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超久しぶりに国立西洋美術館に行った。

2024年3月12日、超久しぶりに西洋美術館に行きました。理由はシンプル。こちらの展覧会。アクティビストの話題ばかりになって展覧会そのものの内容が全然わからなかったから。

パフォーマンスとアクティヴィズムの話題はこちらがよくまとまっているのでぜひ読んでほしい。

ちなみに私はこのアクティヴィズムに対して賛成でもあり残念でもある複雑な感情を感じていた。どうも整理ができなかった。
でも、一番感じてた感情はシンプル。

「展覧会がどんな感じか全然わかんない」


SNSはパフォーマンスだけが先走っていた。展覧会の内容が全く入ってこない。なので自分で見に行くことにした。基本的に私は内覧会などに呼ばれる身分ではない。でもその方がいいの。自分でお金払って見に行くことで自分の中で好きに発信できるから。

当日は雨だった。すごい雨。なので人いないかなって思ったら案外いた。それにしても超久しぶりだ。一体いつぶり?と思いながら進む。制服の団体とすれ違う。スクールプログラムだ。

皆、熱心に見てる。とても良い。


展覧会はグループ展。概要をがっつり引用。

この展覧会は、国立西洋美術館においてはじめて「現代美術」を大々的に展示する機会となります。こんにちの日本で実験的な制作活動をしている、さまざまな世代の20を超えるアーティストたちの作品が集います。
主として20世紀前半までの「西洋美術」だけを収蔵/保存/展示している国立西洋美術館には、いわゆる「現代美術」は存在しません。過去を生きた、遠き異邦の死者の作品群のみが収められているともいえます。けれども、1959(昭和34)年に松方コレクションを母体として開館した国立西洋美術館の成立前史の記憶を紐解いてみると、この美術館はむしろ、開館以後の時間を生きるアーティストらが所蔵品によって触発され、未来の芸術をつくってゆける刺激の場になってほしいという想いを託されながらに建ったということができます。しかしながら、国立西洋美術館がそうした「未来の芸術」を産み育てる土壌となりえてきたのかどうかは、これまで問われていません。
西欧に「美術館」という制度が本格的に誕生した時期とも重なる18世紀末、ドイツの作家ノヴァーリスは、こう書いていました。
 展示室は未来の世界が眠る部屋である。――
  未来の世界の歴史家、哲学者、そして芸術家はここに生まれ育ち――ここで自己形成し、この世界のために生きる。
国立西洋美術館は、そのような「未来の世界が眠る部屋」となってきたでしょうか。本展は、多様なアーティストたちにその問いを投げかけ、作品をつうじて応答していただくものとなります。

https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html


会場は静かに始まる。正直ちょと狭い。動線を迷わせるのは仕掛けなのか、元々の構造なのか。学生さんたちが悩む姿もとても良い。内藤礼さんのブースで「え。。。?」って囁きあってる学生さんたちとかこれ超いいじゃん!って思った。



小田原のどかさんのステイトメントと環境で作り出す世界観に浸った。西洋美術館といえばロダンっしょですが、ロダン倒れてるよ。。あ、ここ、日本だからロダン倒れる可能性あるのか。。など想いが巡り巡る。
子のように作家さんそれぞれが国立西洋美術館が所有してる作品と自分の世界観を対比させたり、オマージュしたり、戦ったり、様々な形で共演していた。

これは思った以上に見応えがあるぞ。ちなみに動線は周回が不可。なので邪魔にならないように戻ったりしながら1つ1つの共演を見つめた。


弓指さんの世界で最初に会うのがこの学芸員さん


階段を上がったら弓指寛治さんの展示の世界が広がっていた。弓指寛治さんは他の作家さんのように西洋美術館所有作品や建築物との関係性を考えるのとは違い「上野という土地」との関係性を探っていた。


私は15年前くらいは子供をベビーカーに乗せて上野公園を歩いていたわけであの時に公園にいた人たちがいつの間にか消えたことを今更になって思い出した。

私が若い時は案外様々な場所に路上生活者がいた。そして私たちが生活していたマレーシアにも路上生活者はいた。子供が留学したカナダのトロントのダウンタウンにもいた。でも、そういえば上野に沢山いた路上生活者、いなくなったなあ。彼らはどこに行ったのだろう?という疑問の答えがそこにはあった。彼らを支援する訪問看護ステーションコスモスさんのことを書いた本があったのでその本を手に取ったら、作家の弓指寛治さんが話しかけてくださった。

訪問看護ステーションコスモスさんのサイトはこちら。寄付もできるのでぜひ参照してほしい。


コスモスの絵の前の弓指さん


ドヤの内部。写真じゃなくて絵だからこそ伝わるその人の日常。



弓指寛治さんとお話をしながら私は今回のこの展覧会があいちトリエンナーレ2019のようになったら嫌だなあという気持ちになった。


一部分だけが大きく注目され多くの素晴らしい展示が一般に注目されない事態。あのような事態になったら嫌だなあと感じた。


意見を発する行動とそこに作品がある事実をがんじがらめにしたくない。


私だってガザの状況に対しては憤りを感じている。戦争反対。ジェノサイドは絶対に反対。でも同時に自分の生活範囲内で苦しむ人に対して見てみぬふりはしたくない。


KLにいた時「ジャングルの虎の保護を!」と誇らしげに事前活動する保護者さんたちがKLの道路沿いで物乞いする親子を邪魔扱いしてるのを見てなんか私は気持ちが整理できなかった。自分で何か出来ることないかって思い、実家に残っていた亡父が残した文房具をKLの孤児院に寄付させてもらったりした。


何か意見を言う際にその人がどの意見から言う、どれから実際に行動するか選ぶ権利もあっていいのではと思うのですよ。私は。

私は1万円あったらガザの子供達に1万円寄付するのではなく4千円ガザの子供達に、4千円山谷を支援してるコスモスさんに、そして2千円を自分の息子のために使いたい。


それって甘いんですかね。

意見交換や問題提起が大事であることはもちろん理解している。でもそれだけじゃなくて、それぞれの世界を表現した作品の重要性や鑑賞者として感じたことを書き記すこと、それを発信することでより多くの人に見てもらい感じてもらうことも大事だと私は思う。

私が伺った3月12日は少なくともあいちトリエンナーレ2019開幕日のような緊迫感はなかった。私は開幕日に行ってるので比べられる数少ない一般人だと思う。少なくともこの展覧会の開幕日、3月12日の午後の展覧会会場は作家さんたちの世界に向き合おうとしてる人がほとんどだったと私は感じた。問題提起は問題提起としてしっかり議論して、それとは別にこの展覧会の感想や情報提供を個々が行なっていくべきと個人的には思っている。

この行動を弱腰とか問題に向かってないと言われたら確かにそうなのかもしれない。でも私は展覧会そのものの素晴らしさとか意味や意義をちゃんと受け止めたいし私は受け止めたよって書き残したい。


西洋美術館に行くのは考えてみたら12年ぶりくらいかも。この展覧会はとても深いのでパフォーマンスとアクティヴィズムとはまた別にそれぞれの作品の世界に向き合いたい。


5月12日まで。絶対に会期やり切ってほしい。また伺います。

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