでの自分の考えを整理することができた。    この疑問への答えもようやく固まってきた。 自分の中の結論は こうだ。

(1) ホワイトカラーの生産性もブルーカラーの生産性も同じ「生産性」である
(2) 日本のホワイトカラーがする仕事の大部分はブルーカラーがする仕事と同質である
(3) 日本のホワイトカラーの生産性は、日本のブルーカラーが培ってきたノウハウで改善することができる

そもそも「生産性」ってなんだ?
公益財団法人日本生産性本部は以下のように定義している。

生産性の代表的な定義は「生産性とは、生産諸要素の有効利用の度合いである」(ヨーロッパ生産性本部)というものです。
 有形のものであっても無形のものであっても、何かを生産する場合には、機械設備や土地、建物、エネルギー、さらには原材料などが必要になります。また、実際にこれらの設備を操作する人間も欠くことができません。生産を行うために必要となるこれらのものを生産要素といいますが、生産性とはこのような生産要素を投入することによって得られる産出物(製品・サービスなどの生産物/産出)との相対的な割合のことをいいます。
 式で表せば、
           生産性=産出(output)/投入(input)
ということになります。
 つまり、生産性とは、あるモノをつくるにあたり、生産諸要素がどれだけ効果的に使われたかということであって、それを割合で示したものが生産性ということになります。例えば、最先端の工作機械を導入したとしても、それを操作する人が未熟であったり、操作ミスをしてしまったりすると、工作機械はうまく作動せず、故障を起こしてしまうこともあります。このような場合、生産諸要素の有効利用度が低い、つまり生産性が低いということになります。

さらに、生産性には次のような種類があると述べている。

 生産性は、それぞれの生産要素の視点から捉えることができます。労働の視点からであれば労働の生産性(労働生産性)、資本の視点からであれば資本の生産性(資本生産性)となります。さらに、投入した生産要素すべてに対して産出がどれくらい生み出されたかを示す指標として全要素生産性があります。
 こうした生産性の種類の中で最もよく用いられるのが労働の視点からみた生産性、すなわち労働生産性です。労働生産性は「労働投入量1単位当たりの産出量・産出額」として表され、労働者1人当たり、あるいは労働1時間当たりでどれだけ成果を生み出したかを示すものです。「労働生産性が向上する」ということは、同じ労働量でより多くの生産物をつくりだしたか、より少ない労働量でこれまでと同じ量の生産物をつくりだしたことを意味します。

これらの定義は汎用的で、ほぼ同じ定義が多方面で謳われている。  自分自身も「なるほど」と思うのだが、一方、この定義がオフィスで行う仕事にどのように当てはまるのか? という疑問が湧いてくる。 
この疑問も長く頭の中で繰り返し、現場改善の試行錯誤を通じて結晶化させようとしてきた。   今現在、自分が確信していることは二つある。

(1)ホワイトカラーの生産性を測ることは難しい、しかし
(2)ホワイトカラーの労働コストは近似値で測ることができる

なぜ、ホワイトカラーの生産性を測ることが難しいのか?  それは、ホワイトカラーの仕事によって生産される成果物の価値を定量化することが難しいからだ。  特に、成果物を組織の収益に直接結びつける方程式が見つからない。  テニオハの修正に膨大な時間をかけて綺麗にまとめた資料がどれほど収益増加に貢献したのか。  少なくとも、自分の頭脳では見つけることは不可能だと思う。
しかし、一方ではホワイトカラーの生産に関わる労働コストは、かなり多くの割合を定量化できることが分かった。  しかも、極めてシンプルだ。

ホワイトカラーの労働コストは「作業時間」で測れる

思わず「そんなの当たり前だ!」と叱られそうな結論だが、今一度、よくこの結論を噛み締める必要があると思う。 理由は二つ。 一つ目は、 こんな簡単なことでも殆どのホワイトカラーの現場ではこの費用が計測されていないという現実があること。 もう一つは、効率良く計測する方法が見出されていないという問題だ。  

一時は、このコストを計測することに躍起になって取り組んだことがあった。 いろいろな方法を試みた。   数年かけてある程度可視化することができたものの、期待したレベルに辿り着つくことはなかった。 しかし、一つ分かったことがある。 それは、ホワイトカラーのコストは「指先の動きに現れる」ということだった。  ここには情報化の恩恵がある。 現代のホワイトカラーの殆どの仕事場にはコンピューターが導入されている。  ホワイトカラーの仕事の殆どがキーボード上の物理的な動きに現れる(マウスの動きも含む)。


頭の中にあることをまとめなくダラダラと書いてしまった。 しかも、表層部分だけ。  

今回で出力したかったことは、
* 日本のホワイトカラーの多くは、本当のホワイトカラーではない
* 日本のホワイトカラーにおける生産性は、ブルーカラーの生産性と同じ
* 日本のホワイトカラーの生産性を測ることは難しい、しかし
* 日本のホワイトカラーの労働コストは物理的な動きで測れる

次回は、これらのポイントのもう少し踏み込んだところを書き出しながら、生産性を向上させる方法について書き出そうと思う。




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